2007年03月11日

最近の私 と 移植の同窓会 

六本木 福寿司中華街 梅蘭 焼きそば友人のマンションから見たみなとみらい







珍しく 平日 代休を取った娘が 六本木の美容室に 午後から行くというので
もう、お休みに入っている 息子と3人で 以前から 家族に 勧めていた 
六本木の福鮨に ランチに 行ってきました。 
子ども達は ちらし寿司、 私は 握り鮨ランチ ともに 2625円です。
このほか 茶碗蒸し、 小鉢、 サラダがつきます。
デザート、珈琲は 別室の バリバリ夜の雰囲気満載の ラウンジでいただきました。

2枚目の 写真は 中華街の 「 梅蘭 」 の 焼きそばです。
訪れた日は 休日だったので 列がかなり出来ていて ゆうに30分以上は
待ちました。
焼きそばの 麺が しっかり焼いてあって 中に あんかけの具が 入っています。
皆さん これを注文していましたが 結構 量があるので これを 人数分頼むと
かなり 大変です。
私たちは これに 牛肉やきそばと 小ロンポウを頼みましたが 案の定 食べきれず
もったいないことをしました。 
この 私たちの頼んだメニューで 3人は いけそうです。

続いて みなとみらいの 見晴らしの良い マンションに住んでいる 友人宅を
訪問したときの ベランダからの 景色です。 
この時に ちょうど テレビの お昼のワイドショーで 中華街の特集を やっていて 
梅蘭の 焼きそばも 紹介されて いました。 
テレビの 放映の後は ますます 混んでしまいますね。


ハワイ カイルアビーチ


















ハワイの空と星条旗ダイヤモンドヘッドからワイキキを望む朝の浜辺







息子が 春休みを利用して 友人と行ったハワイの写真です。
知り合いの お嬢さんが 案内をしてくださり 色々と 北のビーチなども 
回ったそうです。 
なんと そのお嬢さんは 息子より 年下の 高校生なんですが ショートパンツ
に ビーサン、サングラスで 車を乗り回していて まさしく ビバリーヒルズ
高校生白書のようで スゴーク かっこよかったそうです。
 

バンクーバー 雪山
















バンクーバー かぼちゃ雪山 その2







この3枚の写真は 私の 旅好き3人組の 一人 バンクーバーさんの 写真です。
この写真は もう 随分前に 頂いていたのですが 容量が大きくて なかなか
思うサイズに 圧縮できず こんな時期になってしまいました。

次回の 旅のご予定は 「 函館の朝市見学 」 だそうです。

ご夫妻の 旅が終わったら また お話を聞くのを 楽しみにしています。


キリマンジャロと象


















この スケールの大きな写真は ドバイでお世話になった 幸子さんが 休暇で 
ご友人の方といらした アフリカ、ケニアでの キリマンジャロと 象です。

こんなに 至近距離で 写真が 撮れるのですかねぇ〜
すごいですよね。 こんなに キレイに 山と 象が 撮れるなんて めったに
ないのではないでしょうか?
時間がゆっくりと流れて さぞ のんびりされたことでしょう。

みなさま ステキな写真を ありがとうございました。


夜のホテルの外観3月3日は 以前お話していた
「 移植1000人の同窓会 」 に行ってきました。
実は この パーティが 行われた ホテルは 
私達が29年前に結婚式を挙げたホテルなのです。
もちろん そのことは 知ってはいましたが 
ホテルに行く途中 坂を上っていた時 突然 

昔の記憶が 甦ってきて なんだか自分でも ビックリしました。

ホテルは 昔のままでした。
クラシックな感じで このような催しには ピッタリの 雰囲気です。

受付には 移植の時の 私の担当の看護師さんが いらしたし、 毎朝の 検温
や 採血で お世話になった 看護師さんもいらしたので 私が 元気で
過ごしていることを お話しました。
そして 移植病棟に入院中 同室だった方の 今日の出欠を お聞きしましたが 
看護師さんは 首を振っていましたので その後の お話は 聞けませんでした。 

この日の 出席は 総勢 350人くらいで、 患者さんと ご家族の方あわせて 
260人と いっていましたので 患者さんは 百人くらい だったのでしょうか。
後は 歴代の 移植病棟の 看護師さんと 先生方 病院の関係者の方達で
会場は 随分と にぎわっていました。

皆さん とても お元気そうなので どの方が 患者さんなのか ご家族なのか
看護師さんなのか 全く 見分けがつきませんでした。

私のことも 看護師さんたちは 「 うわ〜 お元気そうね。 
ご家族の方 だと思ったわ 」 なんて 嬉しいことを 言ってくださいました。

会の はじめに 黙祷をささげ その後 ホテル特製の 体に良い 美味しいお料理を
頂きながら 何人か 偉い先生方の ご挨拶がありました。
( 私は 移植病棟に行く前に 同室だった 今はなき エルメスさんや 
大阪からいらしていた タバコ好きな方と 過ごした あの夏の日を思い出し 
少し 涙が出ました。 )

ご挨拶の後は 移植を受け、すっかり元気になった方達が 壇上に上がり 次々と 
お話を されました。

この病院での移植は 1983年くらいから まず 小児病棟で 始まったそうで 
なんと 最初に この病院で 移植をうけた方が 今日も元気に 出席なさって
ご挨拶されていました。

移植の会 お料理123







そのほか アメリカからの 骨髄の提供が 始まって 第一番目に 輸入骨髄
での 移植をされた方の お話がありました。

その方の感想では ビニール袋に入っている 骨髄液の 上部が 真っ白に
なっていたので 先生にお聞きしたら 何と それは 脂肪 だということで 
ビックリ されたそうです。
現在は お子様も お二人いて とても お元気そうでしたが アメリカ骨髄
のせいでしょうか? 少し 肥満気味? と 会場を 沸かせていました。

また その当時 46歳で 年齢的に 治療は 厳しいとされていた 患者さんは 
いくつかの病院で もう スベはありません、 身の回りの整理を してください
と 宣告を 受けたそうでしたが この病院で 移植を受け 今もお元気で 
壇上に たたれていました。
 
移植をする時には ご実家である 沖縄の島から 何人も 応援に見えたり 
また 毎日新聞の 取材も受け 新聞に載ったとも お話されていました。

次の方は ご夫婦それぞれが 移植を受け テレビの 公共広告機構 ( AC ) の 
骨髄バンクの CMに 出られた方でした。 
移植がご縁で お知り合いになったのでしょうか? お二人とも 本当にお幸せそうで
私達の励みになる 思いを 会場の皆さんに 伝えてくださいました。

45







その後も 子どもの頃に移植した方が お話になり 最近 ご結婚なされたとの 
報告があり 会場から 奥様も 壇上に上がられ 大きな拍手が 沸きあがりました。

現在 この 病院には ここで移植を受けた患者さんの 会があって そのお世話役を
やっている方も お話されましたが 皆さんの お元気な 姿に 感無量という
感じでした。
私も 皆さんの お話を聞きながら 何度も 涙をぬぐい また 笑い 
今 ここにいられる 幸せを 感謝しました。

そのほかの 皆さんのお話からも 治療中は さぞ お辛い思いも されたこと
でしょうが そのようなお話は全くなく 前向きな 今を生きる 明るい お話
ばかりでした。

周りの 皆さんに 助けられ 励まされ 何より 見ず知らずの方のご好意により
( 骨髄提供者とは お手紙で お礼をする 以外は 接触がないそうです )
今を 生かされているという 使命感のようなものが伝わってくる お話の数々でした。


その後 昔の 移植病棟の 様子を スライドを交え 看護師さんから お話が
ありました。

この病院は 10年弱前に 新病棟ができ それ以降は 快適な 
入院生活がおくれますが それ以前は とても大変だった様子が 披露されました。

今は この移植のフロアー自体が 全て 無菌室仕様になっていますが 
以前は それを 保つのが とても大変のようでした。

次に 婦長さんのお話もありました。
この婦長さんは 15年間 移植病棟にいらした方で 私もお世話になりました。

婦長さんの 印象的な思い出は  9.11のときに 骨髄の 提供が 遅れ 皆で
心配したこと、 また 届いたときは 本当に嬉しかった事など お話されていました。

また 婦長さんは 患者さんの 移植当日に お写真を 撮ってくださり 
その お写真を くださるのです。 これを 15年間も 続けてこられたそうです。

自分以外の方から 移植を受けた方は 血液型も 変わるので この日が 
第2の お誕生日に なるのです。
そう思うと 性格も 少しは変わるのかも知れませんね。 
( 医学的には 変わらないとの事ですが... )

このような 心使いが 患者さんを 支えてくださっているということが よく
分かりました。 婦長さん 本当に ありがとうございました。

会場の 後ろの壁には 今日 来られなかった方や 家族の方からの お手紙や 
メール インターネットの 動画など 展示されていました。

看護師さんたちは 以前の 患者さんたちと こうして お酒が飲めるなんて
本当に 夢のようだと 感激していました。

私の入院中 病室の担当だった 若い お医者様にも お会いする事ができました。

この先生は 私が 最初いた病棟の 病室担当の先生で その後 私が 移植病棟
に移り 私が退院した後に 先生も 移植チームに 移られたのです。

私は その先生は 今頃は もう アメリカに 行ってらっしゃると 思って
いましたが この病院での 研修が 長引き この3月まで 勤務なさるそうです。

嬉しいことに 私の ことも 良く覚えていてくださり 
顔も とてもきれいになりましたね、 とか ( 抗がん剤の 副作用で 
色素沈着がおき ホホのあたりが 真っ黒になってしまったのです )
腰の具合はいかがですか? とか 
腕に出来た 湿疹は その後 どうでしたか? 
なんて 私が すっかり忘れていることまで 覚えていてくださり 感激しました。

また 先生の担当の もう一人の 同室だった患者さんのことを 私が
「 お元気で 今度 銀座で 絵の個展を するのですよ 」 と報告したら 
とても 喜んでくださいました。

私が 「 以前 お聞きした、 地元でお付き合いしていた 女医さんとは 
その後 どうなりましたか? 」 とお聞きしたら 
「 ふられました... 」 とおっしゃっていました。 ( 気まず〜... )

最後に 皆さん 全員で 会場の真ん中に集まり 集合写真を撮って お開きに
なりました。 あまり お知り合いには 会えませんでしたが 皆さんの 
お元気な パワーを頂き 心温まる ひと時でした。

次回の開催は 移植を 受けた人が 2000人になった時だそうです。
これからは 医学も進歩しているので 10年も かからず 実現するでしょう。

ますます 移植の 技術が 発展するよう 願いながら ホテルの前で 夫婦で
結婚29年の記念写真を撮り 家路に向かいました。

murakilf at 17:28│Comments(2)生活 | 入院

この記事へのコメント

1. Posted by ビビアン   2007年03月12日 01:37
ベトナム&カンボジアの旅を思う存分楽しませて頂きました。
ご夫婦でスリルとサスペンスと笑いありの珍道中!
ガイドブックにはない視点からの「そこんとこ、どうなのよ〜」が満載!!
そして今回のブログで紀子さんが爆弾を抱えている事を再認識・・
世界を飛び回る今は過去形のような・・・
自分以外の人から移植を受けたら「血液型」が変わるなんて知りませんでした。
次回の開催の時も是非、紀子さんが参加出来る事を祈ってます。
追伸
このブログで、勉強させられる事がいっぱいあります。
紀子さんの健康はもちろんですが、過去に病室等で
仲良くされ、今は故人になられた方々・・
不安や無念の思いを感じさせない生き方に脱帽です!
次は何処へ・・楽しみにしてます!
2. Posted by 紀子   2007年03月12日 17:08
ビビアン様

いつも私の健康を気遣っていただき 本当にありがとうございます。
私は いつもは 鈍感に生きていますので
こんな会がないと 病気のことを 忘れそうになっているのです。
でも 病気のことを 軽んじたり 疎んだり 嫌がったりすると
なからず 病気は それを私に 思い出させようと、 仕返しをするのです。
だから 私はいつも 病気のことを 決して恐れはしないけれど 
侮ったりしないように たまには 考えてあげるようにしています。
共存ですかねぇ〜
だから 不安や 無念は ないのです、 なんちゃって!...

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