2007年03月
2007年03月28日
銀座の個展と 最近のお庭
今日はとても暖かい日でした。
我家との境に咲いている お隣の 「 花海棠(かいどう) 」 です。
すっかり 色も濃く 咲き誇っています。
下の写真の真ん中が その 隣家の花海棠で、 左は 隣家との境の 椿の生垣、
右の写真が 裏庭にある 桃の木です。
この木は 今まで 梅だと思っていましたが どうも 桃らしいということを
昨年 母が 言い出しました。 さて どうでしょうか?
これって もう 30年くらい咲いているのに 今頃気付くなんて のんきな母ですね。
さて ブログの更新が すっかり遅くなり 1週間以上もあいてしまいました。
先週は 友人のお子さんの演奏会、 親戚の お通夜 お葬式、 それから
息子のスーツ購入のためのデパートめぐり、 娘との買い物 息子の卒業式など
出かける用事が 目白押しでした。
息子の卒業式後に
クラブの謝恩会が
行われました。
その時のお土産の
ラクロスの焼印の
お饅頭です。
今週の月曜日は 娘と銀座に 出かけました。
映画「 パリ・ジュテーム 」 を見てから 銀座7丁目にある 「 響 」という
夜は和風ダイニングになるお店の 「 昼の響 おにぎりと旬野菜のブッフェ 」
を頂きました。
店内は 2階構成になっていて ブッフェは上階 下は かなり落ち着ける
暗いムードの 広いテーブル席と お座敷席があります。
上階で お料理を取って 下の階で ゆっくり食べるのが 落ち着くようです。
写真は その 下階に 下りる階段に飾ってある ウイスキーのボトルです。
後ろから 光が当たっていて とても 幻想的でした。
( 触ってみたら しっかりと 接着剤で とめてありました! )
以前 行った時も 混んでいましたが 今回は 1時は過ぎていたにもかかわらず
待っている人も まだまだ多くいて ビックリしました。
なんといっても 税込み千円で 美味しいおにぎりと 和風お惣菜が 食べられます。
もちろん 最後には コーヒーもつくんですよ〜
ランチがメインでない日の ちょこっとした お昼には ぴったりですね。
銀座7丁目 グリーンビル 10,11階です。
この日 銀座に行ったのは もう一つ 重要な用事があったからです。
私が 2回目の入院時 同じ病室で 大変仲良くしていただいた方の 絵の個展が
銀座で 月曜日から 開催されたのです。
いつもお話している 血液内科に 入院したときの 同室の方で エルメスさん
大阪のタバコさん そして この画家さん ( 以前お話した 今まで マクドナルド
を食べたことがない というので 娘が買って差し上げた、あの方です )
の4人で とても 仲良くさせていただいた方の 個展です。
ご実家で 御両親と 住んでいる画家さんは 以前から ご両親様が 芸術に
非常に協力的だ ということで 「 あなたは 絵を書いていればいいのよ 」
とおっしゃっていて 家事をしていないのよ、 と伺ったことが あります。
でも 最近は お母様が ご高齢のため 「 家事もしているのよ〜 」 と
おっしゃっていました。
個展は 入院前に 書き溜めていた水彩画と 退院後に始めた マーカー画が
ありました。
どれも とても きれいな色使いで 心温まる 美しいものでした。
個展は 今回で 8回目で ー雲を描くー というテーマでした。
沢山の ご友人の方や 大学の 先輩や 同輩などの方が ひっきりなしに
訪れていました。
本当は 以前同室だった エルメスさんの お母様と 妹さんと ご一緒に
見に行きたかったので 私が連絡したところ お母様は あれ依頼 まだ一度も
銀座に 足を運んでいないと言うことで 今回も お約束は出来ないとの
お返事を 戴いていました。
( 私達の 病院が 銀座の ごく近くにあったもので お母様は 毎日銀座通い
をしていましたから... )
当日 会場で その話をしていたところ 画家さんの 目が 入り口に...
そしたら なんと そこに エルメスさんの お母様と 妹さんがいらしたのです。
本当に 偶然でした。
個展は 月から 土まで 開催されていましたので 私達と エルメスさんのご家族が
あうなんて 本等に 偶然でした。
お母様は 今日 思い切って 銀座にいらしたのです。
有楽町の駅を出るときは 本当に 体が震えたとおっしゃっていました。
もう その後は 皆で 涙、涙... でした。
エルメスさんの お葬式以来ですから もう 1年4ヶ月ぶりくらいの対面でした。
会場には 同室だった 大阪のタバコさんのお母様からも 大きなお花が届いて
いましたから この会場で 4人が 集まったような気がしました。
きっと エルメスさんが 会わせてくれたのね〜 って 皆で言いました。
そこで 1時間以上 皆で 近況を報告し合いました。
久しぶりに見る お母様と 妹さんは ますます 美しく エルメスさんの名の
とおり 新作の ゴールドの ボリードの バッグを お持ちになっていました。
画家さんは 大勢の お客様に囲まれつつも こちらのお話にも 入ってくださり
申し訳なかったくらいです。
その時の お母様のお話ですが 今 はやっている 「 千の風になって 」
という曲の話になりました。
「 私のお墓の前で泣かないで下さい。 そこに私は いません。
眠ってなんかいません。
千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹き渡っています 」
という歌詞ですが お母様は
「 いつも お墓に行くんだけれど やっぱり あの娘が いるのよね〜
私がお墓に行くと いつでも あの娘はいるのよね〜 」
と おっしゃっていました。
まだ エルメスさんが 元気な時に 赤坂の 全日空ホテルの 裏の坂道で
桜とともに 微笑んでいる エルメスさんの お写真を 見せてもらった事が
ありました。 本当に 美しい きれいな方でした。
去年は 桜を見ると いつも その写真のエルメスさんを 思い出していました。
今年も 家の近くの桜が 今日から きれいに 咲き始めました。
おつかいの 帰り道 今年も 私は エルメスさんを 思い出しました。
やっぱり お母様の言うとおり エルメスさんは いつでも お母様や 妹さんの
そばに いるのでしょう きっと...
最近 私と同じような 病気の方の ブログを いくつか発見しました。
抗がん剤治療を 通院でやっている旅行好きな方は 体調と相談しながら
ハワイに よくいらしています。
また もう一つ発見したブログの方は 私と同じ 悪性リンパ腫の方で 多分
私と 同じ病院かと... だって移植の同窓会のことを かいていましたから。
その方は 治療にかかった費用を かなり克明に記録していて 自分で支払った
費用 ( 総額の3割分 ) の他に かかった総額も きちんと 書いていました。
かなり 治療は ご苦労をされたようで 総額は 2000万を ゆうに超えていました。
私も そのときは 一応 小さなノートに 病院に 支払った金額を つけて
いましたが 退院以降 改めて計算することもなく 保険金が入ってきたら
旅行に行ったり 買い物したりと ずるずると使ってしまい トホホ状態です。
これは 見習わなくてはいけませんね。
私は 現在は 子どもを通しての友人が 大半ですので 息子が 大きくなってからは
新しい お友達は もう増えないだろうと 思っていました。
でも 病気をしたことで また 良い人々に めぐり合え 不思議なご縁を
感じています。
こんな私ですが 私が 上記の お二方のブログを見て 元気を貰っているように
私のブログをみて 少しでも 元気になってもらえる方が いればいいなぁ〜と
いつも 思って 書いています。
我家との境に咲いている お隣の 「 花海棠(かいどう) 」 です。
すっかり 色も濃く 咲き誇っています。
下の写真の真ん中が その 隣家の花海棠で、 左は 隣家との境の 椿の生垣、
右の写真が 裏庭にある 桃の木です。
この木は 今まで 梅だと思っていましたが どうも 桃らしいということを
昨年 母が 言い出しました。 さて どうでしょうか?
これって もう 30年くらい咲いているのに 今頃気付くなんて のんきな母ですね。
さて ブログの更新が すっかり遅くなり 1週間以上もあいてしまいました。
先週は 友人のお子さんの演奏会、 親戚の お通夜 お葬式、 それから
息子のスーツ購入のためのデパートめぐり、 娘との買い物 息子の卒業式など
出かける用事が 目白押しでした。
息子の卒業式後に
クラブの謝恩会が
行われました。
その時のお土産の
ラクロスの焼印の
お饅頭です。
今週の月曜日は 娘と銀座に 出かけました。
映画「 パリ・ジュテーム 」 を見てから 銀座7丁目にある 「 響 」という
夜は和風ダイニングになるお店の 「 昼の響 おにぎりと旬野菜のブッフェ 」
を頂きました。
店内は 2階構成になっていて ブッフェは上階 下は かなり落ち着ける
暗いムードの 広いテーブル席と お座敷席があります。
上階で お料理を取って 下の階で ゆっくり食べるのが 落ち着くようです。
写真は その 下階に 下りる階段に飾ってある ウイスキーのボトルです。
後ろから 光が当たっていて とても 幻想的でした。
( 触ってみたら しっかりと 接着剤で とめてありました! )
以前 行った時も 混んでいましたが 今回は 1時は過ぎていたにもかかわらず
待っている人も まだまだ多くいて ビックリしました。
なんといっても 税込み千円で 美味しいおにぎりと 和風お惣菜が 食べられます。
もちろん 最後には コーヒーもつくんですよ〜
ランチがメインでない日の ちょこっとした お昼には ぴったりですね。
銀座7丁目 グリーンビル 10,11階です。
この日 銀座に行ったのは もう一つ 重要な用事があったからです。
私が 2回目の入院時 同じ病室で 大変仲良くしていただいた方の 絵の個展が
銀座で 月曜日から 開催されたのです。
いつもお話している 血液内科に 入院したときの 同室の方で エルメスさん
大阪のタバコさん そして この画家さん ( 以前お話した 今まで マクドナルド
を食べたことがない というので 娘が買って差し上げた、あの方です )
の4人で とても 仲良くさせていただいた方の 個展です。
ご実家で 御両親と 住んでいる画家さんは 以前から ご両親様が 芸術に
非常に協力的だ ということで 「 あなたは 絵を書いていればいいのよ 」
とおっしゃっていて 家事をしていないのよ、 と伺ったことが あります。
でも 最近は お母様が ご高齢のため 「 家事もしているのよ〜 」 と
おっしゃっていました。
個展は 入院前に 書き溜めていた水彩画と 退院後に始めた マーカー画が
ありました。
どれも とても きれいな色使いで 心温まる 美しいものでした。
個展は 今回で 8回目で ー雲を描くー というテーマでした。
沢山の ご友人の方や 大学の 先輩や 同輩などの方が ひっきりなしに
訪れていました。
本当は 以前同室だった エルメスさんの お母様と 妹さんと ご一緒に
見に行きたかったので 私が連絡したところ お母様は あれ依頼 まだ一度も
銀座に 足を運んでいないと言うことで 今回も お約束は出来ないとの
お返事を 戴いていました。
( 私達の 病院が 銀座の ごく近くにあったもので お母様は 毎日銀座通い
をしていましたから... )
当日 会場で その話をしていたところ 画家さんの 目が 入り口に...
そしたら なんと そこに エルメスさんの お母様と 妹さんがいらしたのです。
本当に 偶然でした。
個展は 月から 土まで 開催されていましたので 私達と エルメスさんのご家族が
あうなんて 本等に 偶然でした。
お母様は 今日 思い切って 銀座にいらしたのです。
有楽町の駅を出るときは 本当に 体が震えたとおっしゃっていました。
もう その後は 皆で 涙、涙... でした。
エルメスさんの お葬式以来ですから もう 1年4ヶ月ぶりくらいの対面でした。
会場には 同室だった 大阪のタバコさんのお母様からも 大きなお花が届いて
いましたから この会場で 4人が 集まったような気がしました。
きっと エルメスさんが 会わせてくれたのね〜 って 皆で言いました。
そこで 1時間以上 皆で 近況を報告し合いました。
久しぶりに見る お母様と 妹さんは ますます 美しく エルメスさんの名の
とおり 新作の ゴールドの ボリードの バッグを お持ちになっていました。
画家さんは 大勢の お客様に囲まれつつも こちらのお話にも 入ってくださり
申し訳なかったくらいです。
その時の お母様のお話ですが 今 はやっている 「 千の風になって 」
という曲の話になりました。
「 私のお墓の前で泣かないで下さい。 そこに私は いません。
眠ってなんかいません。
千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹き渡っています 」
という歌詞ですが お母様は
「 いつも お墓に行くんだけれど やっぱり あの娘が いるのよね〜
私がお墓に行くと いつでも あの娘はいるのよね〜 」
と おっしゃっていました。
まだ エルメスさんが 元気な時に 赤坂の 全日空ホテルの 裏の坂道で
桜とともに 微笑んでいる エルメスさんの お写真を 見せてもらった事が
ありました。 本当に 美しい きれいな方でした。
去年は 桜を見ると いつも その写真のエルメスさんを 思い出していました。
今年も 家の近くの桜が 今日から きれいに 咲き始めました。
おつかいの 帰り道 今年も 私は エルメスさんを 思い出しました。
やっぱり お母様の言うとおり エルメスさんは いつでも お母様や 妹さんの
そばに いるのでしょう きっと...
最近 私と同じような 病気の方の ブログを いくつか発見しました。
抗がん剤治療を 通院でやっている旅行好きな方は 体調と相談しながら
ハワイに よくいらしています。
また もう一つ発見したブログの方は 私と同じ 悪性リンパ腫の方で 多分
私と 同じ病院かと... だって移植の同窓会のことを かいていましたから。
その方は 治療にかかった費用を かなり克明に記録していて 自分で支払った
費用 ( 総額の3割分 ) の他に かかった総額も きちんと 書いていました。
かなり 治療は ご苦労をされたようで 総額は 2000万を ゆうに超えていました。
私も そのときは 一応 小さなノートに 病院に 支払った金額を つけて
いましたが 退院以降 改めて計算することもなく 保険金が入ってきたら
旅行に行ったり 買い物したりと ずるずると使ってしまい トホホ状態です。
これは 見習わなくてはいけませんね。
私は 現在は 子どもを通しての友人が 大半ですので 息子が 大きくなってからは
新しい お友達は もう増えないだろうと 思っていました。
でも 病気をしたことで また 良い人々に めぐり合え 不思議なご縁を
感じています。
こんな私ですが 私が 上記の お二方のブログを見て 元気を貰っているように
私のブログをみて 少しでも 元気になってもらえる方が いればいいなぁ〜と
いつも 思って 書いています。
2007年03月18日
自由が丘中華と お台場散策
息子の 高校卒業祝いを ( まだ 卒業式は終わっていないのですが 家族全員が
そろった土曜日だったので ) 息子の好きな 自由が丘の 「 状元楼 」 で
行い お得意の 中華三昧と 相成りました。
今回 初めて食べた メニューの紹介です。
ソフトシェルクラブの炒め物は 前回も食べたのですが その時は 余り辛くしないで
といったような... 今回は あえて何も言わなかったので すごく辛くて 食べるのに
難儀致しました。
このほかにも 海鮮おこげや ふかひれ麺など お腹いっぱい 食べ倒し
大食漢揃いの 我家らしさに溢れた ステキな 卒業祝いの会?に なりました。
先日 私が入っている 趣味の会の 春の集まりが お台場でありました。
以前もお話した 可愛いゴーの 会長さんの 例の会です。
今回は お台場の ホテル・クランパシフィックメリディアンで お昼を 頂き
ましたが その前に お部屋を 少し見せていただきました。
見せていただいたお部屋は スタンダードの ツインルーム、 コーナースイート、
スイートルームの 3室です。 写真は スイートルームです。
どのお部屋も 素晴らしい景色が まるで 絵画のようにみえる 大きな窓が
あって とても 明るい 見晴らしの良い 造りになっていました。。
特に スイートの お部屋は ベッドの枕上が 小さな舞台のようになっていて
カーテンが あくと 小人が出てきて 小粋な オペレッタでも 踊るかのように
思われるほど ゴージャスな 緞帳仕立て?の つくりでした。
また 広いお部屋の隅には デスクや 会議をするであろう お部屋もあって
「 ホテリアー 」 の シン・ドンヒョク でも 居そうな 雰囲気 満載でした。
「 ホテリアー 」 ドラマ はじまりますよね〜
どこのホテルが 舞台なんでしょうね。
この写真が お部屋の 窓から 見える 景色です。
お昼は 寿司、てんぷら処 「 大志満 」 で お寿司、てんぷら両方楽しめる
セットを頂きました。
みょうがの天ぷらや 貝のお寿司 長イモののり巻きなど 春らしい おご馳走でした。
お昼の後は 隣の ホテル日航東京に お席を移して 「 ベランダ 」 で
「 梅の アフタヌーンティー 」 を頂きました。
お外では 結婚式の カップルが 写真を撮っていましたが 花嫁さんは
金襴緞子の衣装でしたが なんと 髪型は 日本髪ではなく 普通のアップ髪でした。
最近では このようなスタイルが 流行っているのでしょうか。
なんだか ハリウッド映画の中の 日本人のようで ちょっと 違和感がありました。
隣の写真は かつて 次女の中高の時代 役員をしたメンバーとの お食事会が
横浜の 山手十番館で 行われ そのときの デザートです。
この学校の役員は 先生からの ご指名で、 私は 娘が高3の時に 引き受けました。
そして 高3で 役員を引き受けると 通常の 役員業務 のほかに 卒業式後の
謝恩会の役員も 自動的についてくるという ( これって 嬉しくないですよね〜 )
かなり 責任重大な 役員で 本当に 大変でしたが 終わってみると 皆さん
との絆が生まれ 卒業して 7年も経つのに こうして お集まりを持てるなんて
幸せなことだと 実感しました。
この日の会は 中1から 高3までの 厚生委員会の メンバーの集まりで
当時 中1だったお嬢様も 既に皆さん 大学生に なっているのです。
このメンバーは 本等に 賢いママのお集まりで 最初の頃は 私の お得意の
欧米かっ! なんていう 展開には 全然ならない お話の 連続でしたが
(何せ 最近、はまっているもの なんていう話題では オペラ鑑賞なんて方が
二人もいたくらいですから )
でも話が 進んでくるにつけ 「 クイズへキサゴン 」 の里田まいちゃんが
可愛い なんていう話になり 私も しっかり ついていけました。
大桑マイミちゃんも 可愛いね!って、 皆さんの意見でした。
やはり 女性は 可愛い子が いいねって話しで 就職も 総合職は やばいね、
結婚には 一般職がいいね なんて お話で 盛り上がりました。
だって このメンバーの中で 誰一人 結婚しているお嬢さんは いなかったのです。
これは 本当に 困った話で 私以外の皆さんも 心を痛めている様子でした。
幸せが溢れる色合いの 春の花束の写真です。
今年は暖かいので 春の花も 例年以上に 色合いが 鮮やかな 気がします。
我家の庭の チューリップのつぼみも 殆ど咲きそうに 大きくなってきています。
以前 お庭で咲いた クリスマスローズの写真を 送ってくださった ローズさん
の お庭では 昨年 200球もの チューリップの球根を 植えられたそうです。
お互い 春のお庭が 楽しみですね。
そろった土曜日だったので ) 息子の好きな 自由が丘の 「 状元楼 」 で
行い お得意の 中華三昧と 相成りました。
今回 初めて食べた メニューの紹介です。
ソフトシェルクラブの炒め物は 前回も食べたのですが その時は 余り辛くしないで
といったような... 今回は あえて何も言わなかったので すごく辛くて 食べるのに
難儀致しました。
このほかにも 海鮮おこげや ふかひれ麺など お腹いっぱい 食べ倒し
大食漢揃いの 我家らしさに溢れた ステキな 卒業祝いの会?に なりました。
先日 私が入っている 趣味の会の 春の集まりが お台場でありました。
以前もお話した 可愛いゴーの 会長さんの 例の会です。
今回は お台場の ホテル・クランパシフィックメリディアンで お昼を 頂き
ましたが その前に お部屋を 少し見せていただきました。
見せていただいたお部屋は スタンダードの ツインルーム、 コーナースイート、
スイートルームの 3室です。 写真は スイートルームです。
どのお部屋も 素晴らしい景色が まるで 絵画のようにみえる 大きな窓が
あって とても 明るい 見晴らしの良い 造りになっていました。。
特に スイートの お部屋は ベッドの枕上が 小さな舞台のようになっていて
カーテンが あくと 小人が出てきて 小粋な オペレッタでも 踊るかのように
思われるほど ゴージャスな 緞帳仕立て?の つくりでした。
また 広いお部屋の隅には デスクや 会議をするであろう お部屋もあって
「 ホテリアー 」 の シン・ドンヒョク でも 居そうな 雰囲気 満載でした。
「 ホテリアー 」 ドラマ はじまりますよね〜
どこのホテルが 舞台なんでしょうね。
この写真が お部屋の 窓から 見える 景色です。
お昼は 寿司、てんぷら処 「 大志満 」 で お寿司、てんぷら両方楽しめる
セットを頂きました。
みょうがの天ぷらや 貝のお寿司 長イモののり巻きなど 春らしい おご馳走でした。
お昼の後は 隣の ホテル日航東京に お席を移して 「 ベランダ 」 で
「 梅の アフタヌーンティー 」 を頂きました。
お外では 結婚式の カップルが 写真を撮っていましたが 花嫁さんは
金襴緞子の衣装でしたが なんと 髪型は 日本髪ではなく 普通のアップ髪でした。
最近では このようなスタイルが 流行っているのでしょうか。
なんだか ハリウッド映画の中の 日本人のようで ちょっと 違和感がありました。
隣の写真は かつて 次女の中高の時代 役員をしたメンバーとの お食事会が
横浜の 山手十番館で 行われ そのときの デザートです。
この学校の役員は 先生からの ご指名で、 私は 娘が高3の時に 引き受けました。
そして 高3で 役員を引き受けると 通常の 役員業務 のほかに 卒業式後の
謝恩会の役員も 自動的についてくるという ( これって 嬉しくないですよね〜 )
かなり 責任重大な 役員で 本当に 大変でしたが 終わってみると 皆さん
との絆が生まれ 卒業して 7年も経つのに こうして お集まりを持てるなんて
幸せなことだと 実感しました。
この日の会は 中1から 高3までの 厚生委員会の メンバーの集まりで
当時 中1だったお嬢様も 既に皆さん 大学生に なっているのです。
このメンバーは 本等に 賢いママのお集まりで 最初の頃は 私の お得意の
欧米かっ! なんていう 展開には 全然ならない お話の 連続でしたが
(何せ 最近、はまっているもの なんていう話題では オペラ鑑賞なんて方が
二人もいたくらいですから )
でも話が 進んでくるにつけ 「 クイズへキサゴン 」 の里田まいちゃんが
可愛い なんていう話になり 私も しっかり ついていけました。
大桑マイミちゃんも 可愛いね!って、 皆さんの意見でした。
やはり 女性は 可愛い子が いいねって話しで 就職も 総合職は やばいね、
結婚には 一般職がいいね なんて お話で 盛り上がりました。
だって このメンバーの中で 誰一人 結婚しているお嬢さんは いなかったのです。
これは 本当に 困った話で 私以外の皆さんも 心を痛めている様子でした。
幸せが溢れる色合いの 春の花束の写真です。
今年は暖かいので 春の花も 例年以上に 色合いが 鮮やかな 気がします。
我家の庭の チューリップのつぼみも 殆ど咲きそうに 大きくなってきています。
以前 お庭で咲いた クリスマスローズの写真を 送ってくださった ローズさん
の お庭では 昨年 200球もの チューリップの球根を 植えられたそうです。
お互い 春のお庭が 楽しみですね。
2007年03月11日
最近の私 と 移植の同窓会
珍しく 平日 代休を取った娘が 六本木の美容室に 午後から行くというので
もう、お休みに入っている 息子と3人で 以前から 家族に 勧めていた
六本木の福鮨に ランチに 行ってきました。
子ども達は ちらし寿司、 私は 握り鮨ランチ ともに 2625円です。
このほか 茶碗蒸し、 小鉢、 サラダがつきます。
デザート、珈琲は 別室の バリバリ夜の雰囲気満載の ラウンジでいただきました。
2枚目の 写真は 中華街の 「 梅蘭 」 の 焼きそばです。
訪れた日は 休日だったので 列がかなり出来ていて ゆうに30分以上は
待ちました。
焼きそばの 麺が しっかり焼いてあって 中に あんかけの具が 入っています。
皆さん これを注文していましたが 結構 量があるので これを 人数分頼むと
かなり 大変です。
私たちは これに 牛肉やきそばと 小ロンポウを頼みましたが 案の定 食べきれず
もったいないことをしました。
この 私たちの頼んだメニューで 3人は いけそうです。
続いて みなとみらいの 見晴らしの良い マンションに住んでいる 友人宅を
訪問したときの ベランダからの 景色です。
この時に ちょうど テレビの お昼のワイドショーで 中華街の特集を やっていて
梅蘭の 焼きそばも 紹介されて いました。
テレビの 放映の後は ますます 混んでしまいますね。
息子が 春休みを利用して 友人と行ったハワイの写真です。
知り合いの お嬢さんが 案内をしてくださり 色々と 北のビーチなども
回ったそうです。
なんと そのお嬢さんは 息子より 年下の 高校生なんですが ショートパンツ
に ビーサン、サングラスで 車を乗り回していて まさしく ビバリーヒルズ
高校生白書のようで スゴーク かっこよかったそうです。
この3枚の写真は 私の 旅好き3人組の 一人 バンクーバーさんの 写真です。
この写真は もう 随分前に 頂いていたのですが 容量が大きくて なかなか
思うサイズに 圧縮できず こんな時期になってしまいました。
次回の 旅のご予定は 「 函館の朝市見学 」 だそうです。
ご夫妻の 旅が終わったら また お話を聞くのを 楽しみにしています。
この スケールの大きな写真は ドバイでお世話になった 幸子さんが 休暇で
ご友人の方といらした アフリカ、ケニアでの キリマンジャロと 象です。
こんなに 至近距離で 写真が 撮れるのですかねぇ〜
すごいですよね。 こんなに キレイに 山と 象が 撮れるなんて めったに
ないのではないでしょうか?
時間がゆっくりと流れて さぞ のんびりされたことでしょう。
みなさま ステキな写真を ありがとうございました。
3月3日は 以前お話していた
「 移植1000人の同窓会 」 に行ってきました。
実は この パーティが 行われた ホテルは
私達が29年前に結婚式を挙げたホテルなのです。
もちろん そのことは 知ってはいましたが
ホテルに行く途中 坂を上っていた時 突然
昔の記憶が 甦ってきて なんだか自分でも ビックリしました。
ホテルは 昔のままでした。
クラシックな感じで このような催しには ピッタリの 雰囲気です。
受付には 移植の時の 私の担当の看護師さんが いらしたし、 毎朝の 検温
や 採血で お世話になった 看護師さんもいらしたので 私が 元気で
過ごしていることを お話しました。
そして 移植病棟に入院中 同室だった方の 今日の出欠を お聞きしましたが
看護師さんは 首を振っていましたので その後の お話は 聞けませんでした。
この日の 出席は 総勢 350人くらいで、 患者さんと ご家族の方あわせて
260人と いっていましたので 患者さんは 百人くらい だったのでしょうか。
後は 歴代の 移植病棟の 看護師さんと 先生方 病院の関係者の方達で
会場は 随分と にぎわっていました。
皆さん とても お元気そうなので どの方が 患者さんなのか ご家族なのか
看護師さんなのか 全く 見分けがつきませんでした。
私のことも 看護師さんたちは 「 うわ〜 お元気そうね。
ご家族の方 だと思ったわ 」 なんて 嬉しいことを 言ってくださいました。
会の はじめに 黙祷をささげ その後 ホテル特製の 体に良い 美味しいお料理を
頂きながら 何人か 偉い先生方の ご挨拶がありました。
( 私は 移植病棟に行く前に 同室だった 今はなき エルメスさんや
大阪からいらしていた タバコ好きな方と 過ごした あの夏の日を思い出し
少し 涙が出ました。 )
ご挨拶の後は 移植を受け、すっかり元気になった方達が 壇上に上がり 次々と
お話を されました。
この病院での移植は 1983年くらいから まず 小児病棟で 始まったそうで
なんと 最初に この病院で 移植をうけた方が 今日も元気に 出席なさって
ご挨拶されていました。
そのほか アメリカからの 骨髄の提供が 始まって 第一番目に 輸入骨髄
での 移植をされた方の お話がありました。
その方の感想では ビニール袋に入っている 骨髄液の 上部が 真っ白に
なっていたので 先生にお聞きしたら 何と それは 脂肪 だということで
ビックリ されたそうです。
現在は お子様も お二人いて とても お元気そうでしたが アメリカ骨髄
のせいでしょうか? 少し 肥満気味? と 会場を 沸かせていました。
また その当時 46歳で 年齢的に 治療は 厳しいとされていた 患者さんは
いくつかの病院で もう スベはありません、 身の回りの整理を してください
と 宣告を 受けたそうでしたが この病院で 移植を受け 今もお元気で
壇上に たたれていました。
移植をする時には ご実家である 沖縄の島から 何人も 応援に見えたり
また 毎日新聞の 取材も受け 新聞に載ったとも お話されていました。
次の方は ご夫婦それぞれが 移植を受け テレビの 公共広告機構 ( AC ) の
骨髄バンクの CMに 出られた方でした。
移植がご縁で お知り合いになったのでしょうか? お二人とも 本当にお幸せそうで
私達の励みになる 思いを 会場の皆さんに 伝えてくださいました。
その後も 子どもの頃に移植した方が お話になり 最近 ご結婚なされたとの
報告があり 会場から 奥様も 壇上に上がられ 大きな拍手が 沸きあがりました。
現在 この 病院には ここで移植を受けた患者さんの 会があって そのお世話役を
やっている方も お話されましたが 皆さんの お元気な 姿に 感無量という
感じでした。
私も 皆さんの お話を聞きながら 何度も 涙をぬぐい また 笑い
今 ここにいられる 幸せを 感謝しました。
そのほかの 皆さんのお話からも 治療中は さぞ お辛い思いも されたこと
でしょうが そのようなお話は全くなく 前向きな 今を生きる 明るい お話
ばかりでした。
周りの 皆さんに 助けられ 励まされ 何より 見ず知らずの方のご好意により
( 骨髄提供者とは お手紙で お礼をする 以外は 接触がないそうです )
今を 生かされているという 使命感のようなものが伝わってくる お話の数々でした。
その後 昔の 移植病棟の 様子を スライドを交え 看護師さんから お話が
ありました。
この病院は 10年弱前に 新病棟ができ それ以降は 快適な
入院生活がおくれますが それ以前は とても大変だった様子が 披露されました。
今は この移植のフロアー自体が 全て 無菌室仕様になっていますが
以前は それを 保つのが とても大変のようでした。
次に 婦長さんのお話もありました。
この婦長さんは 15年間 移植病棟にいらした方で 私もお世話になりました。
婦長さんの 印象的な思い出は 9.11のときに 骨髄の 提供が 遅れ 皆で
心配したこと、 また 届いたときは 本当に嬉しかった事など お話されていました。
また 婦長さんは 患者さんの 移植当日に お写真を 撮ってくださり
その お写真を くださるのです。 これを 15年間も 続けてこられたそうです。
自分以外の方から 移植を受けた方は 血液型も 変わるので この日が
第2の お誕生日に なるのです。
そう思うと 性格も 少しは変わるのかも知れませんね。
( 医学的には 変わらないとの事ですが... )
このような 心使いが 患者さんを 支えてくださっているということが よく
分かりました。 婦長さん 本当に ありがとうございました。
会場の 後ろの壁には 今日 来られなかった方や 家族の方からの お手紙や
メール インターネットの 動画など 展示されていました。
看護師さんたちは 以前の 患者さんたちと こうして お酒が飲めるなんて
本当に 夢のようだと 感激していました。
私の入院中 病室の担当だった 若い お医者様にも お会いする事ができました。
この先生は 私が 最初いた病棟の 病室担当の先生で その後 私が 移植病棟
に移り 私が退院した後に 先生も 移植チームに 移られたのです。
私は その先生は 今頃は もう アメリカに 行ってらっしゃると 思って
いましたが この病院での 研修が 長引き この3月まで 勤務なさるそうです。
嬉しいことに 私の ことも 良く覚えていてくださり
顔も とてもきれいになりましたね、 とか ( 抗がん剤の 副作用で
色素沈着がおき ホホのあたりが 真っ黒になってしまったのです )
腰の具合はいかがですか? とか
腕に出来た 湿疹は その後 どうでしたか?
なんて 私が すっかり忘れていることまで 覚えていてくださり 感激しました。
また 先生の担当の もう一人の 同室だった患者さんのことを 私が
「 お元気で 今度 銀座で 絵の個展を するのですよ 」 と報告したら
とても 喜んでくださいました。
私が 「 以前 お聞きした、 地元でお付き合いしていた 女医さんとは
その後 どうなりましたか? 」 とお聞きしたら
「 ふられました... 」 とおっしゃっていました。 ( 気まず〜... )
最後に 皆さん 全員で 会場の真ん中に集まり 集合写真を撮って お開きに
なりました。 あまり お知り合いには 会えませんでしたが 皆さんの
お元気な パワーを頂き 心温まる ひと時でした。
次回の開催は 移植を 受けた人が 2000人になった時だそうです。
これからは 医学も進歩しているので 10年も かからず 実現するでしょう。
ますます 移植の 技術が 発展するよう 願いながら ホテルの前で 夫婦で
結婚29年の記念写真を撮り 家路に向かいました。
2007年03月04日
カンボジア帰国編
長い間 お付き合いいただいた ベトナム〜カンボジアの旅行記も これが
最終回 です。
今回 私達が 見学した アンコールの 地図です。
初日は 地図の真ん中にある タ・ケウ〜 アンコール・トム、
二日目は アンコールワット 〜 プラサットクラバン、バンテアイクデイ、
タプロムを 回りました。
アマンサラでは この後 滞在に余裕のある方向きには バンテアイスレイや
ロリュオス トレンサップ湖など 回る ツアーを 用意してありました。
帰国日の 夕方の観光の後は シャワーを浴びる事もでき のんびり お茶を飲んだり
荷物の整理が出来たりと 6時半頃まで お部屋を使わせていただき 本当に
ありがたかったです。
それに 1日2回の観光つきなのに 私たちは 計5回も 連れて行っていただき
ガイドさん 運転手さんとも お別れの時には とても 淋しい思いがしました。
ホテルで よく私たちに お声をかけてくださった レセプション担当の?
副GMの方は 日本にも 何度かいらしたことがあるそうで 伊豆の 「 あさば 」、
京都では 「 ハイアット・リージェンシー 」 に お泊りになったとの
事で 三十三間堂が お気に入りだったそうです。
それから レストランで 私たちに メニューの説明をしてくださった方は
なんと シェフではなく GMさん でした。
( 途中で MIKIさんに お聞きして分かりました! )
このお二人は ゲストの方達に 積極的に お声をかけて 楽しんでいるか、
何かサービスで 不足はないか? リクエストはないか? などと 細かく 私達
の滞在を フォローしてくださいました。
言葉が うまく伝えられない 私にも 優しい言葉で 何度も 話しかけて下さり
とても 居心地の良い思いを することが出来ました。
行く前は スノッブなゲストばかりだったら どうしようと 私は 緊張して
いましたが 思ったほど 若い方は いらっしゃらなくて
( すいている この時期が 良かったのでしょうか )
かなり 年配の カップルが多く 私たちは むしろ若い方でした。
ヨーロッパの方達が 多いみたいで アジアの方は 私たちの他 台湾の方が
もう1グループ いらっしゃいました。
また やはり カップルの方中心で 私が見た限りでは ファミリーの方は1組
また 男性同士のカップルが 1組いらっしゃいました。
さて いよいよ 清水から飛び降りる時間です!
アマンサラ滞在費の 計算をしていただきました。
1泊 室料 675ドル + 観光食事代、1人 75ドル× 2人分 = 825ドル
825ドル × 2日分 = 1650ドル
それに サービス料 10%、 税金 13.42%
アンコール遺跡入場料 ひとり 40ドル 2人分80ドル。
全てあわせて 2人分で 26万円強でした。
つまり 税金とサービス料で 23.42%も かかるので これが 清水の
原因ですね。
日本だと サービス料10% 税金5% 計15%なので この 23.42%
は 知ってないと ビックリする高さ ですよね〜
特に 税金は 今年、上がったばかりで また 今年の11月からは ホテルの
観光食事代も 一人 85ドルに 値上がるそうです。
帰りの空港では 1時間くらい 出発が遅れたので
一人10ドルで 足つぼマッサージを 受け
この後 乗り換えの地 ベトナムに向かいました。
さて ベトナムから 私達は 何と ビジネスクラスを 利用させていただきました。
実は これ ベトナム航空が 旅行社向けの 販促企画として出しているもので
夫婦あわせて 100歳以上で 同じ旅程で 行動することを条件に ビジネスクラス
を片道25000円で 提供してくれる というものなのです。
最初 これは 私が 各旅行社の ベトナムパンフレットで 見つけたのですが
各社 値段が まちまちで 一番安い設定だったのが 片道25000円でした。
早速 今回旅行を頼んだ クラブワールドに 問い合わせしたところ 担当の方が
気持ちよく そのお値段で 交渉してくださり めでたく ビジネス機上の 夫婦
となったわけです。
夜の12時発だったので ステキな機内では 余りお楽しみは ありませんでしたが
何より 足を伸ばせて 眠れるので 疲れも 半減です。
お土産に スカーフを頂き 豪華な 朝食も頂き ( この写真の他に フォーも
出ました ) 優雅に お目ざめ できました。
長かった ベトナム〜カンボジアの 6日間の旅 ようやく 完結いたしました!
今回は 見物が多かったので 写真も沢山あり 整理に手間取りました。
本当に長い間 お付き合いいただきまして ありがとうございます。
以下は 今回の旅行中の ステキな写真です。
左の アプサラ ( 天女 ) は歯を出して笑っています。
歯を出した 天女の レリーフは これだけだそうです。
右の 睡蓮の蕾には トンボがとまっていました。
夜のプレゼント、
ジャスミンの蕾で作った
香りの 花輪です。
この上智大学の 遺跡修復の 看板は アンコールワットで見たものです。
ここに書かれている LVは 「 Lux Veritatis = 真理の光 」 と 主人が
教えてくれました。
このように 遺跡の修復、調査には さまざまな国が 関わっていて フランス
インド ドイツなどと共に 日本も ずいぶんと 協力しているのが 伺えました。
k
アマンサラ 滞在中に GMの方達は 次に どこに 行きたいですか?
と 聞いてきました。
私は アマンを知ったきっかけが 「 アマンキラ 」 だったので 是非
アマンキラに と言ったら 日本人は 「 キラ、キラ、キラ! 」 って言う
けれど 「 アマヌサ 」 も すごくいいですよ! と 薦められました。
また 帰ってきて 旅行の 無事を伝えた クラブワールドの 担当者の方には
遺跡つながりで 「 アマンジオ 」 は いかがですか? と 薦められました。
とても きれいな写真があったので ( HISと ガルーダの旅行社から お借り
しました。 ) 眺めて 行った気分に なりましょう。
きのう テレビで アンコールワット特集を 放映していました。
なんだか とても懐かしく 画面に あのガイドさんを 探してしまいました。
最終回 です。
今回 私達が 見学した アンコールの 地図です。
初日は 地図の真ん中にある タ・ケウ〜 アンコール・トム、
二日目は アンコールワット 〜 プラサットクラバン、バンテアイクデイ、
タプロムを 回りました。
アマンサラでは この後 滞在に余裕のある方向きには バンテアイスレイや
ロリュオス トレンサップ湖など 回る ツアーを 用意してありました。
帰国日の 夕方の観光の後は シャワーを浴びる事もでき のんびり お茶を飲んだり
荷物の整理が出来たりと 6時半頃まで お部屋を使わせていただき 本当に
ありがたかったです。
それに 1日2回の観光つきなのに 私たちは 計5回も 連れて行っていただき
ガイドさん 運転手さんとも お別れの時には とても 淋しい思いがしました。
ホテルで よく私たちに お声をかけてくださった レセプション担当の?
副GMの方は 日本にも 何度かいらしたことがあるそうで 伊豆の 「 あさば 」、
京都では 「 ハイアット・リージェンシー 」 に お泊りになったとの
事で 三十三間堂が お気に入りだったそうです。
それから レストランで 私たちに メニューの説明をしてくださった方は
なんと シェフではなく GMさん でした。
( 途中で MIKIさんに お聞きして分かりました! )
このお二人は ゲストの方達に 積極的に お声をかけて 楽しんでいるか、
何かサービスで 不足はないか? リクエストはないか? などと 細かく 私達
の滞在を フォローしてくださいました。
言葉が うまく伝えられない 私にも 優しい言葉で 何度も 話しかけて下さり
とても 居心地の良い思いを することが出来ました。
行く前は スノッブなゲストばかりだったら どうしようと 私は 緊張して
いましたが 思ったほど 若い方は いらっしゃらなくて
( すいている この時期が 良かったのでしょうか )
かなり 年配の カップルが多く 私たちは むしろ若い方でした。
ヨーロッパの方達が 多いみたいで アジアの方は 私たちの他 台湾の方が
もう1グループ いらっしゃいました。
また やはり カップルの方中心で 私が見た限りでは ファミリーの方は1組
また 男性同士のカップルが 1組いらっしゃいました。
さて いよいよ 清水から飛び降りる時間です!
アマンサラ滞在費の 計算をしていただきました。
1泊 室料 675ドル + 観光食事代、1人 75ドル× 2人分 = 825ドル
825ドル × 2日分 = 1650ドル
それに サービス料 10%、 税金 13.42%
アンコール遺跡入場料 ひとり 40ドル 2人分80ドル。
全てあわせて 2人分で 26万円強でした。
つまり 税金とサービス料で 23.42%も かかるので これが 清水の
原因ですね。
日本だと サービス料10% 税金5% 計15%なので この 23.42%
は 知ってないと ビックリする高さ ですよね〜
特に 税金は 今年、上がったばかりで また 今年の11月からは ホテルの
観光食事代も 一人 85ドルに 値上がるそうです。
帰りの空港では 1時間くらい 出発が遅れたので
一人10ドルで 足つぼマッサージを 受け
この後 乗り換えの地 ベトナムに向かいました。
さて ベトナムから 私達は 何と ビジネスクラスを 利用させていただきました。
実は これ ベトナム航空が 旅行社向けの 販促企画として出しているもので
夫婦あわせて 100歳以上で 同じ旅程で 行動することを条件に ビジネスクラス
を片道25000円で 提供してくれる というものなのです。
最初 これは 私が 各旅行社の ベトナムパンフレットで 見つけたのですが
各社 値段が まちまちで 一番安い設定だったのが 片道25000円でした。
早速 今回旅行を頼んだ クラブワールドに 問い合わせしたところ 担当の方が
気持ちよく そのお値段で 交渉してくださり めでたく ビジネス機上の 夫婦
となったわけです。
夜の12時発だったので ステキな機内では 余りお楽しみは ありませんでしたが
何より 足を伸ばせて 眠れるので 疲れも 半減です。
お土産に スカーフを頂き 豪華な 朝食も頂き ( この写真の他に フォーも
出ました ) 優雅に お目ざめ できました。
長かった ベトナム〜カンボジアの 6日間の旅 ようやく 完結いたしました!
今回は 見物が多かったので 写真も沢山あり 整理に手間取りました。
本当に長い間 お付き合いいただきまして ありがとうございます。
以下は 今回の旅行中の ステキな写真です。
左の アプサラ ( 天女 ) は歯を出して笑っています。
歯を出した 天女の レリーフは これだけだそうです。
右の 睡蓮の蕾には トンボがとまっていました。
夜のプレゼント、
ジャスミンの蕾で作った
香りの 花輪です。
この上智大学の 遺跡修復の 看板は アンコールワットで見たものです。
ここに書かれている LVは 「 Lux Veritatis = 真理の光 」 と 主人が
教えてくれました。
このように 遺跡の修復、調査には さまざまな国が 関わっていて フランス
インド ドイツなどと共に 日本も ずいぶんと 協力しているのが 伺えました。
k
アマンサラ 滞在中に GMの方達は 次に どこに 行きたいですか?
と 聞いてきました。
私は アマンを知ったきっかけが 「 アマンキラ 」 だったので 是非
アマンキラに と言ったら 日本人は 「 キラ、キラ、キラ! 」 って言う
けれど 「 アマヌサ 」 も すごくいいですよ! と 薦められました。
また 帰ってきて 旅行の 無事を伝えた クラブワールドの 担当者の方には
遺跡つながりで 「 アマンジオ 」 は いかがですか? と 薦められました。
とても きれいな写真があったので ( HISと ガルーダの旅行社から お借り
しました。 ) 眺めて 行った気分に なりましょう。
きのう テレビで アンコールワット特集を 放映していました。
なんだか とても懐かしく 画面に あのガイドさんを 探してしまいました。
2007年03月01日
アンコールワット最終観光、タプロム
旅行記が なかなか進まず なんたる 体たらくぶり もう 今日から3月ですね!
さて 早朝観光から 戻ってきてからは お決まりの 2回目の朝食です。
すがすがしい 朝のお庭を 眺めながら 今回は おかゆに 挑戦してみました。
メニューには エビ、鶏肉、… などいろいろな材料が書いてあったので
私は エビをお願いしますと スタッフの方に言ったら なにやら ペラペラと
お返事が… でも 私は 毅然と エビのおかゆです! ときっぱり言い放ちました。
それでも 何か 言っていましたが その後 笑いながら 持ってきたものは
全ての 食材が 入った おかゆでした。
そうなんです、 これら 全てが 入っているという事を 言っていたのですね。
この おかゆ、 香草抜きに してもらえば よかったなぁ〜
美味しかったのですが 香草が ちょっと 私には 苦手なお味でした。
お部屋で 休憩し 少しお昼寝をし 午後は 自転車で 街に出てみました。
私の 自転車歴は たまに 観光地で 乗るくらいなので ちょっと 怖かったのです
が 主人が どうしても 乗りたいというので いやいや ついていきました。
バイクや 自転車、 車が かなり スピードを出して 走っている その車道の
脇を 走るのが 怖いこと、怖いこと。
なんとか 走ってみましたが 途中で 道を横断することになり 怖くて 横断が出来ず 自転車を 引いていく羽目に...
私が もたもたしているので 怒る 主人!
その時 主人の 自転車の チェーンが 外れてしまったのです。
ホント すみません。 私のせいで こんなことになり 暑い中 2人で 自転車を
押しながら 仕方なく 付近の ホテルに 入りました。
ホテルの フロントのスタッフに 頼んで 事情を説明して アマンサラに 電話して
頂きました。 程なく アマンサラのスタッフが 車で 新しい自転車を 運んで
くださり 一件落着しました。
その 私たちが休憩した ホテルは 「 メリディアンアンコール 」、
最近出来た 超 セレブリティ溢れる ホテルです。
大型ホテルなので 後から後から 観光バスが 到着し 台湾や 韓国の 旅行者
が 次々と 入ってきました。
日本人の スタッフも 何人か 見かけました。
天井も高く お庭もきれいで とても 明るくて 新しいので 今まで見た
どのホテルより 立派でした。
さて 最終日の 午後の 観光は ( 前にも書きましたが 本当は 午後には
チェックアウトなのですが この時期は 混んでいないということで 飛行機の時間に
あわせて 夜の 7時くらいまで OKとの 配慮をしてくださいました。 )
アンコールの中でも 特に人気のある タ・プロム観光です。
この タ・プロムは やはり 日本で言う 鎌倉時代に 建てられたもので
王様が 母親の菩提を 弔うために 建てた 仏教寺院遺跡です。
東西1キロ 南北650メートルの 敷地に 最盛期は なんと 12000人もの人が
暮らして いたようです。
ここは 発見された当時の ままの 形を 残している遺跡で ガジュマルの木の根が
周壁や 遺跡に絡みつき いたるところで 白い 滑らかな樹枝が 崩れ落ちた 遺跡
と 不気味に 共存しています。
写真では あまり混雑していませんが 遺跡の中は大混雑で 足場も悪いため
気をつけていないと とても危険でした。
この他の遺跡にも 「 個人の責任で 気をつけて! 」 のような内容の 張り紙が
要所要所に 貼ってありました。
このガジュマルは 成長がとても早いようで あっというまに 根が 寺院の
石材の間や 壁に 入り込み 肥大化し 遺跡を 包み込んでしまうのだそうです。
熱帯の 異様な 雰囲気の中 絡み付き 締め付けて 遺跡を 破壊していく
ガジュマルの樹は まるで生き物のように 存在していました。
この タ・プロムが 映画 「 トゥームレイダー 」 の 撮影場所です。
行く途中に見た 村の人の 家です。
このあたりは ものすごく 田舎なので 住居も 藁造りの ようでした。
また 各遺跡周りには 子供の おみやげ物を売る 売り子達が 沢山います。
流暢な 日本語で 「 千円、千円 」 といって 寄ってきます。
女の人には 皆 オネーサン、 と呼びかけましたし こちらが お金持ってないのよ
と言うと 「 カードでいいよ! 」 と 言うのです。
また 私達が 無関心にしていると 「 後でね 後でね 」 と言ってきます。
それも 小さな 幼稚園児くらいな子供から せいぜい 10歳くらいまでの子供達
が 沢山 いるのです。
旅行者の皆さんは、きりがないので 買っては いませんでしたが 「 Tシャツ
7枚 千円よ! 」 なんて 声には ちょっと なびいてしまいました。
ここ カンボジアでは 一応 義務教育制度はあるようでしたが 子どもの数が
多いせいか 校舎が足りないせいか 午前 午後 どちらに行ってもよいらしく
小学校の就学率は 80%台だということでしたが このあたりの子供を 見ていると 行ったり 行かなかったり ではないかしら、のような 感じを 受けました。
また 中学になると 就学率は 15%くらいに なってしまうようです。
田舎の子供は 兄弟の人数も多いので 満足に 学校に行かれない子供が多く
寺院に行って 僧侶になり お勉強や 外国語を 教えてもらうそうです。
( 僧侶になっても その後 自立して 社会に出ることが 出来るそうです )
街の子供は 僧侶は 制約が多いので あまり人気がないとのことでした。
以前は 日本でも 傷痍軍人さんが 街頭で 物乞いをしていましたが
( かなり昔の話ですよね〜 それって… )
ここ カンボジアでも そのような 行為が 蔓延していましたが 子供のため
にも 親がそのような行為を見せるのは いけないとの事で 最近では 楽器の
演奏などをして 収入を 得ているようでした。
ここ タ・プロムでも 地雷などで 体に障害がある方たちが 10人くらいで
参道で 旅行者向けに 民族楽器の演奏を していました。
ガイドさんは やはり 田舎の出身だそうですが 語学を身に着け ( それも 英語
と 日本語の 2ヶ国語も ) 自立している方なので このような子供達には
何を思っているのでしょうか?
私達は 底抜けに明るい、その子達に 「 お勉強をしなさいね 」 と
何度も 言いました。
蓮池で 泥まみれになって 遊ぶ 少年達を見て 主人は 自分の子どもの頃を
思い出したようでした。
近くの池で 友達と 蓮根を掘って 遊んだ子ども時代を...
( ...って いったい いつの 時代だっちゅ〜の )
でも 自分が育った あんなに田舎だったあの地に 今では 高速道路が出来る
ようになった事を 思い、 これから この辺も あっという間に変わるんだ
ろうな〜と 感無量のようでした。
午後の観光から 帰ってくると 入り口で きれいな ホテルスタッフの 女性
から オシボリが 渡され 男性スタッフも 2,3人 出迎えてくださいます。
いつも 私たちを迎えてくれる 女性の方は とても チャーミングで 色の白い
可愛い方で、 なんだか 私たちのガイドさんは ちょっと気に入っているようでした。
私には 言葉は 分かりませんが いつも 話しかけては 笑い合っていて
ほほえましかったです。
お部屋に入ると 既に お風呂の用意がしてあります。
バスソルトの入った 湯船には 蓮のお花が浮かべてあり ろうそくも ともして
ありました。
それ以外にも 私たちが お部屋を出ると 必ず お掃除をしてくださっている
ようで 日に 3,4回は お部屋を 整えているようでした。
お客様が 外出するのを どこかで 見ているのかしら?
砂だらけになった 靴も きれいに して有りましたし いつも 気持ちよく
滞在出来ました。
さて いよいよ 次回で ベトナム、カンボジアの 旅行記も 最後です。
カンボジアでは 余りに沢山の 内容だったので 友人には 何日行っていたの?と聞かれて しまいましたが ベトナム、 カンボジアとも 各々 2泊3日です。
あと もう1回 お付き合いくださいませ。
さて 早朝観光から 戻ってきてからは お決まりの 2回目の朝食です。
すがすがしい 朝のお庭を 眺めながら 今回は おかゆに 挑戦してみました。
メニューには エビ、鶏肉、… などいろいろな材料が書いてあったので
私は エビをお願いしますと スタッフの方に言ったら なにやら ペラペラと
お返事が… でも 私は 毅然と エビのおかゆです! ときっぱり言い放ちました。
それでも 何か 言っていましたが その後 笑いながら 持ってきたものは
全ての 食材が 入った おかゆでした。
そうなんです、 これら 全てが 入っているという事を 言っていたのですね。
この おかゆ、 香草抜きに してもらえば よかったなぁ〜
美味しかったのですが 香草が ちょっと 私には 苦手なお味でした。
お部屋で 休憩し 少しお昼寝をし 午後は 自転車で 街に出てみました。
私の 自転車歴は たまに 観光地で 乗るくらいなので ちょっと 怖かったのです
が 主人が どうしても 乗りたいというので いやいや ついていきました。
バイクや 自転車、 車が かなり スピードを出して 走っている その車道の
脇を 走るのが 怖いこと、怖いこと。
なんとか 走ってみましたが 途中で 道を横断することになり 怖くて 横断が出来ず 自転車を 引いていく羽目に...
私が もたもたしているので 怒る 主人!
その時 主人の 自転車の チェーンが 外れてしまったのです。
ホント すみません。 私のせいで こんなことになり 暑い中 2人で 自転車を
押しながら 仕方なく 付近の ホテルに 入りました。
ホテルの フロントのスタッフに 頼んで 事情を説明して アマンサラに 電話して
頂きました。 程なく アマンサラのスタッフが 車で 新しい自転車を 運んで
くださり 一件落着しました。
その 私たちが休憩した ホテルは 「 メリディアンアンコール 」、
最近出来た 超 セレブリティ溢れる ホテルです。
大型ホテルなので 後から後から 観光バスが 到着し 台湾や 韓国の 旅行者
が 次々と 入ってきました。
日本人の スタッフも 何人か 見かけました。
天井も高く お庭もきれいで とても 明るくて 新しいので 今まで見た
どのホテルより 立派でした。
さて 最終日の 午後の 観光は ( 前にも書きましたが 本当は 午後には
チェックアウトなのですが この時期は 混んでいないということで 飛行機の時間に
あわせて 夜の 7時くらいまで OKとの 配慮をしてくださいました。 )
アンコールの中でも 特に人気のある タ・プロム観光です。
この タ・プロムは やはり 日本で言う 鎌倉時代に 建てられたもので
王様が 母親の菩提を 弔うために 建てた 仏教寺院遺跡です。
東西1キロ 南北650メートルの 敷地に 最盛期は なんと 12000人もの人が
暮らして いたようです。
ここは 発見された当時の ままの 形を 残している遺跡で ガジュマルの木の根が
周壁や 遺跡に絡みつき いたるところで 白い 滑らかな樹枝が 崩れ落ちた 遺跡
と 不気味に 共存しています。
写真では あまり混雑していませんが 遺跡の中は大混雑で 足場も悪いため
気をつけていないと とても危険でした。
この他の遺跡にも 「 個人の責任で 気をつけて! 」 のような内容の 張り紙が
要所要所に 貼ってありました。
このガジュマルは 成長がとても早いようで あっというまに 根が 寺院の
石材の間や 壁に 入り込み 肥大化し 遺跡を 包み込んでしまうのだそうです。
熱帯の 異様な 雰囲気の中 絡み付き 締め付けて 遺跡を 破壊していく
ガジュマルの樹は まるで生き物のように 存在していました。
この タ・プロムが 映画 「 トゥームレイダー 」 の 撮影場所です。
行く途中に見た 村の人の 家です。
このあたりは ものすごく 田舎なので 住居も 藁造りの ようでした。
また 各遺跡周りには 子供の おみやげ物を売る 売り子達が 沢山います。
流暢な 日本語で 「 千円、千円 」 といって 寄ってきます。
女の人には 皆 オネーサン、 と呼びかけましたし こちらが お金持ってないのよ
と言うと 「 カードでいいよ! 」 と 言うのです。
また 私達が 無関心にしていると 「 後でね 後でね 」 と言ってきます。
それも 小さな 幼稚園児くらいな子供から せいぜい 10歳くらいまでの子供達
が 沢山 いるのです。
旅行者の皆さんは、きりがないので 買っては いませんでしたが 「 Tシャツ
7枚 千円よ! 」 なんて 声には ちょっと なびいてしまいました。
ここ カンボジアでは 一応 義務教育制度はあるようでしたが 子どもの数が
多いせいか 校舎が足りないせいか 午前 午後 どちらに行ってもよいらしく
小学校の就学率は 80%台だということでしたが このあたりの子供を 見ていると 行ったり 行かなかったり ではないかしら、のような 感じを 受けました。
また 中学になると 就学率は 15%くらいに なってしまうようです。
田舎の子供は 兄弟の人数も多いので 満足に 学校に行かれない子供が多く
寺院に行って 僧侶になり お勉強や 外国語を 教えてもらうそうです。
( 僧侶になっても その後 自立して 社会に出ることが 出来るそうです )
街の子供は 僧侶は 制約が多いので あまり人気がないとのことでした。
以前は 日本でも 傷痍軍人さんが 街頭で 物乞いをしていましたが
( かなり昔の話ですよね〜 それって… )
ここ カンボジアでも そのような 行為が 蔓延していましたが 子供のため
にも 親がそのような行為を見せるのは いけないとの事で 最近では 楽器の
演奏などをして 収入を 得ているようでした。
ここ タ・プロムでも 地雷などで 体に障害がある方たちが 10人くらいで
参道で 旅行者向けに 民族楽器の演奏を していました。
ガイドさんは やはり 田舎の出身だそうですが 語学を身に着け ( それも 英語
と 日本語の 2ヶ国語も ) 自立している方なので このような子供達には
何を思っているのでしょうか?
私達は 底抜けに明るい、その子達に 「 お勉強をしなさいね 」 と
何度も 言いました。
蓮池で 泥まみれになって 遊ぶ 少年達を見て 主人は 自分の子どもの頃を
思い出したようでした。
近くの池で 友達と 蓮根を掘って 遊んだ子ども時代を...
( ...って いったい いつの 時代だっちゅ〜の )
でも 自分が育った あんなに田舎だったあの地に 今では 高速道路が出来る
ようになった事を 思い、 これから この辺も あっという間に変わるんだ
ろうな〜と 感無量のようでした。
午後の観光から 帰ってくると 入り口で きれいな ホテルスタッフの 女性
から オシボリが 渡され 男性スタッフも 2,3人 出迎えてくださいます。
いつも 私たちを迎えてくれる 女性の方は とても チャーミングで 色の白い
可愛い方で、 なんだか 私たちのガイドさんは ちょっと気に入っているようでした。
私には 言葉は 分かりませんが いつも 話しかけては 笑い合っていて
ほほえましかったです。
お部屋に入ると 既に お風呂の用意がしてあります。
バスソルトの入った 湯船には 蓮のお花が浮かべてあり ろうそくも ともして
ありました。
それ以外にも 私たちが お部屋を出ると 必ず お掃除をしてくださっている
ようで 日に 3,4回は お部屋を 整えているようでした。
お客様が 外出するのを どこかで 見ているのかしら?
砂だらけになった 靴も きれいに して有りましたし いつも 気持ちよく
滞在出来ました。
さて いよいよ 次回で ベトナム、カンボジアの 旅行記も 最後です。
カンボジアでは 余りに沢山の 内容だったので 友人には 何日行っていたの?と聞かれて しまいましたが ベトナム、 カンボジアとも 各々 2泊3日です。
あと もう1回 お付き合いくださいませ。