玉の湯 〜 「 ゆふいんの森 」 号8月の庭 と お出かけ、 2008年週間旅行カレンダー

2007年08月30日

広島 父の法事

更新が滞ってしまいましたが ようやく 広島での 「 法事編 」 です。 

法事の前日は 広島駅の新幹線口につながっている 「 ホテルグランビア広島 」 
に泊りました。
その夜は 久しぶりに主人の兄弟、4夫婦他 甥っ子やお嫁さん、その子供や 
友人などが加わり にぎやかな中 大好きなお好み焼きディナーとなりました。

弟夫婦に会って 弟が 主人の横に並んで歩き始めた時 開口一番 言ったことが
「 兄貴! ちょっと 背が 縮んだんじゃない? 」 だったのです!  
あ〜 痛いところを付かれたわ〜
やっぱり 縮んだんだわ〜 私のせいで…

主人が 「 誰でも もうすぐ こうなるんだよ! 」 と笑ってかわしていましたが 
あ〜 やっぱり 誰の目にも 判るほど 縮んでしまったんだわ〜
今回の由布院の旅行で ますます 縮んだにちがいないわ〜 
私のせいで すみません! (汗)
( 理由は 8月1日の 「玄冶店濱田家」 のワンコイン主人のくだりにあります )

その後主人は 友人と会うといって 広島のネオンに消えていきました。。。。。。


法事の予定表荒れた庭床の間、1






法事は いつも お坊さんが家に来てくれます。
今は誰も住んでいない主人の(相当古い)実家ですが 
以前は料亭のように きれいだった庭は 荒れ果て 

荒涼としていますが 数日前から 兄が泊まって 何とか お座敷だけは 
きれいになっていました。

障子には 皆が忘れないようにと 「 母の法事の日程表 」 が張ってありました。
便利ですね。 でも 2年前の法事のところに チェックが入っていませんね〜

実家

2階の床の間きれいな欄間






2階は 埃でかなり汚れていましたが 懐かしいので上がってみました。

娘達が 小さい頃 怖がっていた 市松人形は 傾いていましたが 今も 健在
でしたし 目覚まし時計が 何気なく置いてあったりして 今でも 誰かが 
住んでいるかのような雰囲気でした。

以前 夏休みなどは 何十人で この2階の部屋に 泊まったことを思い出しました。

主人の兄弟は 4人といいましたが それぞれ子供が 3人 3人 3人 2人、 
つまり 義父母としては 孫が11人もいるということで 夏休みなどは 皆が集まる
と それはそれはにぎやかで 大騒ぎの 怒涛の日々でした。

この市松人形も 当時は2体いて 子供達が怖いというので 夜は ケースに
バスタオルを掛けて 寝たことを思い出しました。
でも 夜 目が覚めると 真っ暗な中から そのバスタオルが妙に白く浮き上がって 
かえって 一層 怖い思いをしたものです。

月日が流れて この2階には 今は もう誰も 寝る人はいません。
でも 荒れ果てている割には 欄間や 書院つくりの床の間など 昔の家ですから 
今も立派に存在していました。 いい仕事していますね〜 

海沿いのY's CafeY's Cafe の裏側窓からは海が…






さて 法事の後の お食事会です。
以前の法事のお食事会は お庭のきれいな料亭とか 
近くの広島プリンスホテルから海を眺めながら 

などの コンセプトで とり行われていたのですが 今回は お兄さんの提案で 
海の見えるイタリアンレストランで 開催されました。

というのも もう 義父母の兄弟は 皆 他界してしまい 出席するのは 我々子供と
主人の従兄弟たちだけになってしまったので 気楽にやろうということだったのです。

以前から 主人の兄弟は このような田舎に住んでいるにもかかわらず (失礼?) 
みな非常にリベラルな考え方を持っていたので 誰もなんら 異議を唱える人も無く 
むしろ皆大賛成って事で 家から徒歩5分の 道路沿いのコンクリート打ちっぱなしの 
その地元としては かなり斬新な スタイリッシュな カフェバーで 行われました。
( 写真は 建物の裏側なので ちょっと…? に見えますね〜 )

牛肉と鴨の万願寺唐辛子炒め



















なにせこの辺りは昔は漁村で ( 今も、ですが ) 目の前の海では 牡蠣打ちを
やっていたり海苔やさんがあったりと 本当に 時間が止まったような 静かな静かな 
地域だったのです。

そこに こんな斬新なレストランが出来るなんて 主人は 信じられないと言って
いましたが 兄が 時々 家を見に 広島に帰った時に訪れて お酒を飲みながら
夜の海を眺めていたとの事で、たまたま法事の話を提案したら そこの シェフが 
快諾してくれたとの事です。

イサキのカルパッチョホワイトカレー太刀魚の炒め物







桃とマンゴーのゼリーかけ



















おいしいイタリアンと ワインに大満足で 主人達は 昔話に花を咲かせて 
随分と 楽しそうでした。

でも この辺りに 高速道路が出来るとかで 主人の家の並びから先は その用地と
して 高速公団に 土地を提供したので 皆 もう住んでいないのです。
土地の提供の代わりに 皆さん そこから上の 海の見える高台に 立派なお家を
建設なさったという うわさです。

ですから 主人の実家の並びから先に家は無いので 主人の家の前を通る人は
いなくなってしまい ますます 静かになってしまったのです。

もっとも 主人の家でも 家はあっても誰も住んでいないので 同じような状況で 
この先どうなってしまうのかしら? と 心配していましたが 元来、楽天的な兄弟達
は 次回は いつ集まろうか なんて従兄弟達と 話し合ったりして 広島弁をまくし
立てながら 賑やかに 法事は散会しました。


帰りは新幹線でしたが いつも帰るときには 駅ビルのお好み焼きやさん 
「 麗(れい)ちゃん 
で お土産のお好み焼きを 焼いてもらうのが慣わしになっている
ので 今回も 夕食用に焼いてもらって 帰路に着きました。  
( この日は 大混雑だったので 「 第二麗ちゃん 」 で焼いてもらいました )

  


由布院での きれいな写真です。

台風一過の しらさぎ玉の湯の朝、私湧き出す温泉







由布院での2日間は 由布院 御三家に行くことができ 大満足でした。
それぞれに 各お宿には 特徴があって 決して競合はしていないようでした。

「 亀の井別荘は 」 男性的な 凛としたたたずまいで スタッフも 男性が多く 
落ち着いた感じでした。
こちらが要求したことは全て それ以上に 心配りを見せてくださいましたし 
それ以外では 決して こちらに入り込んでくるようなことはありませんので 
すっきりとした 以前もお話した 「枯れた接客」 がとても 素敵でした。

また 「 玉の湯 」は 女性的なサービスで 初めからこちらの要求を満たすような 
システムが出来上がっていて 全ての女性は 大満足するはずです。

私の好みでは 「 亀の井別荘 」 に軍配を上げる感じです。

でも 色々と 日本旅館のように 次々と お世話を焼いてほしい方には ちょっと 
物足りないかも しれませんね。

5年前からの夢だった 由布院にいけてよかった〜、 ちょっと心残りが減りました。

 
大分川の魚亀の井別荘 お休み処黄色い、まんじゅしゃげ(彼岸花)







さて 月曜日は 恒例の銀座詣で、でしたが 相変わらず 私の首の辺りのリンパは
腫れていて 1,5センチくらいあるそうです。 それも3ヶ所も…
でも 扁平なので まだ 様子見ってことになっています。
その時に先生は 「 悪性度の低いリンパ腫はいつ出来てもおかしくないからね〜」
と 私に言うんです。

ぎょっ! いつ出来ても おかしくない? 

そこで 私は 前回お話した 例の 「 7年生存説 」 のお話を先生に振ったら

先 「 あ〜 7年ね、 でも あれは 悪性度の低い人の話だよ  
紀子さんは 途中で 悪性度の高いものに 変わったでしょ?
だから あれは全然当てはまらないよ〜 」

って こともなげに言うんです。

紀 「 え〜 当てはまらないって? じゃ 私。。。。。。 」

先 「 そうだよ〜 すごいよ! 充分、充分!!! 」

充分 ( 生きてるよ〜 )  
すごいよ ( もう 目標クリア〜だよ! ) 
って感じの先生のお言葉

紀 「 え〜 そうなんですか? もう充分なんすかっ! 」 

先 「そうそう すごいよ! 本当に もう 凄い!  」
って 私が生きていることを 絶賛するんです。

まぁ 先生にしてみれば かつて私に 「 もう終わりだね〜 」 って言った事が
ありますから 心底 私の生存に 驚いているのかもしれませんが…
こう 大きく驚かれてもねぇ〜

紀 「 でも 先生! そう言われても 私、ちっとも嬉しくないんすけど。。。」
って言ってやりました!

先 「 え〜そうなの? 」

って 感じで 恒例の 銀座詣で は終わりました。

もちろん 月単位で死亡っていわれた人が 何年も 皆、生きられる訳ではない
けれど なんだか すごい! って言われるのは  
嬉しいような、 嬉しくないような 気持ちでした。


なんだか 複雑な帰り道でした。 とほほ。。。。。

トンボ、1トンボ、2かえる






由布院は 「 地産地消 」 という事で 地元で採れた農産物を地域の人が消費する
という事を 随分前から実践しています。
沢山の お宿で出す 献立にもそれが反映されていて 最近では 色々な地区からの
見学が絶えないと 先日 テレビのニュース番組の特集でも 取上げられていました。 

自分と同じ気候風土で採れたものは 体に合うということ
新鮮なうちに食べられること
運搬費がかからないので 安く手に入ること

などが 「 地産地消 」 のメリットのようです。

私たちが お宿で頂いた殆どの食材は 地域で生産されたもので 
大変新鮮で美味しいものでした。

これこそが もっとも 素敵な おもてなしだと 感じ入りました。

PS 今 ブログを読み返してみて あ〜 私もまだまだ 小さい人間だな〜って
  思いました。

  あの時 先生に 「 本当にありがとうございます。 
  先生のおかげで ここまでこられました。 この先も よろしくお願いします 」
  って どうして言えなかったのだろう、 あんな言い方しか出来ないなんで。。。
  、と 思った次第です

  でも負けず嫌いな こんな性格が 案外 長生きの秘訣なのかもしれませんね。
  という事にしておきましょう。  

murakilf at 12:44│Comments(1) 由布院 亀の井別荘、玉の湯〜広島 | 入院

この記事へのコメント

1. Posted by ビビアン   2007年09月06日 23:23
法事ご苦労様でした。
ご兄弟が仲良くそれぞれの配偶者と・・・
ご主人の父上母上、きっと天国で安心している事と思います。
お料理もボリュームたっぷりのイタリアンで例によって拡大して味をイメージしてます。
かなり食い意地がはってまして・・m(__)m
ご実家の写真「金田一さん事件です!」って感じで確かにお人形が怖いかも!
銀座詣=「充分!」で人の人生片付けるな!っちゅうの(古い?)
「負けず嫌い」の性格で斬り返しておやり!どんだけ〜
旅行やグルメ三昧にハイアットの無料宿泊などなど・・
まだまだ不充分!
もうそろそろ外国旅行にいらしゃるのでは?
では、写真の投票を・・・

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