2007年05月06日
パリ5日目 ノートルダム寺院、サンジェルマン・デ・プレ界隈
今日と明日の昼間は パリの街を 自由に過ごす日と 決めていたので 朝食は
ゆっくりと頂きました。
せっかくだったので 本日は 和食にしてみました。
ご飯に 味噌スープ ( 具は お豆腐と ねぎと わかめが 脇にありました )
玉子焼き 焼しゃけ 切干大根 肉じゃが お漬物さまざま 梅干など
十分に 和テイストを なしていたのには びっくり!
ゆっくりと 店内を眺めてみると さすがに 歴史を感じさせる 内装。
豪華な 朝のひと時から パリの一日は 始まりました。
本日の予定は ノートルダム寺院と サンジェルマン・デ・プレ散策です。
地下鉄で シテ島駅までは 乗換えを含めても 15分くらいです。
駅に出て 直ぐ前が セント・シャペル教会、 駅の反対側が お目当ての
ノートルダム寺院です。
まだ10時前だったので人出はさほど多くなく
入場料もなく さくっ! と入場です!
ここ ノートルダム寺院は フランスカトリックの総本山と言われ ゴシック建築
で有名ですが 内部の 3箇所にある ステンドグラスの 「 バラ窓 」 も
有名です。
「 ノートルダム 」 とは われらのマダム つまり 聖マリアを指す言葉で
各地に立てられた ゴシック様式の教会が 聖母マリアに ささげられた聖堂
であったため 各地に 「 ノートルダム聖堂 」 と呼ばれるものが
あるそうです。
「 光を集めて崇める 」 と言う考え方から作られた ステンドグラスの
「 バラ窓 」 は 直径13メートルで 南 北 西 に 配されています。
さて内部の見学を終えた私達は もう一つ どうしても見たいものがあったのです。
それは 映画 「 アルマゲドン 」 の中で 隕石が 世界の大都市に落ちて
来ると言うシーンがあって パリの街にも 隕石が次々と飛来して 一瞬にして
街が破壊されていく その様を パリの塔に飾ってある 石造りの怪獣が
眺めているという 映像があったのです。
その怪獣が どこにあるのか ずっと気になっていた 娘が ある時 それが
ノートルダム寺院の塔にある 石造だと知り 今回どうしても 見たいと
言うことだったのです。
念願かなって 塔に登れると思いきや、 なんと 寺院の脇に ずらーっと
並んでいる列が...
あわてて 私達も並びましたが どうやら 1度に 20人くらいづつしか
登れないようで 私達も 1時間以上 並ぶ羽目になってしまいました。
その列には ヨーロッパ各国の観光客が 並んでいましたが 私達の前には
イタリア人家族が 並んでいました。
そのイタリア人パパは 真っ黒なサングラスをかけて すごく恐い感じの
人でしたが 子ども達は ちょろちょろして とても 可愛い2人でした。
男の子が サッカーの ジャンパーを着ていたので サッカー好きなの?
って 英語で話しかけたら 子ども達は 言葉が分からないようで 恥ずかし
がっていましたが お父さんが 自分は 英語がしゃべれないけど、って
簡単な英語で言ってくれて 「 サッカーじゃないよ、フットボールだよ! 」
と 教えてくれました。
その後 私達に イタリア語で 話をふるので よく分からない私たちは
とっさに 「 ナカ〜タ? 」 って言ったら 大喜びで 「 ナカ〜タは
もういないよ〜」 みたいな事を言ったので 今度は 「 デルピエロ?
トッティ? 」 なんていったら お父さん 大喜びしてくれました。
私達も調子に乗って ロベルト・バッジョ? なんて 数少ない知ってる
イタリア人選手の名前を言ったら お父さん ご満悦!
すっかり仲良くなってしまいました。
お父さんは 私達に シノワか? って聞いてきて 日本人だと言うと
ブルース・リーは 日本人なのか? と 質問してきました。
外国人にとっては 日本も 中国も 香港も 一緒のくくりのようでした。
途中で 係りの人が 各国語で書いてあるパンフレットを 並んでいるグループ
毎に 何語がいいか聞いて 配っていましたが 日本語はあったのにイタリア語
がなくて お父さん、 スゴーク怒っていました。
係りの人に 日本語があって なんで イタリア語がないんだって ずいぶんと
食い下がっていました。
その列には ドイツ人が とても多くいました。
その家族とは 話しながら 一緒にあめを食べたり 娘のカメラを覗いたりして
長い待ち時間も 楽しく過ごすことが出来ました。
途中で 順番が 少し進んだら 大慌てをして 向かい側の カフェにいった
ママンを 大声で呼んだりと、 豪快だけど ちょっぴり可愛い パパでした。
さて いよいよ 階段を登って 塔に上がる順番がきました。
塔に登るには 狭い階段を登るのですが その階段は 人、一人が精一杯の幅で
螺旋階段になっているのです。
そして 2,3階分登った後 お土産売り場のようなところで 待機していて
係りの方の指示で また 螺旋階段を登るのです。
何度も言いますが 螺旋階段は 人、一人分の 幅なのです。
そして くるくる、くるくる 際限なく 登るのです。
もう はぁはぁ ドキドキ 足はもつれるし 心臓も 破裂しそうでした。
それに 私が 留まると 後の人が上がれないので どうしても 私は
途中で 留まることは出来ないのです。
私の 後から後から 15人くらいは いるのです。
後ろの人も あぁ〜!とか げお〜! とか うわお〜! なんて叫びながら
登っているのです。 く、く、苦しい! もう本当に 限界でした。
この塔が そんなに 苦しいとは 知らなかったので 知っていたら 絶対
登らなかったと思います。
( 帰ってきてから パリの情報サイトを見たら この塔は お年寄りや
心臓の弱い人 体格の良い人? 子供は 無理だと書いてありました。 )
そして 娘に励まされ ようやく 4百段ほどの階段を登り終え 外にでると
うわぁ〜 す、す、すばらしい〜 景色!
塔の周りは 幅のせまーいベランダになっていて そのベランダの端には
何体もの あの 怪獣が...
フランス語では シメール、国によっては キメイラとか キメラ カーゴイル
などとも言われている 架空の怪獣のような動物が 何匹も 高い塔から
パリの街を 見下ろしているのです。
それはそれは 素晴らしい光景でした。
ノートルダムの鐘楼の周りにも マリア様とシメール達が たくさんいました。
それが 娘が見たがっていた 映画 「 アルマゲドン 」 に登場していた
「 シメール 」 でした。
パンフレットには 「 シメールのギャラリー 」 と 書いてありました。
本当に 苦しかったけれど 素晴らしかったです。
遠く エッフェル塔まで よく見える お天気の良い日に こんな不思議な場所で
パリの街が見渡せ また ノートルダムの鐘も 聞くことが出来 幸せでした。
やはり 世界遺産は 元気なうちに行かないと 堪能できませんね。
素晴らしい 余韻を感じながら 地下鉄で サンジェルマン・デ・プレまで
移動です。
目的は 新婚旅行で 行くことの出来なかった
教会そばの カフェ 「 レ・ドゥー・マゴ 」 に行くことでした。
(渋谷の bunkamura にも 支店がありますね )
カフェは お昼時で とても混んでいましたが お外の席をゲットでき
良いお天気のなか ちょっと気取って クロックムシューを頂くことができました。
夕方 ホテルに帰る道々 デパートの 「 ギャラリーラファイエット 」
に寄り エクレアを買って ホテルのお部屋で ティータイムを 過ごしました。
夕方のデパートは とても混んでいましたが 食料品売り場は 楽しく
おいしそうな お菓子が沢山並んでいて 時間を忘れて 見入っていました。
そして パリ最後の夕食は ムール貝で有名な 「 レオン 」 です。
レオンは ベルギーのお店ですが パリにも 道々に 沢山お店があり
パリ市民には とてもなじみのある 気軽なレストランです。
ランチョンマットに 印刷してある 「 ムール貝と魚介の蒸煮 」 と
お店の方、お薦めの 魚介のフライを頂きました。
最初は とても多く感じましたが 意外と 食べられて たっぷりの ポテトや
プリッツェルと共に とても美味しく 完食いたしました!
昨日に続き 大変 美味しいお店で 気取ることなく 夕食をいただけて
最後の夜は 幸せに ふけてゆきました。。。
ゆっくりと頂きました。
せっかくだったので 本日は 和食にしてみました。
ご飯に 味噌スープ ( 具は お豆腐と ねぎと わかめが 脇にありました )
玉子焼き 焼しゃけ 切干大根 肉じゃが お漬物さまざま 梅干など
十分に 和テイストを なしていたのには びっくり!
ゆっくりと 店内を眺めてみると さすがに 歴史を感じさせる 内装。
豪華な 朝のひと時から パリの一日は 始まりました。
本日の予定は ノートルダム寺院と サンジェルマン・デ・プレ散策です。
地下鉄で シテ島駅までは 乗換えを含めても 15分くらいです。
駅に出て 直ぐ前が セント・シャペル教会、 駅の反対側が お目当ての
ノートルダム寺院です。
まだ10時前だったので人出はさほど多くなく
入場料もなく さくっ! と入場です!
ここ ノートルダム寺院は フランスカトリックの総本山と言われ ゴシック建築
で有名ですが 内部の 3箇所にある ステンドグラスの 「 バラ窓 」 も
有名です。
「 ノートルダム 」 とは われらのマダム つまり 聖マリアを指す言葉で
各地に立てられた ゴシック様式の教会が 聖母マリアに ささげられた聖堂
であったため 各地に 「 ノートルダム聖堂 」 と呼ばれるものが
あるそうです。
「 光を集めて崇める 」 と言う考え方から作られた ステンドグラスの
「 バラ窓 」 は 直径13メートルで 南 北 西 に 配されています。
さて内部の見学を終えた私達は もう一つ どうしても見たいものがあったのです。
それは 映画 「 アルマゲドン 」 の中で 隕石が 世界の大都市に落ちて
来ると言うシーンがあって パリの街にも 隕石が次々と飛来して 一瞬にして
街が破壊されていく その様を パリの塔に飾ってある 石造りの怪獣が
眺めているという 映像があったのです。
その怪獣が どこにあるのか ずっと気になっていた 娘が ある時 それが
ノートルダム寺院の塔にある 石造だと知り 今回どうしても 見たいと
言うことだったのです。
念願かなって 塔に登れると思いきや、 なんと 寺院の脇に ずらーっと
並んでいる列が...
あわてて 私達も並びましたが どうやら 1度に 20人くらいづつしか
登れないようで 私達も 1時間以上 並ぶ羽目になってしまいました。
その列には ヨーロッパ各国の観光客が 並んでいましたが 私達の前には
イタリア人家族が 並んでいました。
そのイタリア人パパは 真っ黒なサングラスをかけて すごく恐い感じの
人でしたが 子ども達は ちょろちょろして とても 可愛い2人でした。
男の子が サッカーの ジャンパーを着ていたので サッカー好きなの?
って 英語で話しかけたら 子ども達は 言葉が分からないようで 恥ずかし
がっていましたが お父さんが 自分は 英語がしゃべれないけど、って
簡単な英語で言ってくれて 「 サッカーじゃないよ、フットボールだよ! 」
と 教えてくれました。
その後 私達に イタリア語で 話をふるので よく分からない私たちは
とっさに 「 ナカ〜タ? 」 って言ったら 大喜びで 「 ナカ〜タは
もういないよ〜」 みたいな事を言ったので 今度は 「 デルピエロ?
トッティ? 」 なんていったら お父さん 大喜びしてくれました。
私達も調子に乗って ロベルト・バッジョ? なんて 数少ない知ってる
イタリア人選手の名前を言ったら お父さん ご満悦!
すっかり仲良くなってしまいました。
お父さんは 私達に シノワか? って聞いてきて 日本人だと言うと
ブルース・リーは 日本人なのか? と 質問してきました。
外国人にとっては 日本も 中国も 香港も 一緒のくくりのようでした。
途中で 係りの人が 各国語で書いてあるパンフレットを 並んでいるグループ
毎に 何語がいいか聞いて 配っていましたが 日本語はあったのにイタリア語
がなくて お父さん、 スゴーク怒っていました。
係りの人に 日本語があって なんで イタリア語がないんだって ずいぶんと
食い下がっていました。
その列には ドイツ人が とても多くいました。
その家族とは 話しながら 一緒にあめを食べたり 娘のカメラを覗いたりして
長い待ち時間も 楽しく過ごすことが出来ました。
途中で 順番が 少し進んだら 大慌てをして 向かい側の カフェにいった
ママンを 大声で呼んだりと、 豪快だけど ちょっぴり可愛い パパでした。
さて いよいよ 階段を登って 塔に上がる順番がきました。
塔に登るには 狭い階段を登るのですが その階段は 人、一人が精一杯の幅で
螺旋階段になっているのです。
そして 2,3階分登った後 お土産売り場のようなところで 待機していて
係りの方の指示で また 螺旋階段を登るのです。
何度も言いますが 螺旋階段は 人、一人分の 幅なのです。
そして くるくる、くるくる 際限なく 登るのです。
もう はぁはぁ ドキドキ 足はもつれるし 心臓も 破裂しそうでした。
それに 私が 留まると 後の人が上がれないので どうしても 私は
途中で 留まることは出来ないのです。
私の 後から後から 15人くらいは いるのです。
後ろの人も あぁ〜!とか げお〜! とか うわお〜! なんて叫びながら
登っているのです。 く、く、苦しい! もう本当に 限界でした。
この塔が そんなに 苦しいとは 知らなかったので 知っていたら 絶対
登らなかったと思います。
( 帰ってきてから パリの情報サイトを見たら この塔は お年寄りや
心臓の弱い人 体格の良い人? 子供は 無理だと書いてありました。 )
そして 娘に励まされ ようやく 4百段ほどの階段を登り終え 外にでると
うわぁ〜 す、す、すばらしい〜 景色!
塔の周りは 幅のせまーいベランダになっていて そのベランダの端には
何体もの あの 怪獣が...
フランス語では シメール、国によっては キメイラとか キメラ カーゴイル
などとも言われている 架空の怪獣のような動物が 何匹も 高い塔から
パリの街を 見下ろしているのです。
それはそれは 素晴らしい光景でした。
ノートルダムの鐘楼の周りにも マリア様とシメール達が たくさんいました。
それが 娘が見たがっていた 映画 「 アルマゲドン 」 に登場していた
「 シメール 」 でした。
パンフレットには 「 シメールのギャラリー 」 と 書いてありました。
本当に 苦しかったけれど 素晴らしかったです。
遠く エッフェル塔まで よく見える お天気の良い日に こんな不思議な場所で
パリの街が見渡せ また ノートルダムの鐘も 聞くことが出来 幸せでした。
やはり 世界遺産は 元気なうちに行かないと 堪能できませんね。
素晴らしい 余韻を感じながら 地下鉄で サンジェルマン・デ・プレまで
移動です。
目的は 新婚旅行で 行くことの出来なかった
教会そばの カフェ 「 レ・ドゥー・マゴ 」 に行くことでした。
(渋谷の bunkamura にも 支店がありますね )
カフェは お昼時で とても混んでいましたが お外の席をゲットでき
良いお天気のなか ちょっと気取って クロックムシューを頂くことができました。
夕方 ホテルに帰る道々 デパートの 「 ギャラリーラファイエット 」
に寄り エクレアを買って ホテルのお部屋で ティータイムを 過ごしました。
夕方のデパートは とても混んでいましたが 食料品売り場は 楽しく
おいしそうな お菓子が沢山並んでいて 時間を忘れて 見入っていました。
そして パリ最後の夕食は ムール貝で有名な 「 レオン 」 です。
レオンは ベルギーのお店ですが パリにも 道々に 沢山お店があり
パリ市民には とてもなじみのある 気軽なレストランです。
ランチョンマットに 印刷してある 「 ムール貝と魚介の蒸煮 」 と
お店の方、お薦めの 魚介のフライを頂きました。
最初は とても多く感じましたが 意外と 食べられて たっぷりの ポテトや
プリッツェルと共に とても美味しく 完食いたしました!
昨日に続き 大変 美味しいお店で 気取ることなく 夕食をいただけて
最後の夜は 幸せに ふけてゆきました。。。
2007年05月02日
4日目 モンサンミッシェルへの旅
フランス4日目の今日は 憧れの 世界遺産 「 モン・サン・ミッシェル 」
への旅です。
私が この遺産を知ったのは 長女が 大学の卒業旅行で ヨーロッパ周遊をした
時 訪れた その写真を 見せてもらった時でしたので 今から6年前になります。
最近は 日本人観光客にも 大変な人気で モンサンミッシェルが 組み込まれて
いるツアーが 日本でも とても 多くなっています。
何せ ここは 距離的には 日本で言う 東京〜名古屋くらいあるそうで
通常は 列車 ( 日本で言う 新幹線のような列車 ) とバスを 乗り継いで
いくそうですが、 それは 予約をしたり 時間を調べたりで かなり労力がいる
行程なので ほとんどの旅行者は やはり利便性をとって 市内から バスで
直行で行ける オプショナルツアーを予約して 訪れる方が 多いようです。
最近のユーロ高で オプショナルの値段は 23000円前後に跳ね上がっています。
この日は 何度も言うようですが 復活祭のため 学校などがお休みになり
ヨーロッパからの 旅行者が多い時期だったので いつもは7時15分集合のところ
なんと 6時55分集合なんていう 真っ暗な時間帯の 出発になりました。
前に 私が ホテルの日本人のスタッフの方に どうしてもお願いしたかった事
があって でも 最初の2日間 お会いできなかったので 外国人スタッフに
英語で 説明して 了解して いただいた件があると 書きましたが
それは 何かと言うと、
当初 ( ホテルの 予約に関して ) 休日をはさんで予約したプランは
4日間でしたが これは 朝食込みの 予約でした。
でも この日の モンサンミッシェルの集合が 朝早く、 朝食を取る時間が
なかったので ( 朝食は 7時からなので ) この日、食べられない朝食を
追加で予約した最後の日に ( この日は 朝食ナシで 予約したので )
振り替えてもらえないかという ずうずうしいお願いをした、 という事なのです。
外国人は こんな細かいことを お願いする人は いないのかもしれませんね?
最初は 朝早いのなら ルームサービスで食べたらどうか、とか ランチボックス
みたいのを 作ってあげるので バスの中で食べたらいいわ! なんて 優しい
提案をして下さいましたが どのみち ゆっくり優雅には 食べることは
できそうになかったので あくまで 振り替え朝食を 希望しました。
何せ 朝食を 単独で頼むと 一人35ユーロ ( 5600円 ) もするんですよ!
やっぱり あわてないで ゆっくり 優雅に 味わって 食べたいですよね〜
フロントスタッフの方は 最初は 私の提案する 意味が よく理解できない
ようでしたが 何度も チェンジ! を繰り返したせいか なんとか 分かって
いただけ おかげさまで 気持ちよく 了解して下さいました。
その後 ようやく 日本人スタッフの ゆきこさんに お会いできた時
その事を説明したら ちゃんと そのとおりに 伝わっていますよ、 と言われ
一安心しました。
バスは 途中で トイレ休憩を 一度とり、 ノルマンディ地方ののどかな村を
眺めながら 12時ごろ 世界遺産に 到着しました。
写真は バスの中から 見え始めた モンサンミッシェル です!
聖なる島 モンサンミッシェル ( マウント 聖
ミカエル ) は 潮の 満ち引きで 陸にも孤島
にもなると言う 険しい岩山です。
8世紀初頭 ( またしても 日本で言う 奈良時代 ! って 本当に ガイド
さんは言ってました! カンボジアに続いて 2度目ですが 日本人には
こういう風に 説明するように 教育を受けているのでしょうか? ) に
聖堂が建ち その後の修道院は ベネディクト派の信者の聖地として栄え
( 戦争時には 要塞にもなり ) ユネスコ世界遺産に登録されました
ツアーバスの中は 日本人と 外人が半々くらいで ガイドさんは 日本語、
英語の 2人体制でした。
モンサンミッシェルに着くと 私達には オーディオガイドが 渡され ガイド
さんから少し 離れたところでも お話が聞こえるようになっていました。
散策は 日本人、 外人 チームは 別々でした。
島内に入ると 狭い道の 両側には お店がぎっしりと 建っていて
そこに 観光客が 溢れ それはそれは 初詣の 江ノ島のようでした。
まず 島内の レストランで ランチをしました。
私達は ツアーのランチを 選ばなかったので 娘と二人 島内のレストランを
見て周り 雰囲気のよさそうな 2階建てのレストランで 食事をしました。
この島の名物は ふんわりオムレツだったので ( 上の写真の プーラール
おばさんのお店が 有名なのですが 最近では 団体客が多くなり 商業主義に
走り 素朴さがなくなったと言う風潮だったので そこはパスして )
2階建ての 海の見えるお店に 入りました。
でも そこも 私達の後から後から すごい人が 入ってきて 大混雑になり
メニューを見ているうちに 後から来た 他の外人の方達の 注文が次々と入り
最初からいた私達は ずっと、 ほったらかしに なってしまいました。
( なにせ メニューは フランス語なもんで 理解するのに しばし時間が... )
私が すいませ〜ん って言ったら 私のほう見て 「 ワン ミニッツ!! 」
( つまり 1分待って! っていうことなんです )
って 気の強そうな マダムが 言うんです。 それも かなり厳しく。。。
それから 5、6分くらい 待っていたんですが 全然来てくれないので
マダムが 他のテーブルに お料理を運び終わったのを見届けて すいませ〜ん
と 声をかけたら またしても 厳しく マダムは 「 ワン ミニッツ!! 」 なのです。
「 さっきも 言っただろう! 」 くらいの強気な態度なのです!
んもぉ〜 ワン どころか テン ミニッツなのに〜 です!
私たちのこと 英語も分からないと思っているのかしら? ぷんぷん!
それとも マダムは ワンミニッツの意味を 知らないのかしら???
このお店の人は サービスって言う言葉を 知らないね! って 娘。
私は すいません!すいません! すいません! って ずっと そのマダムを
しつこく 目で追ってました。
だって 私達の ずっと後から来た人にも 接客してるんですよ〜 そのマダム!
超 むかつく! そのマダム! どんだけぇ〜♪
そんなこんなで 集合時間も迫ってしまい あわてて食べたので オムレツは
美味しかったけれど とっても 印象の悪い ランチでした!
さて 島内の見学です。
岩がそそり立った所を利用して 立てた 修道院と 教会は 満ち潮になると
陸からは孤立して 海の中にぽっかりと浮かんで それはそれは 幻想的な
雰囲気になります。
今では 陸からの道路ができたのですが 以前は 巡礼者たちが 命がけで
渡ってきた聖地でもありますし、 そのようなその立地から フランス革命後は
監獄として 使用された歴史もあるのです。
教会や修道院のテラスから 下を望むと その特異な地形が 良く分かります。
今は 対岸から道路が出来て こんなにもたくさんの観光客が 押し寄せて
いますが 今後は この道路をなくして 橋をかけるそうです。
そのほうが 大潮のときの景観が 良いのでしょうね。
5年後くらいに また いらっしゃいと ガイドさんは 言っていました。
そのガイドさんは かなりお年でしたが 以前 横浜に住んでいらしたとかで
大変 日本語が お上手でした。
4時には 憧れのモンサンミッシェルとも お別れです。
いまは 世界遺産ブームなので 世界中から 観光客が訪づれて いるのでしょう。
帰りは 高速道路が大混雑で 8時に戻る予定が 10時ごろになってしまいました。
と言うことで 夕食は ツアーの帰着点である チュイルリー公園前の ブラッスリー
で頂きました。
このあたりは たくさんの オプショナルツアーの会社が ある地域なので
レストランも かなり遅くまでやっているようでした。
私たちが入ったのは イタリアンのお店でしたが 私達が またしても
フランス語メニューに 苦労していると 何と 何と 日本語メニューを
出してくださったのです。
う、うれしい〜
なんて 気の利くギャルソン! よ〜
おかげで フランスに来て 初めて 内容が分かって注文した ディナーでした。
チョー美味しかった! この スパゲテイボロネーゼ と 具たくさんの
シーザースサラダ これにハイネケンを頂いて 〆て 30.5ユーロ (5千円)
お昼の あの意地悪マダムの オムレツやさんなんて 36.7ユーロ (6千円)
もしたんですよ〜
本当に 美味しく頂いて その上 ギャルソンに 店先で写真も撮ってあげるよ、
といわれ 今日1日も 幸せに締めくくることが出来ました。
だいぶ街にもなれたので のんびり歩いて ホテルまでは 15分くらいでした。
夜のオペラ座はキラキラ輝いて 私が この地にいるのが 本当に夢のようでした。
早速お部屋の窓からの オペラ座を 激写です。
フラッシュがないほうが 雰囲気が出ていますね。
でも 大きくしてみてみると どちらも ステキに 撮れています、 自画自賛!
あぁ〜長い一日 お疲れ様でした。
PS 遅くなりましたが 皆様にご報告です。
以前 お話しました S生命保険の 放射線治療の手術代
無事 振り込まれました。
金額は 私の予想通り 入院日額の 10倍で
3千円 × 10 で 三万円でした!
本当にありがたいことです。 お騒がせ致しました。
2007年04月28日
パリ3日目 ヴェルサイユ宮殿
パリ3日目は 自力で行く 「 ベルサイユへのショートトリップ 」です。
ベルサイユへは 往復の交通とベルサイユ宮殿の入場券がセットになっている
「 フォルフェ・シャトー・ド・ベルサイユ 」 という チケットがあると ネットに
のっていたので 前日の 市内を回っているときに いくつかの ところで
聞いてみたのですが どこにも取り扱いがないか 係りの方が そのチケットの
存在を 知らなかったりで 当日まで そのチケットは 入手でませんでした。
朝 コンシェルジュの方に聞いてみたのですがやはりご存じなく 仕方ないので
地下鉄か PER(高速鉄道)の 窓口で 買うことにしました。
PERに乗り換える アンヴァリット駅の窓口に そのチケットの案内ポスターが
はってあったので これで 無事 行けると思ったのもつかの間 その窓口には
観光客の長蛇の列が出来て 皆さん 係りの人に 何か紙を貰って 怪訝そうに
その場を 去っているのです。
皆さん 口々に 「 モンパルナス 」 って言いながら...
いや〜な予感。
チケットは 無事買うことが出来たのですが 私達にも 窓口の方が かなりの
早口で 何か まくし立てていて 1枚のチラシを渡してくれました。
何度も 詳しく聞こうとする娘の言葉をさえぎって その紙に 丸印をつけて
追い払われてしまいました。
よく理解できないまま とにかく モンパルナス駅へ行って 国鉄で行け
と言うことらしいのは分かりましたが 私達が かなり粘って窓口のおじさんと
交渉していたのを見ていたのか 数人の観光客の人達が 私達に 集まってきて
どうする? ってかんじで 質問してくるのです。
多分 工事かなんかで 列車が動かないのでしょう。
パリの電車では 春先はこういう事は良くあるので 別ルートも 事前に調べて
いくように 日本で調べた情報サイトには 載っていたので もう一つのルート
モンパルナスから 国鉄で 行けばいいのでしょう、などど周りの方に教えて
私達は ガイドブックを見ながら 一目散に メトロに乗って モンパルナス駅
まで行き 無事 国鉄に 乗ることが出来ました。
その時に 韓国の方達にも聞かれて モンパルナス駅に行く事は教えたのですが
その方達は 無事 ベルサイユに いけたのかしら? と 途中で 心配に
なりました。
もっと 親切に 一緒に行きましょうと 言っていればよかったかしらと...
とにかく モンパルナス駅は とても広いので 迷わなかったかしらと...
ようやく到着した ベルサイユ・シャンティエ駅です。
ベルサイユ宮殿に行くには3つの駅から行ける方法があるのですが このベルサイユ
・シャンティエ駅からは 宮殿入り口まで たっぷり徒歩20分は かかりました。
途中には ベルサイユ宮殿はこちら みたいな 案内板を持った方達が 要所要所
にいたので やはり 最も近い ベルサイユ・リブ・ゴーシュ駅が 使えないため
こちら経由で来る方が 多いのでしょうか。
とにかく のんびりとした 郊外の町を抜けて ようやく かなたに 宮殿が...
え〜!!!
もの凄い人!
あんなに 並んで
いるよ〜 この
列は切符を持って
いる人の列です。
入場券を持っていない人の列は 噂では 3時間待ちって 言ってました!
やっぱり 途中で 入場券を買ってきてよかった!
持っている人々の列も かなり並んでいましたが 30分ほどで無事入場できました。
このチケットには 日本語のオーディオガイド代や 噴水ショーのあるお庭への
入場料 お庭の先にあるグランドトリアノンなどの 別料金の施設にも入れるので
チケットを それぞれ買う手間が省けて ちょっと 楽でした。
宮殿内部は 礼拝堂、 王の居室、 鏡の間、 王妃の居室と 続きます。
復活祭で休日のせいか どこもすごい人で 写真は 上部しか写せない状態でした。
以前 映画 「 マリー・アントワネット 」 を見ていたので なんだか
とても 親近感があって 一つ一つの説明に うなずいてしまいました。
鏡の間は 後方が修復工事をしていましたが 日中の光を浴びて 反対側の鏡に
光が 反射して とても 荘厳な気分になりました。
映画では あの鏡の廊下を マリーアントワネットは 何度も涙をこらえながら
足早に 歩いていましたね。
お部屋に飾ってある絵も 映画に出ていましたので その状況なども わかって
かなり 楽しめました。 ここを見てから また映画を見ると よけい 細部が
わかって 興味が膨らみますね。
宮殿の 見学の後は トラムに載って 広大なお庭の ずっと先にある
マリーアントワネットが自由に過ごした プチトリアノンまで足を伸ばしました。
このお庭の先にある 愛の神殿と言う 白い建物が マリーアントワネットと
フェルゼン公爵が 愛を 確かめたところだそうです。
このあたりを散歩しているときに またしても とてもステキな 背の高い
2人連れの男性の方達が...
その方達、かなりきわどいご様子で 私達は 見ないようにして 先を急いだ
のですが その先の茂みで じっと その2人を 見ている女性がいるのです。
なになに? あの人! 不審者? と興味津々の私達。
そしたら その女性、 しばらく 2人組を見ていたかと思うと その後
その人達のそばに スーと近寄って なにやら話し始めたのです。
そうなんです! その女性の方、 ガイドさんなのです。
その2人に 何事もなかったように このあたりの説明をしているのです。
へぇ〜 ガイドさんって 大変だね!
この2人の関係を察知して あうんの呼吸で 着かず離れずでガイドしてるんだぁ〜
さすがに 「 愛の神殿 」 だわね、 なんて 感心した私達でした。
かれこれ夕方になったので 心残りですが ベルサイユを後にしました。
ツアーでは 時間が決まってしまいますが 自分達で回ったので ( 道中は
色々ハプニングもありましたが ) ゆっくり 好きな処を見て 好きな処で
休み 大変のんびりと 回ることが出来ました。
さて 帰りは またまた歩いて 行きとは別の駅から 国鉄に乗り 今度は
オペラ座に近い サンラザール駅まで 戻りました。
そのまま 今日の夕食に予定している 地元の人に人気の 「 シャルティエ 」
と言う エスカルゴで 有名な ブラッスリーに 行きました。
娘の職場の方達、推薦のレストランで 活気溢れる店内が 人気のお店です。
6時ちょうどに着いたので 第一陣で 座ることが出来ましたが 2人組は
基本的に相席だそうです。
で、 お隣の方達です!
どうみても 親子ですよね〜
私が 「 ファミーユ? 家族 」 と聞いたら 向こうは 「 アミ! 友人 」
だって、 えっ〜! 友人? うっそ〜
どうみても 親子ですよね〜
何でも 男性の お父さんが レストランをやっていて この女性が そこの
お客さんだとか...
結局 この2人の関係が 以上のような関係だと分かったのは 1時間以上も
話してからでした。
だって 向こうは 英語はわからないって言うし、 こちらも フランス語は
単語程度だし、 本当に 四苦八苦しましたが レストランのメニューや
食べ方なんかも 大変親切に 詳しく 教えてくださいました。
が、 ほとんど 理解できない私でした。
「 旅の指差し会話帳 」 のようなものを もって行きましたが 向こうの
言っている事が分からないので 普通の辞書のほうが 良かったようです。
その男性は リヨンの レストランにお勤めだとかで もう少し近ければ
行ったのにねぇ〜と お互いに 残念がりました。
注文や会計を 紙のテーブルクロスの上に 書くという ( 会計は 直接
テーブルクロスに書いて計算して レジはないんです )
面白いパフォーマンスの このレストランは 「 るるぶ 」 の表紙にも
なっていて 大人気でした。
楽しかったアミたちと 別れを告げて 外にでましたが 7時半で まだ外は
明るくて たくさんの人々で 大賑わいです。
なんだか このまま ホテルに帰るのが もったいないので
「 エッフェル塔 行っちゃう? 」 と私、
「 お母さん、元気だねぇ〜 」 と娘。
...ということで急いで メトロに乗って 八時にエッフェル塔の下に着いた私達!
大勢の観光客が ライトアップする エッフェル塔を 見ています。
そして 少し歩いて セーヌ川クルーズにも 挑戦です。
徐々に 明るくなり始めた エッフェル塔を 眺めながら セーヌ川クルーズ
の列に 並べるほど クルーズ乗り場は エッフェル塔の すぐ下なのです。
こうして 無事 エッフェル塔を見て 1時間のセーヌ川クルーズも 楽しめて
最初に予定していた オプショナルツアー と同じ 行程を 何とか 自力で
回ることが出来ました。
オプショナルツアーでは 一人 16000円くらいでしたが ( 二人で32000円 )
私達の行程は
ベルサイユ( 往復 + 入場料 ) 25.75 ユーロ×2=51.5ユーロ
夕食 シャルティエ 40ユーロくらい
セーヌ川 10ユーロ×2=20ユーロ
帰りのタクシー 11ユーロ
合計 122.5ユーロ 約2万円でした!
本当に 疲れましたが 全て やり終えた自己満足感で なんだか ちょっぴり
快感! でした。
夜は またまた 休足時間の お世話になりました。
ベルサイユへは 往復の交通とベルサイユ宮殿の入場券がセットになっている
「 フォルフェ・シャトー・ド・ベルサイユ 」 という チケットがあると ネットに
のっていたので 前日の 市内を回っているときに いくつかの ところで
聞いてみたのですが どこにも取り扱いがないか 係りの方が そのチケットの
存在を 知らなかったりで 当日まで そのチケットは 入手でませんでした。
朝 コンシェルジュの方に聞いてみたのですがやはりご存じなく 仕方ないので
地下鉄か PER(高速鉄道)の 窓口で 買うことにしました。
PERに乗り換える アンヴァリット駅の窓口に そのチケットの案内ポスターが
はってあったので これで 無事 行けると思ったのもつかの間 その窓口には
観光客の長蛇の列が出来て 皆さん 係りの人に 何か紙を貰って 怪訝そうに
その場を 去っているのです。
皆さん 口々に 「 モンパルナス 」 って言いながら...
いや〜な予感。
チケットは 無事買うことが出来たのですが 私達にも 窓口の方が かなりの
早口で 何か まくし立てていて 1枚のチラシを渡してくれました。
何度も 詳しく聞こうとする娘の言葉をさえぎって その紙に 丸印をつけて
追い払われてしまいました。
よく理解できないまま とにかく モンパルナス駅へ行って 国鉄で行け
と言うことらしいのは分かりましたが 私達が かなり粘って窓口のおじさんと
交渉していたのを見ていたのか 数人の観光客の人達が 私達に 集まってきて
どうする? ってかんじで 質問してくるのです。
多分 工事かなんかで 列車が動かないのでしょう。
パリの電車では 春先はこういう事は良くあるので 別ルートも 事前に調べて
いくように 日本で調べた情報サイトには 載っていたので もう一つのルート
モンパルナスから 国鉄で 行けばいいのでしょう、などど周りの方に教えて
私達は ガイドブックを見ながら 一目散に メトロに乗って モンパルナス駅
まで行き 無事 国鉄に 乗ることが出来ました。
その時に 韓国の方達にも聞かれて モンパルナス駅に行く事は教えたのですが
その方達は 無事 ベルサイユに いけたのかしら? と 途中で 心配に
なりました。
もっと 親切に 一緒に行きましょうと 言っていればよかったかしらと...
とにかく モンパルナス駅は とても広いので 迷わなかったかしらと...
ようやく到着した ベルサイユ・シャンティエ駅です。
ベルサイユ宮殿に行くには3つの駅から行ける方法があるのですが このベルサイユ
・シャンティエ駅からは 宮殿入り口まで たっぷり徒歩20分は かかりました。
途中には ベルサイユ宮殿はこちら みたいな 案内板を持った方達が 要所要所
にいたので やはり 最も近い ベルサイユ・リブ・ゴーシュ駅が 使えないため
こちら経由で来る方が 多いのでしょうか。
とにかく のんびりとした 郊外の町を抜けて ようやく かなたに 宮殿が...
え〜!!!
もの凄い人!
あんなに 並んで
いるよ〜 この
列は切符を持って
いる人の列です。
入場券を持っていない人の列は 噂では 3時間待ちって 言ってました!
やっぱり 途中で 入場券を買ってきてよかった!
持っている人々の列も かなり並んでいましたが 30分ほどで無事入場できました。
このチケットには 日本語のオーディオガイド代や 噴水ショーのあるお庭への
入場料 お庭の先にあるグランドトリアノンなどの 別料金の施設にも入れるので
チケットを それぞれ買う手間が省けて ちょっと 楽でした。
宮殿内部は 礼拝堂、 王の居室、 鏡の間、 王妃の居室と 続きます。
復活祭で休日のせいか どこもすごい人で 写真は 上部しか写せない状態でした。
以前 映画 「 マリー・アントワネット 」 を見ていたので なんだか
とても 親近感があって 一つ一つの説明に うなずいてしまいました。
鏡の間は 後方が修復工事をしていましたが 日中の光を浴びて 反対側の鏡に
光が 反射して とても 荘厳な気分になりました。
映画では あの鏡の廊下を マリーアントワネットは 何度も涙をこらえながら
足早に 歩いていましたね。
お部屋に飾ってある絵も 映画に出ていましたので その状況なども わかって
かなり 楽しめました。 ここを見てから また映画を見ると よけい 細部が
わかって 興味が膨らみますね。
宮殿の 見学の後は トラムに載って 広大なお庭の ずっと先にある
マリーアントワネットが自由に過ごした プチトリアノンまで足を伸ばしました。
このお庭の先にある 愛の神殿と言う 白い建物が マリーアントワネットと
フェルゼン公爵が 愛を 確かめたところだそうです。
このあたりを散歩しているときに またしても とてもステキな 背の高い
2人連れの男性の方達が...
その方達、かなりきわどいご様子で 私達は 見ないようにして 先を急いだ
のですが その先の茂みで じっと その2人を 見ている女性がいるのです。
なになに? あの人! 不審者? と興味津々の私達。
そしたら その女性、 しばらく 2人組を見ていたかと思うと その後
その人達のそばに スーと近寄って なにやら話し始めたのです。
そうなんです! その女性の方、 ガイドさんなのです。
その2人に 何事もなかったように このあたりの説明をしているのです。
へぇ〜 ガイドさんって 大変だね!
この2人の関係を察知して あうんの呼吸で 着かず離れずでガイドしてるんだぁ〜
さすがに 「 愛の神殿 」 だわね、 なんて 感心した私達でした。
かれこれ夕方になったので 心残りですが ベルサイユを後にしました。
ツアーでは 時間が決まってしまいますが 自分達で回ったので ( 道中は
色々ハプニングもありましたが ) ゆっくり 好きな処を見て 好きな処で
休み 大変のんびりと 回ることが出来ました。
さて 帰りは またまた歩いて 行きとは別の駅から 国鉄に乗り 今度は
オペラ座に近い サンラザール駅まで 戻りました。
そのまま 今日の夕食に予定している 地元の人に人気の 「 シャルティエ 」
と言う エスカルゴで 有名な ブラッスリーに 行きました。
娘の職場の方達、推薦のレストランで 活気溢れる店内が 人気のお店です。
6時ちょうどに着いたので 第一陣で 座ることが出来ましたが 2人組は
基本的に相席だそうです。
で、 お隣の方達です!
どうみても 親子ですよね〜
私が 「 ファミーユ? 家族 」 と聞いたら 向こうは 「 アミ! 友人 」
だって、 えっ〜! 友人? うっそ〜
どうみても 親子ですよね〜
何でも 男性の お父さんが レストランをやっていて この女性が そこの
お客さんだとか...
結局 この2人の関係が 以上のような関係だと分かったのは 1時間以上も
話してからでした。
だって 向こうは 英語はわからないって言うし、 こちらも フランス語は
単語程度だし、 本当に 四苦八苦しましたが レストランのメニューや
食べ方なんかも 大変親切に 詳しく 教えてくださいました。
が、 ほとんど 理解できない私でした。
「 旅の指差し会話帳 」 のようなものを もって行きましたが 向こうの
言っている事が分からないので 普通の辞書のほうが 良かったようです。
その男性は リヨンの レストランにお勤めだとかで もう少し近ければ
行ったのにねぇ〜と お互いに 残念がりました。
注文や会計を 紙のテーブルクロスの上に 書くという ( 会計は 直接
テーブルクロスに書いて計算して レジはないんです )
面白いパフォーマンスの このレストランは 「 るるぶ 」 の表紙にも
なっていて 大人気でした。
楽しかったアミたちと 別れを告げて 外にでましたが 7時半で まだ外は
明るくて たくさんの人々で 大賑わいです。
なんだか このまま ホテルに帰るのが もったいないので
「 エッフェル塔 行っちゃう? 」 と私、
「 お母さん、元気だねぇ〜 」 と娘。
...ということで急いで メトロに乗って 八時にエッフェル塔の下に着いた私達!
大勢の観光客が ライトアップする エッフェル塔を 見ています。
そして 少し歩いて セーヌ川クルーズにも 挑戦です。
徐々に 明るくなり始めた エッフェル塔を 眺めながら セーヌ川クルーズ
の列に 並べるほど クルーズ乗り場は エッフェル塔の すぐ下なのです。
こうして 無事 エッフェル塔を見て 1時間のセーヌ川クルーズも 楽しめて
最初に予定していた オプショナルツアー と同じ 行程を 何とか 自力で
回ることが出来ました。
オプショナルツアーでは 一人 16000円くらいでしたが ( 二人で32000円 )
私達の行程は
ベルサイユ( 往復 + 入場料 ) 25.75 ユーロ×2=51.5ユーロ
夕食 シャルティエ 40ユーロくらい
セーヌ川 10ユーロ×2=20ユーロ
帰りのタクシー 11ユーロ
合計 122.5ユーロ 約2万円でした!
本当に 疲れましたが 全て やり終えた自己満足感で なんだか ちょっぴり
快感! でした。
夜は またまた 休足時間の お世話になりました。
2007年04月24日
パリ 2日目 ルーブル美術館〜シャンゼリセ〜マドレーヌ
朝食後 外に出ると パリの朝は肌寒い感じで まだコートが必要でした。
この日から 移動には 地下鉄を使うつもりでしたので 駅で 10枚つづりの
回数券を 購入、 初めての 地下鉄体験となりました。
( 実は 後で分かったのですが 初めてではなかったのです )
地下鉄は どこまで行っても 均一料金で 乗るのには切符は いりますが
出るときは 改札はありません。 それに どの電車も 全く待つこともなく
直ぐ来るし 急行などもありませんし とても 早く 目的地に 着くことが
でき 私達の移動には 大変便利でした。
オペラ駅から ほんの 5分で ルーブル美術館の駅に 到着しました。
私が ルーブルで 一番見たかったのは 「 サモトラケのニケ 」 でした。
これは エーゲ海のサモトラケ島で発見された 勝利の女神 ニケの大理石像です。
この像を 見るのを楽しみに ルーブルを訪れたのですが 帰ってきて 主人に
その事を話したら 何と 新婚旅行のときに 既に 私も 見た!って言うんです。
お〜 なんて お間抜けな私!
「 なんで 言ってくれなかったのよ〜 」 と 主人に詰め寄る わたし。
主人は 「 だって 行く前に 一言も そんなこと言ってなかったじゃない! 」
まったく とほほ...な お話で 主人は 屋根裏部屋から 大昔のアルバムを
出してきてくれ そのときに撮った 写真まで 探し出してきてくれました。
そしたら 地下鉄の ホームで にっこり微笑む 私の写真も...ありました!
新婚旅行では パリは 大雪に見舞われ 飛行機も飛ばない事態に陥り 何と
当初 予定していた 5都市目の アムステルダムには いけず フランスから
船で ドーバー海峡を渡って 出発点の イギリスまで戻ると言う 予定外の
旅程になったほど お天気は 大荒れだったのです。
そんなことで 私も パリについたとたん 体調を崩し ルーブルでは 一目散に
トイレに駆け込み その後は ただ ぼんやりと 回ったので 作品に至っては
あまり 印象にないのです。
そんなやり取りを見て 娘は お父さんがかわいそうだよ〜
新婚旅行の思い出を 全く覚えていない妻 なんて…
本当に お父さん がっかりだねぇ〜 と 主人のかたを持っていました。
( もちろん 美術館に行ったのと ミロのビーナスは さすがに 覚えて
いたんですけどねぇ〜 )
と言うことで 上の写真の真ん中は 主人の撮った 昔の 「 サモトラケの
ニケ 」 です。 飾ってある場所も 変わっていませんね。
私達が入った 開館直後は ほとんど並ばずには入れましたが その後 続々と
混み始め モナリザ以外は 写真が取れるので 人気の絵画や 名像の前では
大勢の方が 写真撮影していました。
私は 1993年に 横浜美術館で 行われた 「 ルーブル絵画展 」 にも行き
それ以前の 1964年の 国立西洋美術館での 「 ミロのビーナス 」 も見に
行きましたが そのどちらの時にも いつかは ルーブル美術館で ゆっくりと
見たいなぁ〜 と思っていたので ミロのビーナスが 現れたときは 感無量
でした。
館内は とにかく広いので 行く前に 館内図を予習して 当日は 娘と二人
ガイドブックを手に 何とか 有名どころの 名画や 名像は 見ることが出来
大満足でした。
モナリザは 意外と小さく やはり 一番人気で 見るのは 流れ作業でした。
ルーブル駅から また 地下鉄で 凱旋門を望める シャンゼリゼまで行きました。
シャンゼリゼ通りから伸びる道の 向こうにある凱旋門を撮ろうと思ったのですが
通りは すごい車の量で 道の真ん中で 写真を撮るなんてことも出来ず 凱旋門
は 真正面からは 見ることは出来ませんでした。
私達は 当初 市内観光を オプショナルで 計画していましたが どこも
車窓から見るだけらしかったので 自力で回ることにしたのです。
通りに立って 凱旋門を眺められただけでも 臨場感があって素晴らしかったです。
三枚目の 写真に写っている 黄色いバスが 乗らなかった 市内観光のバスです。
お昼過ぎのシャンゼリゼ通りは 観光客で溢れ 通り沿いのオープンカフェは
大人気で 沢山の人々が 楽しそうに ティータイムを 過ごしていました。
その後 シャンゼリゼ通りでは ルイヴィトンの本店を 見学したり
チョコレートやさんの メゾンドショコラで 買い物したりして
ジョルジュサンクの ラ・デュレで マリーアントワネットの 大好物の
マカロンを 頂きました。
その後は マドレーヌ寺院駅まで 移動して コンコルド広場をちょっと見て
( ここは 凱旋門から ルーブル宮まで 続く道の間にあり 以前はギロチン台
もあり かつて マリーアントワネットや ルイ16世が 処刑されたところです。
その向こうに 小さく エッフェル塔も 見えます。 )
ブランド通り フォーブルサントノレ通りを 散策しました。
たくさん歩いて 疲れた私達は 一旦 ホテルに帰り 3時に出社しているはずの
ゆきこさんに会おうと思い フロントに向かいましたが 何と ゆきこさんは
体調を崩していて 今日はお休みとの事でした。
私達は この日 8時から レストランを 日本からメールで予約していたの
ですが 予約が取れているのかどうか 連絡がなかったので その事を 日本人
スタッフに 確認していただこうと思っていたのですが いらっしゃらないと
いうことで とても立派な風貌のコンシェルジュの方に お願いしました。
後ほど お部屋で休んでいると コンシェルジュの方から 電話があり 無事
取れていますよ、 とのお返事 早速 着替えて デイナーへ 向かいました。
日本で 色々と レストランを探していたところ とても評判がよく かつお安く
場所も 比較的ホテルから近く そして 何と ドリンク1杯無料の クーポン
がついている レストランを発見したのです。
パリにきてまでも クーポン生活です!
「 16(セーズ)オスマン 」 という カジュアルフレンチのレストランです。
レストランで 名前を告げると ギャルソンに案内されると思いきや なんと
示されたのは 入り口の直ぐ隣の席だったのです。
えぇ〜 まじっすか? 何と その隣も 日本人!
他の席は まだまだ 全然 空いているんですよ〜
だって 本当に 入り口の 直ぐ横なんです。 せっかく予約したのに〜
私は 何も言わずに ここではちょっと、って ゼスチャーをして 奥のほうの
席を指差しました。 向こう側は 喫煙ですが いいの? って スタッフ。
落ち着かないよりいいので 奥まった 席に変えていただきました。
3コースディナーで それぞれ何種類から選べました。
メニューは ネットにも でていたので 困ることはありませんでしたが
やはり 私の考えているのと ちょっと違う お料理もあり う〜ん、
と言うのもありましたが おおむね 美味しく頂きました。
そこでの お隣のテーブルの方達が 中年の 男性同士の カップルでした!
ピンクのセーターに 鮮やかな グリーンのポロシャツという まさしく
お約束どおりの 配色の 洋服を お召しでした。
でも とても 優しそうで ステキな 方達でしたよ!
一日中 歩きつかれた私達は のんびり お風呂に入り 日本から持参した
「 休足時間 」 を貼ってこの疲れを明日に残さないように 眠りにつきました。
この 「 休息( 足 )時間 」 とても 効きました!
あんなに歩き回って 疲れていたのに 翌日の足は スッキリ 快適でした。
毎晩 貼って休みました。
この日から 移動には 地下鉄を使うつもりでしたので 駅で 10枚つづりの
回数券を 購入、 初めての 地下鉄体験となりました。
( 実は 後で分かったのですが 初めてではなかったのです )
地下鉄は どこまで行っても 均一料金で 乗るのには切符は いりますが
出るときは 改札はありません。 それに どの電車も 全く待つこともなく
直ぐ来るし 急行などもありませんし とても 早く 目的地に 着くことが
でき 私達の移動には 大変便利でした。
オペラ駅から ほんの 5分で ルーブル美術館の駅に 到着しました。
私が ルーブルで 一番見たかったのは 「 サモトラケのニケ 」 でした。
これは エーゲ海のサモトラケ島で発見された 勝利の女神 ニケの大理石像です。
この像を 見るのを楽しみに ルーブルを訪れたのですが 帰ってきて 主人に
その事を話したら 何と 新婚旅行のときに 既に 私も 見た!って言うんです。
お〜 なんて お間抜けな私!
「 なんで 言ってくれなかったのよ〜 」 と 主人に詰め寄る わたし。
主人は 「 だって 行く前に 一言も そんなこと言ってなかったじゃない! 」
まったく とほほ...な お話で 主人は 屋根裏部屋から 大昔のアルバムを
出してきてくれ そのときに撮った 写真まで 探し出してきてくれました。
そしたら 地下鉄の ホームで にっこり微笑む 私の写真も...ありました!
新婚旅行では パリは 大雪に見舞われ 飛行機も飛ばない事態に陥り 何と
当初 予定していた 5都市目の アムステルダムには いけず フランスから
船で ドーバー海峡を渡って 出発点の イギリスまで戻ると言う 予定外の
旅程になったほど お天気は 大荒れだったのです。
そんなことで 私も パリについたとたん 体調を崩し ルーブルでは 一目散に
トイレに駆け込み その後は ただ ぼんやりと 回ったので 作品に至っては
あまり 印象にないのです。
そんなやり取りを見て 娘は お父さんがかわいそうだよ〜
新婚旅行の思い出を 全く覚えていない妻 なんて…
本当に お父さん がっかりだねぇ〜 と 主人のかたを持っていました。
( もちろん 美術館に行ったのと ミロのビーナスは さすがに 覚えて
いたんですけどねぇ〜 )
と言うことで 上の写真の真ん中は 主人の撮った 昔の 「 サモトラケの
ニケ 」 です。 飾ってある場所も 変わっていませんね。
私達が入った 開館直後は ほとんど並ばずには入れましたが その後 続々と
混み始め モナリザ以外は 写真が取れるので 人気の絵画や 名像の前では
大勢の方が 写真撮影していました。
私は 1993年に 横浜美術館で 行われた 「 ルーブル絵画展 」 にも行き
それ以前の 1964年の 国立西洋美術館での 「 ミロのビーナス 」 も見に
行きましたが そのどちらの時にも いつかは ルーブル美術館で ゆっくりと
見たいなぁ〜 と思っていたので ミロのビーナスが 現れたときは 感無量
でした。
館内は とにかく広いので 行く前に 館内図を予習して 当日は 娘と二人
ガイドブックを手に 何とか 有名どころの 名画や 名像は 見ることが出来
大満足でした。
モナリザは 意外と小さく やはり 一番人気で 見るのは 流れ作業でした。
ルーブル駅から また 地下鉄で 凱旋門を望める シャンゼリゼまで行きました。
シャンゼリゼ通りから伸びる道の 向こうにある凱旋門を撮ろうと思ったのですが
通りは すごい車の量で 道の真ん中で 写真を撮るなんてことも出来ず 凱旋門
は 真正面からは 見ることは出来ませんでした。
私達は 当初 市内観光を オプショナルで 計画していましたが どこも
車窓から見るだけらしかったので 自力で回ることにしたのです。
通りに立って 凱旋門を眺められただけでも 臨場感があって素晴らしかったです。
三枚目の 写真に写っている 黄色いバスが 乗らなかった 市内観光のバスです。
お昼過ぎのシャンゼリゼ通りは 観光客で溢れ 通り沿いのオープンカフェは
大人気で 沢山の人々が 楽しそうに ティータイムを 過ごしていました。
その後 シャンゼリゼ通りでは ルイヴィトンの本店を 見学したり
チョコレートやさんの メゾンドショコラで 買い物したりして
ジョルジュサンクの ラ・デュレで マリーアントワネットの 大好物の
マカロンを 頂きました。
その後は マドレーヌ寺院駅まで 移動して コンコルド広場をちょっと見て
( ここは 凱旋門から ルーブル宮まで 続く道の間にあり 以前はギロチン台
もあり かつて マリーアントワネットや ルイ16世が 処刑されたところです。
その向こうに 小さく エッフェル塔も 見えます。 )
ブランド通り フォーブルサントノレ通りを 散策しました。
たくさん歩いて 疲れた私達は 一旦 ホテルに帰り 3時に出社しているはずの
ゆきこさんに会おうと思い フロントに向かいましたが 何と ゆきこさんは
体調を崩していて 今日はお休みとの事でした。
私達は この日 8時から レストランを 日本からメールで予約していたの
ですが 予約が取れているのかどうか 連絡がなかったので その事を 日本人
スタッフに 確認していただこうと思っていたのですが いらっしゃらないと
いうことで とても立派な風貌のコンシェルジュの方に お願いしました。
後ほど お部屋で休んでいると コンシェルジュの方から 電話があり 無事
取れていますよ、 とのお返事 早速 着替えて デイナーへ 向かいました。
日本で 色々と レストランを探していたところ とても評判がよく かつお安く
場所も 比較的ホテルから近く そして 何と ドリンク1杯無料の クーポン
がついている レストランを発見したのです。
パリにきてまでも クーポン生活です!
「 16(セーズ)オスマン 」 という カジュアルフレンチのレストランです。
レストランで 名前を告げると ギャルソンに案内されると思いきや なんと
示されたのは 入り口の直ぐ隣の席だったのです。
えぇ〜 まじっすか? 何と その隣も 日本人!
他の席は まだまだ 全然 空いているんですよ〜
だって 本当に 入り口の 直ぐ横なんです。 せっかく予約したのに〜
私は 何も言わずに ここではちょっと、って ゼスチャーをして 奥のほうの
席を指差しました。 向こう側は 喫煙ですが いいの? って スタッフ。
落ち着かないよりいいので 奥まった 席に変えていただきました。
3コースディナーで それぞれ何種類から選べました。
メニューは ネットにも でていたので 困ることはありませんでしたが
やはり 私の考えているのと ちょっと違う お料理もあり う〜ん、
と言うのもありましたが おおむね 美味しく頂きました。
そこでの お隣のテーブルの方達が 中年の 男性同士の カップルでした!
ピンクのセーターに 鮮やかな グリーンのポロシャツという まさしく
お約束どおりの 配色の 洋服を お召しでした。
でも とても 優しそうで ステキな 方達でしたよ!
一日中 歩きつかれた私達は のんびり お風呂に入り 日本から持参した
「 休足時間 」 を貼ってこの疲れを明日に残さないように 眠りにつきました。
この 「 休息( 足 )時間 」 とても 効きました!
あんなに歩き回って 疲れていたのに 翌日の足は スッキリ 快適でした。
毎晩 貼って休みました。
2007年04月21日
パリの合間に...
この モッコウバラの写真を ブログに掲載するのは 今回で2回目になります。
ありがたいことに ブログを始めて 2回目の春ということです。
。。。ということで 久しぶりに 病気ネタです。
今年の 2月に 半年に一度の CTの検査をしました。
おかげさまで CTでは 異常がなかったのですが 診察をしていた先生が
私の首に リンパの腫れを発見! それでよく見てみたら 扁桃腺が腫れている
とのこと、 先生いわく 「 扁桃腺に 再発することが 多いんだよねぇ〜
CTは 5ミリ間隔だから よく見落とすことがあるんだよ、 これは 頭頚科に
いって 細胞診をした方が 良いかもしれないね〜 」
なんて言うんです。
先生の様子では もう大変! とうとう再発か! 位の勢いだったのですが、
「 エェ〜 そうなんですかぁ? 扁桃腺は 以前も腫れているって 言われて
いるんですけど...」 と 一歩も引かない 私。
先生カルテを めくってよく見ると、 「 そうだったねぇ〜 じゃ 様子見
ってことで 次回また。。。 」 って事で 2月の 診察は終わったのです。
私が 診察室を 出ようとしたら、 先生 「 声 かれてない? 」 って、
駄目押しの 一言!
私 「 かれてません! ( プンプン ) 」 またまた 一歩も引かない私。
でも 帰りながら 声のことが心配になって せっかく CTの結果が
よくっても ちっとも 喜べない私で それからずっと なんだか 憂鬱な毎日
を 過ごしていたのです。
この頃 パリ行きの話が出てきて 迷っていた私は こんなことじゃダメだ!と
気分を変えて パリ行きの決断をし 計画を練り始めたのです。
旅行代を 少しでも安く上げるために とうとう 「 変更のきかない予約 」
に 手を出し始めたのです。
飛行機は 便や日にちの 変更はできず 取り消しは 代金の半額を払う
「 JAL悟空 」 を 予約し
ホテルは 予約と同時に カード決済の一切返金なしのタイプを 予約して
融通よりも 経済性を 重視して あえて自分を 鼓舞させていました。
でも 言われてみれば 最近 声がかれ始めていたのです。
家に一人でいると 全く 喋らないので 気付かなかったのですが
家族が帰ってきてから しゃべり始めると 確かに 声が かれているのです。
それに 扁桃腺を良く見ると 白いものが出来ているのです!
きゃぁ〜 とうとうきたか! 再発か!
3月の診察では 先生は そのことを 何もおっしゃらなかったので 私も
飛行機もホテルの予約も しちゃったので これで キャンセルしたら
違約金を たっぷり払わなくてはならないので その日は 何も言わず、
とにかく 全ては 4月の旅行が終わってからだと、 静かに こそこそと
3月の診察を終えたのです。
その後 体調も 特別悪くはなく これが最後になるかもしれないと
堅い決意で臨んだ パリ旅行も 無事 楽しんでくることが出来ました。
そして 翌月曜日の 診察では 先生に 全てを話して 細胞診の予約を
入れてもらうつもりで 決死の覚悟で 病院に向かいました。
主人にも 「 さすがに もし再発していたら 今回で 4回目だから もう
やばいかも 」 と言って 出かけた 私でした。
そして 2時間おしの診察室、 いつもの 調子で 「 どう? なにかある? 」
って先生。
私、 「 あるんですぅ〜 実は...
声がかれてきて 喉に白いものが出来ているんです。 」
「 えっ? 白いもの? どれどれ...
でも 再発では 白いものは出来ないよ〜
それに そうだとしたら もっと 扁桃腺が腫れるし...
ちがうでしょ、 再発ではないよ。 」 って いとも簡単に 言う先生。
「 そんなに心配するんじゃ もう ○○さんには 何も言えないなぁ〜 」
だって...
( えぇ〜 心配させるような事言ったのは 先生じゃん! 心の声 )
こんなやり取りがあって 今回の 「 声かれ事件 」 は あっけなく
幕を閉じたのでした。
相当 心配していた 主人は それがあったので 今回の旅行も 快く許して
くれたのですが この私の 独りよがりの 陳腐な幕切れに ほっとする傍ら
そうとう あきれてもいたようです。
昨日の夜 私が 家族に
「 私の趣味は ( 旅行のこと ) 癖になるからね〜
もっと もっと って 際限なくなるからね〜 」
って 言ったら そろって家族に
「 そうだよ! それに その趣味は お金が かかるから もうやめたほうが
いいかもしれないね! 」 って言われてしまいました。
家族も 今回の 診断で とりあえずは まだ元気らしい? ということが
分かったとたん 急に 現実的に なってきたのです。
もう 再発の治療が終わってから 1年半以上も経つので そろそろわがままも
言えなくなりそうです。
私と おんなじ 旅行好きの バンクーバーさんは 今年は 娘さんと北海道の
旭山動物園の旅、 その後 息子さん ご主人様と 千葉の千倉へのバス旅行、
その後 明太子を買いに 福岡への旅、 そして 明日からは 沖縄 アリビラ
への4日間の旅に 行かれるそうです。
なんて お優しい ご家族 ♪
我家は 最近の 激しい 財政赤字の拡大を 回避するために これからは
緊縮財政路線を 明確に行う任務が 私の前に 立ちはだかっているのです。
我家の 財政再建のためには それも仕方のないことです。 とほほ...
再発をしていない 私には 家族の 誰も 援護はしてくれなさそうです。
一緒にパリに行った 次女でさえ お母さんと行くと お金がかかるから
いやだよ! こんなんじゃ HISで行けばよかったよ! と言われる始末
あんなに 豪華なホテルに 大喜びしていたくせに...
あんたが行こうって言うから 行ったんじゃない! って これも 私の心の声です。
ちなみに 主人の趣味は 「 午睡 」 なんです。
つまり うたた寝って事で...
これは 状況さえ整えば いつでも どこでも 楽しめる趣味で
おまけに 誰も誘うことなく 一人で 楽しむことが出来るのです。
それに 何より お金もかからない、 道具も要らない、 本当に 経済的で
すこぶる 良い趣味です。
...とにもかくにも とりあえず ほっとしている この頃です。
クリスマスローズ様から 春のお庭の
写真が 送られてきました。
本当に 色合いもステキにまとまって
きれいですね〜
たくさんのチューリップがよく同時に
咲いていて すばらしいですね。
よくお手入れをなさっているのでしょう。
我家の庭は 毎年 勝手に咲く花が
大部分を占めているので
どうも このように センスよく
まとめられず ちぐはぐな色合いの
庭になってしまうのです。
また 夏のお庭も見せてくださいね。
ありがとうございました。