入院

2007年08月30日

広島 父の法事

更新が滞ってしまいましたが ようやく 広島での 「 法事編 」 です。 

法事の前日は 広島駅の新幹線口につながっている 「 ホテルグランビア広島 」 
に泊りました。
その夜は 久しぶりに主人の兄弟、4夫婦他 甥っ子やお嫁さん、その子供や 
友人などが加わり にぎやかな中 大好きなお好み焼きディナーとなりました。

弟夫婦に会って 弟が 主人の横に並んで歩き始めた時 開口一番 言ったことが
「 兄貴! ちょっと 背が 縮んだんじゃない? 」 だったのです!  
あ〜 痛いところを付かれたわ〜
やっぱり 縮んだんだわ〜 私のせいで…

主人が 「 誰でも もうすぐ こうなるんだよ! 」 と笑ってかわしていましたが 
あ〜 やっぱり 誰の目にも 判るほど 縮んでしまったんだわ〜
今回の由布院の旅行で ますます 縮んだにちがいないわ〜 
私のせいで すみません! (汗)
( 理由は 8月1日の 「玄冶店濱田家」 のワンコイン主人のくだりにあります )

その後主人は 友人と会うといって 広島のネオンに消えていきました。。。。。。


法事の予定表荒れた庭床の間、1






法事は いつも お坊さんが家に来てくれます。
今は誰も住んでいない主人の(相当古い)実家ですが 
以前は料亭のように きれいだった庭は 荒れ果て 

荒涼としていますが 数日前から 兄が泊まって 何とか お座敷だけは 
きれいになっていました。

障子には 皆が忘れないようにと 「 母の法事の日程表 」 が張ってありました。
便利ですね。 でも 2年前の法事のところに チェックが入っていませんね〜

二階のこわ〜いお人形2階の床の間きれいな欄間






2階は 埃でかなり汚れていましたが 懐かしいので上がってみました。

娘達が 小さい頃 怖がっていた 市松人形は 傾いていましたが 今も 健在
でしたし 目覚まし時計が 何気なく置いてあったりして 今でも 誰かが 
住んでいるかのような雰囲気でした。

以前 夏休みなどは 何十人で この2階の部屋に 泊まったことを思い出しました。

主人の兄弟は 4人といいましたが それぞれ子供が 3人 3人 3人 2人、 
つまり 義父母としては 孫が11人もいるということで 夏休みなどは 皆が集まる
と それはそれはにぎやかで 大騒ぎの 怒涛の日々でした。

この市松人形も 当時は2体いて 子供達が怖いというので 夜は ケースに
バスタオルを掛けて 寝たことを思い出しました。
でも 夜 目が覚めると 真っ暗な中から そのバスタオルが妙に白く浮き上がって 
かえって 一層 怖い思いをしたものです。

月日が流れて この2階には 今は もう誰も 寝る人はいません。
でも 荒れ果てている割には 欄間や 書院つくりの床の間など 昔の家ですから 
今も立派に存在していました。 いい仕事していますね〜 

海沿いのY's CafeY's Cafe の裏側窓からは海が…






さて 法事の後の お食事会です。
以前の法事のお食事会は お庭のきれいな料亭とか 
近くの広島プリンスホテルから海を眺めながら 

などの コンセプトで とり行われていたのですが 今回は お兄さんの提案で 
海の見えるイタリアンレストランで 開催されました。

というのも もう 義父母の兄弟は 皆 他界してしまい 出席するのは 我々子供と
主人の従兄弟たちだけになってしまったので 気楽にやろうということだったのです。

以前から 主人の兄弟は このような田舎に住んでいるにもかかわらず (失礼?) 
みな非常にリベラルな考え方を持っていたので 誰もなんら 異議を唱える人も無く 
むしろ皆大賛成って事で 家から徒歩5分の 道路沿いのコンクリート打ちっぱなしの 
その地元としては かなり斬新な スタイリッシュな カフェバーで 行われました。
( 写真は 建物の裏側なので ちょっと…? に見えますね〜 )

牛肉と鴨の万願寺唐辛子炒め



















なにせこの辺りは昔は漁村で ( 今も、ですが ) 目の前の海では 牡蠣打ちを
やっていたり海苔やさんがあったりと 本当に 時間が止まったような 静かな静かな 
地域だったのです。

そこに こんな斬新なレストランが出来るなんて 主人は 信じられないと言って
いましたが 兄が 時々 家を見に 広島に帰った時に訪れて お酒を飲みながら
夜の海を眺めていたとの事で、たまたま法事の話を提案したら そこの シェフが 
快諾してくれたとの事です。

イサキのカルパッチョホワイトカレー太刀魚の炒め物







桃とマンゴーのゼリーかけ



















おいしいイタリアンと ワインに大満足で 主人達は 昔話に花を咲かせて 
随分と 楽しそうでした。

でも この辺りに 高速道路が出来るとかで 主人の家の並びから先は その用地と
して 高速公団に 土地を提供したので 皆 もう住んでいないのです。
土地の提供の代わりに 皆さん そこから上の 海の見える高台に 立派なお家を
建設なさったという うわさです。

ですから 主人の実家の並びから先に家は無いので 主人の家の前を通る人は
いなくなってしまい ますます 静かになってしまったのです。

もっとも 主人の家でも 家はあっても誰も住んでいないので 同じような状況で 
この先どうなってしまうのかしら? と 心配していましたが 元来、楽天的な兄弟達
は 次回は いつ集まろうか なんて従兄弟達と 話し合ったりして 広島弁をまくし
立てながら 賑やかに 法事は散会しました。


帰りは新幹線でしたが いつも帰るときには 駅ビルのお好み焼きやさん 
「 麗(れい)ちゃん 
で お土産のお好み焼きを 焼いてもらうのが慣わしになっている
ので 今回も 夕食用に焼いてもらって 帰路に着きました。  
( この日は 大混雑だったので 「 第二麗ちゃん 」 で焼いてもらいました )

  


由布院での きれいな写真です。

台風一過の しらさぎ玉の湯の朝、私湧き出す温泉







由布院での2日間は 由布院 御三家に行くことができ 大満足でした。
それぞれに 各お宿には 特徴があって 決して競合はしていないようでした。

「 亀の井別荘は 」 男性的な 凛としたたたずまいで スタッフも 男性が多く 
落ち着いた感じでした。
こちらが要求したことは全て それ以上に 心配りを見せてくださいましたし 
それ以外では 決して こちらに入り込んでくるようなことはありませんので 
すっきりとした 以前もお話した 「枯れた接客」 がとても 素敵でした。

また 「 玉の湯 」は 女性的なサービスで 初めからこちらの要求を満たすような 
システムが出来上がっていて 全ての女性は 大満足するはずです。

私の好みでは 「 亀の井別荘 」 に軍配を上げる感じです。

でも 色々と 日本旅館のように 次々と お世話を焼いてほしい方には ちょっと 
物足りないかも しれませんね。

5年前からの夢だった 由布院にいけてよかった〜、 ちょっと心残りが減りました。

 
大分川の魚亀の井別荘 お休み処黄色い、まんじゅしゃげ(彼岸花)







さて 月曜日は 恒例の銀座詣で、でしたが 相変わらず 私の首の辺りのリンパは
腫れていて 1,5センチくらいあるそうです。 それも3ヶ所も…
でも 扁平なので まだ 様子見ってことになっています。
その時に先生は 「 悪性度の低いリンパ腫はいつ出来てもおかしくないからね〜」
と 私に言うんです。

ぎょっ! いつ出来ても おかしくない? 

そこで 私は 前回お話した 例の 「 7年生存説 」 のお話を先生に振ったら

先 「 あ〜 7年ね、 でも あれは 悪性度の低い人の話だよ  
紀子さんは 途中で 悪性度の高いものに 変わったでしょ?
だから あれは全然当てはまらないよ〜 」

って こともなげに言うんです。

紀 「 え〜 当てはまらないって? じゃ 私。。。。。。 」

先 「 そうだよ〜 すごいよ! 充分、充分!!! 」

充分 ( 生きてるよ〜 )  
すごいよ ( もう 目標クリア〜だよ! ) 
って感じの先生のお言葉

紀 「 え〜 そうなんですか? もう充分なんすかっ! 」 

先 「そうそう すごいよ! 本当に もう 凄い!  」
って 私が生きていることを 絶賛するんです。

まぁ 先生にしてみれば かつて私に 「 もう終わりだね〜 」 って言った事が
ありますから 心底 私の生存に 驚いているのかもしれませんが…
こう 大きく驚かれてもねぇ〜

紀 「 でも 先生! そう言われても 私、ちっとも嬉しくないんすけど。。。」
って言ってやりました!

先 「 え〜そうなの? 」

って 感じで 恒例の 銀座詣で は終わりました。

もちろん 月単位で死亡っていわれた人が 何年も 皆、生きられる訳ではない
けれど なんだか すごい! って言われるのは  
嬉しいような、 嬉しくないような 気持ちでした。


なんだか 複雑な帰り道でした。 とほほ。。。。。

トンボ、1トンボ、2かえる






由布院は 「 地産地消 」 という事で 地元で採れた農産物を地域の人が消費する
という事を 随分前から実践しています。
沢山の お宿で出す 献立にもそれが反映されていて 最近では 色々な地区からの
見学が絶えないと 先日 テレビのニュース番組の特集でも 取上げられていました。 

自分と同じ気候風土で採れたものは 体に合うということ
新鮮なうちに食べられること
運搬費がかからないので 安く手に入ること

などが 「 地産地消 」 のメリットのようです。

私たちが お宿で頂いた殆どの食材は 地域で生産されたもので 
大変新鮮で美味しいものでした。

これこそが もっとも 素敵な おもてなしだと 感じ入りました。

PS 今 ブログを読み返してみて あ〜 私もまだまだ 小さい人間だな〜って
  思いました。

  あの時 先生に 「 本当にありがとうございます。 
  先生のおかげで ここまでこられました。 この先も よろしくお願いします 」
  って どうして言えなかったのだろう、 あんな言い方しか出来ないなんで。。。
  、と 思った次第です

  でも負けず嫌いな こんな性格が 案外 長生きの秘訣なのかもしれませんね。
  という事にしておきましょう。  

murakilf at 12:44|PermalinkComments(1)

2007年08月12日

亀の井別荘 到着〜夕食

ランチを頂いた 山荘無量塔から ブラブラ歩いて 30分ほどで 今晩のお宿
「 亀の井別荘 」 に到着です。

亀の井別荘 敷地入口


















亀の井別荘の敷地は 1万坪、 この広い空間に 洋室6室 離れ15室の
こじんまりとした佇まいで これらパブリックの施設は 2千坪だそうで 
それぞれの施設が 随分と ゆったりと配置されています。

入ってすぐの 広地には 亀の井別荘、本館と 離れが 向かって右側に
お食事どころ 売店 カフェ バーなどの 外から入れる施設が 左側にという
案内板が 立っていて 泊り客と 一般のお客様とは 中で一緒にならない
ようにと 配慮されています。

ちり一つなく 掃き清められた前庭には 茅葺の門が…
それをくぐって 緑の中に ひっそりと かつ 重厚にたたずんでいるのが
「 亀の井別荘 」 です。

敷地 ロータリー亀の井別荘 入口の茅葺門緑の中にある亀の井別荘






ロビーここで お着きのお茶をいただきますこちらのソファーでもいただけます。







ロビーには いくつかの ソファーのスペースがあり コーヒーや 梅酒など
いつでも 好きな時に いただけるようになっていました。

お着きのお茶を頂いてから 黒のスーツ姿の女性スタッフと共に チェックインです。
私たちは 本館の洋室でしたが 離れ棟のお部屋係りは 和服の女性のようです。

お部屋1お部屋2 ベッドお部屋3 窓辺






お部屋は 山小屋風の 少し暗い印象でしたが そのぶん 窓から見える緑は
とても印象的で美しく ゆったりと 過ごせる雰囲気でした。
お部屋のお風呂も 温泉で、 お湯は ずっと出しっぱなしにして いいですよ、
とのこと、 やはり 道々であふれ出ていた温泉の 湯量の多さを 実感しました。

談話室 入口談話室 室内離れの中にある談話室






雑木林の中に点在している離れの一角に 談話室があり
ます。 ここでも お茶やコーヒーがいただけてクラシ
ックな雰囲気の中 読書やおしゃべりが楽しめます。

この配置図にある18番館は 歌舞伎の中村勘三郎さんの お気に入りのお部屋で
室内は 勘三郎さん仕様に なっているそうです。
そのため お部屋の番号も 歌舞伎にちなんで 18番となっていますが 一般の
お客様も もちろんお泊りできます。


夕暮れの敷地の散策の後は そろそろ少なくなり始めている観光客が 訪れている 
金燐湖という小さな湖の周りを 回ったりして 初めての 由布院の 夕方を
楽しみました。

亀の井ガーデン山家料理 湯の岳庵金燐湖にあるシャガール美術館






夕暮れの金燐湖



















私が なぜ由布院を訪れたかというと 由布院に行きたいという気持ちは
5年前から ずっとあったからなのです。

5年前の 5月に 脾臓に 悪性リンパ腫が出来ていたことがわかり 細胞の
精密検査をするために お腹を開いて 脾臓の細胞を採って 悪性リンパ腫か
どうか 調べるとの事でしたが 余りにも 患部が広がっていたため 脾臓を 
全部 摘出したのです。
 
血液内科の先生は 外科手術は出来ないので 手術だけ 外科の先生に 
お願いしたのです。

普通、悪性リンパ腫は リンパが腫れて判るので 外から リンパの細胞を採って 
診断するのですが 私の場合 運が悪くて 外からは 細胞が取れない脾臓に
出来てしまったので 外科の先生に 開腹手術を お願いしたのです。

当初 血液内科の先生は 脾臓を全摘する必要は無いって 言ったのですが 
( 悪性リンパ腫は 抗がん剤が 良く効くので それで 悪い部分はなくな
から との見解でしたが ) 外科の先生は どうせ お腹を開けるのだから 
悪い部分を 残しておく必要はないので 全摘したほうが良いのでは、 
ということで 見解が違ったのですが ここは 外科の先生に その場で判断して
もらおう、ってことになりました。

でも 最初から 外科の先生は 私の CT画像をみて 
「 かなりひどいね〜 」 といっていたので やはり 思ったとおり 脾臓は
全摘になってしまいました。


大浴場1ヒノキ露天風呂 外には冷えたお水が






お風呂は 男女それぞれ 大浴場と そこから出たお庭には 桧の露天風呂が
あります。
大浴場は 天井が高く ガラス張りになっているので とても明るく 清潔感
溢れていて のんびりと 入ることが出来ました。 
 
離れの客室には 趣の異なった露天風呂が お部屋毎に ついているので 
そのせいか 大浴場は いつ行っても貸切状態で 写真も バッチリ撮れました。

夕食 ガーデンレストラン蛍火園にて前菜お造り






夕食は、 1階にある 宿泊客専用の 蛍火園というレストランでいただきました。
( 離れは お部屋食だそうです )

広い クラシックな 室内に お客様は2組、 スタッフは かなり正統派の 
きちんとした 丁寧な応対だったので 格調高い ディナーになりました。

鮎塩焼き 一人2匹づつです。豊後牛温泉蒸し 2人分由布院野菜煮物 2人分






ご飯 お味噌汁おそうめんも選べました選べるデザート






 
脾臓摘出手術のあと 通院で 血液内科と平行して 外科にも通っていたのです
が 外科の先生は 良く患部を見てくれたり 励ましてくれたりしたのですが
内科の先生は それまでに2,3回しか 診察を受けていなかったので
手術後のはじめての診察でも え〜どうしたんだっけ〜
どこにできたの? 脾臓? ふんふん それでどうしたんだっけ〜
あっ 取ったの… ふ〜ん
みたいなやり取りで 全く私のことを 覚えていなくて 大変驚いたものです。

その事が とてもショックで ( その時は まだ 先生には 私以外に沢山の
患者さんがいて とても 忙しい状況だという事が 全く分かっていなかったもので… ) 思わず 外科の先生に なきながら愚痴をこぼしたのです。


そしたら 先生は 「 外科の先生は 手術をしているから その患者さんの事を
とてもよく覚えているし 何度も入院中に 見ているから 印象に残るけれど
内科の先生は 病気そのものを見ていないから そうそう 直ぐには 
その患者さんの事 思い出さないんだよ。 」 って言ってました。

そして 「 そんなことより もっと 現実を見つめなさい 」 って…

「 これからは 自分のやりたいことに 優先順位をつけて 後悔しないように
順番に こなして 生きていかなくてはいけないね、 
行きたいところ、 したいこと、 やっておかなくてはならないことを 
今日からすぐ 順番をつけて 行動しなさい 」
と言い聞かせてくれました。

「 そして 一つ一つ 重ねて生きてゆくことが 大切なんだよ 」 って。

「 今のうちなら まだ そのどれも 出来るから… 」 って。 

私は その時 病気のことは まだ半信半疑で 何とかなるだろうくらいに
思っていましたが その先生の一言で これからは やれるだけやって
後悔しないで 生きていこうと決めたのでした。

先生ありがとうございます〜

現実なんて 全く見ていなかった私に きっぱり言ってくれた先生!
その先生、 実は背は低いし 足元は へんてこりんなゴムのスリッパ
みたいのはいてるし どこから見ても う〜ん、的な感じの先生だと
思っていたのですが その一件があってから 私の中で その先生の評価が
すごくいいお医者さんに変わったのです。

その後 外科の最後の診察の時に 先生は 
「 いつでも 何かあったら 外来の時に 来ていいよ! 」
と言ってくれました。

今でも 病院で その先生に 偶然お会いして 元気な私を
見てもらいたいな〜と 思っているのですが 5年たった今 
それ以来 一度も お会いしたことはありません。
 

そして その頃 女性誌を にぎわしていたのが 「 憧れの由布院 」 
なる温泉地だったのです。

もちろん 伊豆あたりには 高級旅館は 数多くありましたが 客室露天とか 
談話室などの しゃれた施設は まだ出始めた頃で 由布院のそのスタイルが 
随分と 脚光を浴びて たびたび テレビなどでも 取上げられていました。

その時の私は 後悔のないように どこに行きたいか? と問われれば
由布院に行きたいと 漠然と考えていたのです。

でも この手術の後の 詳しい細胞の検査で 顔が変わっている細胞が 
( この 顔が変わるというのが 非情に 悪い現象なんだそうです )
あった という事がわかったので 何もしなければ 月単位で死亡、 
クラス靴砲覆辰討靴泙辰燭里任后 

ですので かなり悪いと判ってからは とりあえず 行けるときに 外国に
行ってこようという気持ちが強くなり 九州という選択肢がなくなっていたのです。

でも いつかは行きたいという気持ちが 心の底にあって その後 再発は
しましたが また元気になっているので 最初にいきたいと思った 由布院に 
やっぱり行ってこようと 思った次第なのです。

それに 以前に 内科の先生は 
「 悪性リンパ腫は 結構 ぐずぐずと 生きていく人が多いよ 」
「 たいてい 7年くらいは 生きれるよ 」 
と言って 私を喜ばせてくれたことがありました。

( けっ! 月単位じゃなかったの? )

「 でもね 7年って、発病してからじゃなくって 体の中に病気が生まれてから 
7年って ことだけどね 」 ですって。

じゃ 発病するまで 2年かかったとすると 病気になってから 
5年って事ですよね〜
え〜 じゃ 7年って今年じゃん! 私は セミかよっ!

って事で これ以上考えると恐いので 早速 由布院に行っちゃった訳です。
 

夜の亀の井別荘


















夜は まだ 風が少し吹いていたくらいでしたが テレビの天気予報によると
明日の午後あたりから 台風は 九州に 接近するとの事でした。

夜9時からは ロビーで SPレコードの視聴会が催され ホテルのスタッフの方
による解説付きで ジャズをききながら 憧れの由布院の夜はふけていきました。


murakilf at 22:48|PermalinkComments(2)

2007年07月05日

伊豆のきれいな写真を見ながら、 検査の結果です。

「 正平荘 」 のきれいな写真です。

あじさい


















サロンに飾ってあった、つるし雛家紋(抱き茗荷)入りの灯篭玄関のハンカチの木






東伊豆の 稲取温泉辺りで有名な「つるし雛 」 
の飾りがこちらのサロンにも飾ってありました。



チェックアウトの後は 伊豆修善寺温泉界隈を 散策しました。
有名な 赤い橋と 竹林の小径 です。

修善寺、竹林の小路


















修善寺の境内の竹林修善寺の階段竹林の小路





箱根、芦ノ湖を望む





うす曇ではありましたが 雨にもあわず 楽しい初夏の旅を満喫してきました。
でも この旅行が終わってから 私を暗くする 出来事があるのです。
それは 次の月曜日が 私の検査結果を聞きに行く日だったからなのです。

当初 この大きな検査は 7月に予定していました。
前回は 2月だったので 本来は 大きな検査は 半年に一回なので 
8月に検査を入れていたのが 主人の母の法事と重なるため 先生にお願いして 
7月に 変更して 入れてもらっていたのです。

…が、 5月に 毎年やっている 人間ドックで ( この人間ドックで 最初の
悪性リンパ腫が 見つかったのです ) 超音波検査の結果 おなかの中の
リンパ節が 腫大しているとのことで 要再検査という結果がきてしまったのです。

悪性リンパ腫の始めは リンパ節が 肥大しているということで 判ることが 
多いので 私は この 「 リンパ 」 と 「 腫 」 と言う文字には 
いつも かなり敏感になっているのです。

なにせ 携帯で メールを打っていても 「しゅ」 と打つと 下に候補の文字が
いくつか出るのですが 私の場合 一番最初に 「腫」 の文字が出たり
「が」 と打つと すぐさま したには 「ガン」 と出るような 具合に
なってしまっているほどなのです。 
そりぁ〜 すぐ出てくると 病気の報告をする時は 便利は便利なんですけれど
さすがにねぇ〜  私も その文字を見ると トホホとなる訳です。

この 携帯電話の 「 文字変換機能 」 どうにかならないでしょうかねぇ〜

とにかく この人間ドックの検査結果を見て えぇ〜 リンパ節の 肥大? 
う〜ん、 この間の 声かれ騒動も 一段落したと思ったら 
また 今度は 肥大かよ〜
どんだけ〜 って言うくらい がっくり! でした。

そこで またまた 5月の終わりに 主治医の先生に 言ったのです。

「 すいません 今度は 超音波 お願いします、 先日受けた 人限ドックで
リンパ節肥大って 言われたので… 」 と。

そしたら 先生は 「 えぇ〜? 今回は 何も無いと思ったのに 
また見つけたの? 」 って…

友人から頂いたクリスピークリームのドーナツ






最近 診察のたびに 毎回毎回 私が不調を訴えるので 先生は さすがに今日は
無いだろうと 思っていたらしいのですが また見つけたの? とのお言葉でした。

私だって 見つけたくないよ〜
好きで見つけてるわけじゃないんだから〜

そのせいか この日の先生は 私に対して とても気楽に接してくれました。

「 もっと 気楽に しなきゃ だめだよ〜」って。  
こっちだって、気楽にしたいよ ほんとに。

というわけで 6月に 超音波と CTの検査を 無理矢理 緊急で 入れて
もらったのです。

この病院は 外来でも 相当な患者さんがいらっしゃるので 普通 予約は
半年先くらいじゃないと 入らないのです。
でも 緊急の場合の枠もあるようで 先生の判断で 入れてくれるのです 
( 私は 次回の予約も (11月) もう入れてあるんです。 )

るり菊


















雲間草小さくて可愛い花りゅうのひげの花







さて 超音波の検査に行った時のことです。
一通り 長ーい検査が終わって じゃ 結果は 主治医の先生から聞いてね〜
ってことで終わって 横の更衣室で着替えていた時のことなんです。

私は 検査で 腹部に塗るゼリーが 沢山ついていたので それを拭いたり
して かなり長い時間 更衣室に いたので
こんな時に 何か 私の結果のことで 先生と看護師さんの話が 聞こえたら
イヤだなぁ〜 と思っていたのです。
そしたら その時 奥から 先生が 看護師さんに 「 じゃ これ至急で 
お願いね 」 って 言ってるんです!

えぇ〜 至急?
いや〜ん 至急だって〜

ど、ど、どうしよう…

家に帰って 主人に 「至急」 って言われたよ! って言ったら
主人 「 やばいじゃん! 」 って…
えぇ〜  それじゃ こっちも 返す言葉が無いじゃん、って。

と まぁ それ以上 なす術もなく また別の日に CT検査をして 結果まで
2週間 待つことになりました。

そしたら その間 なんと 今まで経験もしたこと無いくらいの めまいに襲われ 
吐き気までも… 何度も 吐いてしまったほどの めまいが 私を襲ったのです。

その日一日と あと3日ほど くらくらとした日々が続いて…

あ〜 とうとう めまいもきたよ!
全身症状だね、これは。
 
一人で 騒いでいる私を みて
家人は 皆 「 おかあさん 寝不足だよ それは 」 って言うんです。

つれない家人をもって わたしゃ がっかりだよ〜

とにかく 結果を待つしか無いと 観念して 旅行など入れていたのです。

広島宮浜温泉、庭園の宿 石亭


















宮島で食べる「うえの」のアナゴ弁当お部屋1お部屋2






突然 話は変わりますが 2年前の夏に行った(私を
抜いて)広島の宮浜温泉 庭園の宿「石亭」の写真です。


随分前から予約しておいたのに 私は入院でいけなくて 上の娘と 息子 
主人の 3人で 行ったお宿です。
最近 とても評判が良くて 「 旅館グランプリ 」 でも 全国2位に 入って
いるし 「 自遊人 」 の日本の宿 グランプリでも 同じく 2位に 入って
いるお宿です。
お庭もきれいだし 何より 接客がすばらしいとの評判です。

中途半端に 人物の一部が入っている 写真ですが 離れのお部屋と 
お庭のすばらしさ 感じてください。
( 何気に この男子達は 各々 携帯を いじってますね )



さて とうとう 結果を聞きにいく 月曜日が来てしまいました。


私が 暗〜い顔をして 恐る恐る 診察室に入っていくと 先生は 

「 どうしたの? 何も無かったよ 」 って。

「 えぇ〜 何も無いって どういうことですか? 」

「 だから 何も異常は出なかったよ 」

「 えぇ〜? 私 めまいもするんです、 それに 首も腫れているんです。 」

心の中では「 超音波だって 至急って言われたんですけど…」 って言ってました。

と必死に訴えましたが、 確かに 首のリンパは 腫れてるって結果が出てたけど
まだ小さいし 様子を見るしかないね、 とのこと、
それに 首のリンパの腫れの場所と 私の言ってる 首の腫れは 場所が
違うし…って。 
めまいも そりゃ あるかもしれないけれど もし再発のめまいならなら 
それからずっと めまい、してるよ、 今日も 来られたんでしょ?
それくらいなら だいじょうぶだよ、って。

首の腫れは 整形外科に行ったら?
めまいは 耳鼻科に行ったら? とのお言葉。

よかったけど、なんか 納得できないなぁ〜
主人は 「 良かったじゃん! 」 っていうけど…

とまぁ こんな感じの 結末でした。

これからはあんまり ごちゃごちゃ言うと 狼少年に なってしまいそうなので
何だか あんまり 不調を 訴えられなくなりそうです。

でも 確実に めまいはするし 首は 腫れているしで 別の お医者さんに
行かなくてはならないのですが これって 案外 勇気の要ることなのです。

だって 今までのことを 話さなくてはいけないし 言うと 結構
「 そりゃ 大変でしたね 」 なんていわれるしね。

なんだか それが面倒くさいので 未だに まだ どこにも掛っていないのです。

先生は 少しの事で 大げさな、と思っているのでしょうが 私は 同室だった
エルメスさんや タバコさんが お2人とも だんだんと 声がかれてきたり
( 最初は とてもきれいな声だったのですよ、 お2人とも )
最後のほうは めまいを起こして よく倒れていたのを 何度も 見ていたので
それと 重なってしまい 大げさに感じているのかもしれません。

エルメスさんは 後半は 頻繁にめまいで 倒れていたので エルメスさんが 
ベットから降りると 看護師さんたちが すぐ気づいて来られるように 
ベッドの 周りに センサーのようなものが付いたマットを 敷かれていました。

でも ベッドを降りるたびに 看護師さんがすぐ駆けつけてくるのが 面倒なの、 
と言って エルメスさんは そのマットを避けて ベットから降りていたりした
ので 余計 危なくなったりもしていました。

そんな思い出が よみがえってきます。


。。。ということで これで 納得は出来ないけれど まずまずの 日々を
送っている このごろです。 

murakilf at 20:01|PermalinkComments(4)

2007年04月21日

パリの合間に...

満開のもっこうバラ


















この モッコウバラの写真を ブログに掲載するのは 今回で2回目になります。
ありがたいことに ブログを始めて 2回目の春ということです。
。。。ということで 久しぶりに 病気ネタです。

満開のもっこうバラ2オキザリスかたばみ







今年の 2月に 半年に一度の CTの検査をしました。
おかげさまで CTでは 異常がなかったのですが 診察をしていた先生が
私の首に リンパの腫れを発見! それでよく見てみたら 扁桃腺が腫れている
とのこと、 先生いわく 「 扁桃腺に 再発することが 多いんだよねぇ〜
CTは 5ミリ間隔だから よく見落とすことがあるんだよ、 これは 頭頚科に
いって 細胞診をした方が 良いかもしれないね〜 」
なんて言うんです。

花キャベツえびね1えびね2







先生の様子では もう大変! とうとう再発か! 位の勢いだったのですが、
「 エェ〜 そうなんですかぁ? 扁桃腺は 以前も腫れているって 言われて
いるんですけど...」 と 一歩も引かない 私。

先生カルテを めくってよく見ると、 「 そうだったねぇ〜 じゃ 様子見
ってことで 次回また。。。 」 って事で 2月の 診察は終わったのです。

私が 診察室を 出ようとしたら、 先生 「 声 かれてない? 」 って、
駄目押しの 一言!

私 「 かれてません! ( プンプン ) 」 またまた 一歩も引かない私。

でも 帰りながら 声のことが心配になって せっかく CTの結果が
よくっても ちっとも 喜べない私で それからずっと なんだか 憂鬱な毎日
を 過ごしていたのです。 

変わりチューリップ君子蘭ノースポールとマリーゴールド







この頃 パリ行きの話が出てきて 迷っていた私は こんなことじゃダメだ!と 
気分を変えて パリ行きの決断をし 計画を練り始めたのです。 

旅行代を 少しでも安く上げるために とうとう 「 変更のきかない予約 」 
に 手を出し始めたのです。

飛行機は 便や日にちの 変更はできず 取り消しは 代金の半額を払う
「 JAL悟空 」 を 予約し 
ホテルは 予約と同時に カード決済の一切返金なしのタイプを 予約して 
融通よりも 経済性を 重視して あえて自分を 鼓舞させていました。

でも 言われてみれば 最近 声がかれ始めていたのです。

家に一人でいると 全く 喋らないので 気付かなかったのですが
家族が帰ってきてから しゃべり始めると 確かに 声が かれているのです。

それに 扁桃腺を良く見ると 白いものが出来ているのです!
きゃぁ〜 とうとうきたか! 再発か!

3月の診察では 先生は そのことを 何もおっしゃらなかったので 私も 
飛行機もホテルの予約も しちゃったので これで キャンセルしたら
違約金を たっぷり払わなくてはならないので その日は 何も言わず、
とにかく 全ては 4月の旅行が終わってからだと、 静かに こそこそと 
3月の診察を終えたのです。

八重のチューリップ1


















チュリップ123







その後 体調も 特別悪くはなく これが最後になるかもしれないと 
堅い決意で臨んだ パリ旅行も 無事 楽しんでくることが出来ました。

そして 翌月曜日の 診察では 先生に 全てを話して 細胞診の予約を
入れてもらうつもりで 決死の覚悟で 病院に向かいました。

主人にも 「 さすがに もし再発していたら 今回で 4回目だから もう
やばいかも 」 と言って 出かけた 私でした。

そして 2時間おしの診察室、 いつもの 調子で 「 どう? なにかある? 」
って先生。

私、 「 あるんですぅ〜 実は... 
   声がかれてきて 喉に白いものが出来ているんです。 」

「 えっ? 白いもの? どれどれ...
でも 再発では 白いものは出来ないよ〜
それに そうだとしたら もっと 扁桃腺が腫れるし...
ちがうでしょ、 再発ではないよ。 」 って いとも簡単に 言う先生。
 
「 そんなに心配するんじゃ もう ○○さんには 何も言えないなぁ〜 」
だって...

( えぇ〜 心配させるような事言ったのは 先生じゃん!  心の声 ) 

仏の座



















こんなやり取りがあって 今回の 「 声かれ事件 」 は あっけなく
幕を閉じたのでした。

相当 心配していた 主人は それがあったので 今回の旅行も 快く許して
くれたのですが この私の 独りよがりの 陳腐な幕切れに ほっとする傍ら
そうとう あきれてもいたようです。

群生する仏の座クレマチス小手まり







昨日の夜 私が 家族に 
「 私の趣味は ( 旅行のこと ) 癖になるからね〜 
もっと もっと って 際限なくなるからね〜 」 
って 言ったら そろって家族に 
「 そうだよ! それに その趣味は お金が かかるから もうやめたほうが
いいかもしれないね! 」 って言われてしまいました。

家族も 今回の 診断で とりあえずは まだ元気らしい? ということが
分かったとたん 急に 現実的に なってきたのです。

もう 再発の治療が終わってから 1年半以上も経つので そろそろわがままも 
言えなくなりそうです。

私と おんなじ 旅行好きの バンクーバーさんは 今年は 娘さんと北海道の
旭山動物園の旅、 その後 息子さん ご主人様と 千葉の千倉へのバス旅行、
その後 明太子を買いに 福岡への旅、 そして 明日からは 沖縄 アリビラ
への4日間の旅に 行かれるそうです。

なんて お優しい ご家族 ♪

我家は 最近の 激しい 財政赤字の拡大を 回避するために これからは
緊縮財政路線を 明確に行う任務が 私の前に 立ちはだかっているのです。

我家の 財政再建のためには それも仕方のないことです。 とほほ...

再発をしていない 私には 家族の 誰も 援護はしてくれなさそうです。

一緒にパリに行った 次女でさえ お母さんと行くと お金がかかるから
いやだよ! こんなんじゃ HISで行けばよかったよ! と言われる始末 

あんなに 豪華なホテルに 大喜びしていたくせに...
あんたが行こうって言うから 行ったんじゃない! って これも 私の心の声です。

うつぎ



















ちなみに 主人の趣味は 「 午睡 」 なんです。
つまり うたた寝って事で...

これは 状況さえ整えば いつでも どこでも 楽しめる趣味で 
おまけに 誰も誘うことなく 一人で 楽しむことが出来るのです。

それに 何より お金もかからない、 道具も要らない、 本当に 経済的で
すこぶる 良い趣味です。

...とにもかくにも とりあえず ほっとしている この頃です。

クリスマスローズさん 春のお庭クリスマスローズ様から 春のお庭の 
写真が 送られてきました。
本当に 色合いもステキにまとまって 
きれいですね〜
たくさんのチューリップがよく同時に
咲いていて すばらしいですね。
よくお手入れをなさっているのでしょう。

我家の庭は 毎年 勝手に咲く花が
大部分を占めているので
どうも このように センスよく
まとめられず ちぐはぐな色合いの 
庭になってしまうのです。

また 夏のお庭も見せてくださいね。
ありがとうございました。



murakilf at 00:14|PermalinkComments(2)

2007年03月28日

銀座の個展と 最近のお庭

今日はとても暖かい日でした。
我家との境に咲いている お隣の 「 花海棠(かいどう) 」 です。
すっかり 色も濃く 咲き誇っています。

花かいどう ?



















下の写真の真ん中が その 隣家の花海棠で、 左は 隣家との境の 椿の生垣、
右の写真が 裏庭にある 桃の木です。 

この木は 今まで 梅だと思っていましたが どうも 桃らしいということを 
昨年 母が 言い出しました。  さて どうでしょうか?
これって もう 30年くらい咲いているのに 今頃気付くなんて のんきな母ですね。

椿の生垣隣家の花かいどう青空に映える桃の花







さて ブログの更新が すっかり遅くなり 1週間以上もあいてしまいました。

先週は 友人のお子さんの演奏会、 親戚の お通夜 お葬式、 それから 
息子のスーツ購入のためのデパートめぐり、 娘との買い物 息子の卒業式など 
出かける用事が 目白押しでした。


ラクロスの焼印入りのお饅頭銀座ミキモトの前息子の卒業式後に 
クラブの謝恩会が
行われました。
その時のお土産の
ラクロスの焼印の
お饅頭です。


今週の月曜日は 娘と銀座に 出かけました。

映画「 パリ・ジュテーム 」 を見てから 銀座7丁目にある 「  」という
夜は和風ダイニングになるお店の 「 昼の響 おにぎりと旬野菜のブッフェ 」
を頂きました。 

響 階段の壁に飾ってあるウイスキー響 階段に飾ってあるウイスキー響 旬野菜のビュフェ 千円







店内は 2階構成になっていて ブッフェは上階 下は かなり落ち着ける 
暗いムードの 広いテーブル席と お座敷席があります。
上階で お料理を取って 下の階で ゆっくり食べるのが 落ち着くようです。
 
写真は その 下階に 下りる階段に飾ってある ウイスキーのボトルです。
後ろから 光が当たっていて とても 幻想的でした。
( 触ってみたら しっかりと 接着剤で とめてありました! )

以前 行った時も 混んでいましたが 今回は 1時は過ぎていたにもかかわらず 
待っている人も まだまだ多くいて ビックリしました。
なんといっても 税込み千円で 美味しいおにぎりと 和風お惣菜が 食べられます。
もちろん 最後には コーヒーもつくんですよ〜

ランチがメインでない日の ちょこっとした お昼には ぴったりですね。
銀座7丁目 グリーンビル 10,11階です。



銀座 入院時の友人の個展


















この日 銀座に行ったのは もう一つ 重要な用事があったからです。

私が 2回目の入院時 同じ病室で 大変仲良くしていただいた方の 絵の個展が
銀座で 月曜日から 開催されたのです。

水彩画 1お値段2







いつもお話している 血液内科に 入院したときの 同室の方で エルメスさん
大阪のタバコさん そして この画家さん ( 以前お話した 今まで マクドナルド
を食べたことがない というので 娘が買って差し上げた、あの方です ) 
の4人で とても 仲良くさせていただいた方の 個展です。

ご実家で 御両親と 住んでいる画家さんは 以前から ご両親様が 芸術に
非常に協力的だ ということで 「 あなたは 絵を書いていればいいのよ 」 
とおっしゃっていて 家事をしていないのよ、 と伺ったことが あります。

でも 最近は お母様が ご高齢のため 「 家事もしているのよ〜 」 と
おっしゃっていました。

個展は 入院前に 書き溜めていた水彩画と 退院後に始めた マーカー画が 
ありました。
どれも とても きれいな色使いで 心温まる 美しいものでした。
個展は 今回で 8回目で ー雲を描くー というテーマでした。

沢山の ご友人の方や 大学の 先輩や 同輩などの方が ひっきりなしに 
訪れていました。 
 
個展12マーカー画







本当は 以前同室だった エルメスさんの お母様と 妹さんと ご一緒に
見に行きたかったので 私が連絡したところ お母様は あれ依頼 まだ一度も
銀座に 足を運んでいないと言うことで 今回も お約束は出来ないとの 
お返事を 戴いていました。
( 私達の 病院が 銀座の ごく近くにあったもので お母様は 毎日銀座通い
をしていましたから... )

当日 会場で その話をしていたところ 画家さんの 目が 入り口に...
そしたら なんと そこに エルメスさんの お母様と 妹さんがいらしたのです。

本当に 偶然でした。
個展は 月から 土まで 開催されていましたので 私達と エルメスさんのご家族が
あうなんて 本等に 偶然でした。

お母様は 今日 思い切って 銀座にいらしたのです。
有楽町の駅を出るときは 本当に 体が震えたとおっしゃっていました。

もう その後は 皆で 涙、涙... でした。
エルメスさんの お葬式以来ですから もう 1年4ヶ月ぶりくらいの対面でした。

会場には 同室だった 大阪のタバコさんのお母様からも 大きなお花が届いて
いましたから この会場で 4人が 集まったような気がしました。

きっと エルメスさんが 会わせてくれたのね〜 って 皆で言いました。

そこで 1時間以上 皆で 近況を報告し合いました。

久しぶりに見る お母様と 妹さんは ますます 美しく エルメスさんの名の
とおり 新作の ゴールドの ボリードの バッグを お持ちになっていました。

画家さんは 大勢の お客様に囲まれつつも こちらのお話にも 入ってくださり
申し訳なかったくらいです。

4,5日前のムスカリ3月28日のムスカリ









その時の お母様のお話ですが 今 はやっている 「 千の風になって 」
という曲の話になりました。

「 私のお墓の前で泣かないで下さい。 そこに私は いません。
 眠ってなんかいません。 
 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹き渡っています 」

という歌詞ですが お母様は 

「 いつも お墓に行くんだけれど やっぱり あの娘が いるのよね〜 
私がお墓に行くと いつでも あの娘はいるのよね〜 」 
と おっしゃっていました。

ムスカリとチューリップお庭のベンチすごい色合いになってしまいました!







まだ エルメスさんが 元気な時に 赤坂の 全日空ホテルの 裏の坂道で 
桜とともに 微笑んでいる エルメスさんの お写真を 見せてもらった事が
ありました。 本当に 美しい きれいな方でした。
去年は 桜を見ると いつも その写真のエルメスさんを 思い出していました。

今年も 家の近くの桜が 今日から きれいに 咲き始めました。

おつかいの 帰り道 今年も 私は エルメスさんを 思い出しました。

やっぱり お母様の言うとおり エルメスさんは いつでも お母様や 妹さんの
そばに いるのでしょう きっと...


チューリップ咲き始めたチューリップピンクマーガレット







最近 私と同じような 病気の方の ブログを いくつか発見しました。

抗がん剤治療を 通院でやっている旅行好きな方は 体調と相談しながら
ハワイに よくいらしています。

また もう一つ発見したブログの方は 私と同じ 悪性リンパ腫の方で 多分
私と 同じ病院かと... だって移植の同窓会のことを かいていましたから。

その方は 治療にかかった費用を かなり克明に記録していて 自分で支払った
費用 ( 総額の3割分 ) の他に かかった総額も きちんと 書いていました。

かなり 治療は ご苦労をされたようで 総額は 2000万を ゆうに超えていました。
私も そのときは 一応 小さなノートに 病院に 支払った金額を つけて
いましたが 退院以降 改めて計算することもなく 保険金が入ってきたら 
旅行に行ったり 買い物したりと ずるずると使ってしまい トホホ状態です。

これは 見習わなくてはいけませんね。

らっぱ水仙水仙プリムラ







私は 現在は 子どもを通しての友人が 大半ですので 息子が 大きくなってからは
新しい お友達は もう増えないだろうと 思っていました。
でも 病気をしたことで また 良い人々に めぐり合え 不思議なご縁を
感じています。 

こんな私ですが 私が 上記の お二方のブログを見て 元気を貰っているように
私のブログをみて 少しでも 元気になってもらえる方が いればいいなぁ〜と 
いつも 思って 書いています。

murakilf at 20:27|PermalinkComments(2)

2007年03月11日

最近の私 と 移植の同窓会 

六本木 福寿司中華街 梅蘭 焼きそば友人のマンションから見たみなとみらい







珍しく 平日 代休を取った娘が 六本木の美容室に 午後から行くというので
もう、お休みに入っている 息子と3人で 以前から 家族に 勧めていた 
六本木の福鮨に ランチに 行ってきました。 
子ども達は ちらし寿司、 私は 握り鮨ランチ ともに 2625円です。
このほか 茶碗蒸し、 小鉢、 サラダがつきます。
デザート、珈琲は 別室の バリバリ夜の雰囲気満載の ラウンジでいただきました。

2枚目の 写真は 中華街の 「 梅蘭 」 の 焼きそばです。
訪れた日は 休日だったので 列がかなり出来ていて ゆうに30分以上は
待ちました。
焼きそばの 麺が しっかり焼いてあって 中に あんかけの具が 入っています。
皆さん これを注文していましたが 結構 量があるので これを 人数分頼むと
かなり 大変です。
私たちは これに 牛肉やきそばと 小ロンポウを頼みましたが 案の定 食べきれず
もったいないことをしました。 
この 私たちの頼んだメニューで 3人は いけそうです。

続いて みなとみらいの 見晴らしの良い マンションに住んでいる 友人宅を
訪問したときの ベランダからの 景色です。 
この時に ちょうど テレビの お昼のワイドショーで 中華街の特集を やっていて 
梅蘭の 焼きそばも 紹介されて いました。 
テレビの 放映の後は ますます 混んでしまいますね。


ハワイ カイルアビーチ


















ハワイの空と星条旗ダイヤモンドヘッドからワイキキを望む朝の浜辺







息子が 春休みを利用して 友人と行ったハワイの写真です。
知り合いの お嬢さんが 案内をしてくださり 色々と 北のビーチなども 
回ったそうです。 
なんと そのお嬢さんは 息子より 年下の 高校生なんですが ショートパンツ
に ビーサン、サングラスで 車を乗り回していて まさしく ビバリーヒルズ
高校生白書のようで スゴーク かっこよかったそうです。
 

バンクーバー 雪山
















バンクーバー かぼちゃ雪山 その2







この3枚の写真は 私の 旅好き3人組の 一人 バンクーバーさんの 写真です。
この写真は もう 随分前に 頂いていたのですが 容量が大きくて なかなか
思うサイズに 圧縮できず こんな時期になってしまいました。

次回の 旅のご予定は 「 函館の朝市見学 」 だそうです。

ご夫妻の 旅が終わったら また お話を聞くのを 楽しみにしています。


キリマンジャロと象


















この スケールの大きな写真は ドバイでお世話になった 幸子さんが 休暇で 
ご友人の方といらした アフリカ、ケニアでの キリマンジャロと 象です。

こんなに 至近距離で 写真が 撮れるのですかねぇ〜
すごいですよね。 こんなに キレイに 山と 象が 撮れるなんて めったに
ないのではないでしょうか?
時間がゆっくりと流れて さぞ のんびりされたことでしょう。

みなさま ステキな写真を ありがとうございました。


夜のホテルの外観3月3日は 以前お話していた
「 移植1000人の同窓会 」 に行ってきました。
実は この パーティが 行われた ホテルは 
私達が29年前に結婚式を挙げたホテルなのです。
もちろん そのことは 知ってはいましたが 
ホテルに行く途中 坂を上っていた時 突然 

昔の記憶が 甦ってきて なんだか自分でも ビックリしました。

ホテルは 昔のままでした。
クラシックな感じで このような催しには ピッタリの 雰囲気です。

受付には 移植の時の 私の担当の看護師さんが いらしたし、 毎朝の 検温
や 採血で お世話になった 看護師さんもいらしたので 私が 元気で
過ごしていることを お話しました。
そして 移植病棟に入院中 同室だった方の 今日の出欠を お聞きしましたが 
看護師さんは 首を振っていましたので その後の お話は 聞けませんでした。 

この日の 出席は 総勢 350人くらいで、 患者さんと ご家族の方あわせて 
260人と いっていましたので 患者さんは 百人くらい だったのでしょうか。
後は 歴代の 移植病棟の 看護師さんと 先生方 病院の関係者の方達で
会場は 随分と にぎわっていました。

皆さん とても お元気そうなので どの方が 患者さんなのか ご家族なのか
看護師さんなのか 全く 見分けがつきませんでした。

私のことも 看護師さんたちは 「 うわ〜 お元気そうね。 
ご家族の方 だと思ったわ 」 なんて 嬉しいことを 言ってくださいました。

会の はじめに 黙祷をささげ その後 ホテル特製の 体に良い 美味しいお料理を
頂きながら 何人か 偉い先生方の ご挨拶がありました。
( 私は 移植病棟に行く前に 同室だった 今はなき エルメスさんや 
大阪からいらしていた タバコ好きな方と 過ごした あの夏の日を思い出し 
少し 涙が出ました。 )

ご挨拶の後は 移植を受け、すっかり元気になった方達が 壇上に上がり 次々と 
お話を されました。

この病院での移植は 1983年くらいから まず 小児病棟で 始まったそうで 
なんと 最初に この病院で 移植をうけた方が 今日も元気に 出席なさって
ご挨拶されていました。

移植の会 お料理123







そのほか アメリカからの 骨髄の提供が 始まって 第一番目に 輸入骨髄
での 移植をされた方の お話がありました。

その方の感想では ビニール袋に入っている 骨髄液の 上部が 真っ白に
なっていたので 先生にお聞きしたら 何と それは 脂肪 だということで 
ビックリ されたそうです。
現在は お子様も お二人いて とても お元気そうでしたが アメリカ骨髄
のせいでしょうか? 少し 肥満気味? と 会場を 沸かせていました。

また その当時 46歳で 年齢的に 治療は 厳しいとされていた 患者さんは 
いくつかの病院で もう スベはありません、 身の回りの整理を してください
と 宣告を 受けたそうでしたが この病院で 移植を受け 今もお元気で 
壇上に たたれていました。
 
移植をする時には ご実家である 沖縄の島から 何人も 応援に見えたり 
また 毎日新聞の 取材も受け 新聞に載ったとも お話されていました。

次の方は ご夫婦それぞれが 移植を受け テレビの 公共広告機構 ( AC ) の 
骨髄バンクの CMに 出られた方でした。 
移植がご縁で お知り合いになったのでしょうか? お二人とも 本当にお幸せそうで
私達の励みになる 思いを 会場の皆さんに 伝えてくださいました。

45







その後も 子どもの頃に移植した方が お話になり 最近 ご結婚なされたとの 
報告があり 会場から 奥様も 壇上に上がられ 大きな拍手が 沸きあがりました。

現在 この 病院には ここで移植を受けた患者さんの 会があって そのお世話役を
やっている方も お話されましたが 皆さんの お元気な 姿に 感無量という
感じでした。
私も 皆さんの お話を聞きながら 何度も 涙をぬぐい また 笑い 
今 ここにいられる 幸せを 感謝しました。

そのほかの 皆さんのお話からも 治療中は さぞ お辛い思いも されたこと
でしょうが そのようなお話は全くなく 前向きな 今を生きる 明るい お話
ばかりでした。

周りの 皆さんに 助けられ 励まされ 何より 見ず知らずの方のご好意により
( 骨髄提供者とは お手紙で お礼をする 以外は 接触がないそうです )
今を 生かされているという 使命感のようなものが伝わってくる お話の数々でした。


その後 昔の 移植病棟の 様子を スライドを交え 看護師さんから お話が
ありました。

この病院は 10年弱前に 新病棟ができ それ以降は 快適な 
入院生活がおくれますが それ以前は とても大変だった様子が 披露されました。

今は この移植のフロアー自体が 全て 無菌室仕様になっていますが 
以前は それを 保つのが とても大変のようでした。

次に 婦長さんのお話もありました。
この婦長さんは 15年間 移植病棟にいらした方で 私もお世話になりました。

婦長さんの 印象的な思い出は  9.11のときに 骨髄の 提供が 遅れ 皆で
心配したこと、 また 届いたときは 本当に嬉しかった事など お話されていました。

また 婦長さんは 患者さんの 移植当日に お写真を 撮ってくださり 
その お写真を くださるのです。 これを 15年間も 続けてこられたそうです。

自分以外の方から 移植を受けた方は 血液型も 変わるので この日が 
第2の お誕生日に なるのです。
そう思うと 性格も 少しは変わるのかも知れませんね。 
( 医学的には 変わらないとの事ですが... )

このような 心使いが 患者さんを 支えてくださっているということが よく
分かりました。 婦長さん 本当に ありがとうございました。

会場の 後ろの壁には 今日 来られなかった方や 家族の方からの お手紙や 
メール インターネットの 動画など 展示されていました。

看護師さんたちは 以前の 患者さんたちと こうして お酒が飲めるなんて
本当に 夢のようだと 感激していました。

私の入院中 病室の担当だった 若い お医者様にも お会いする事ができました。

この先生は 私が 最初いた病棟の 病室担当の先生で その後 私が 移植病棟
に移り 私が退院した後に 先生も 移植チームに 移られたのです。

私は その先生は 今頃は もう アメリカに 行ってらっしゃると 思って
いましたが この病院での 研修が 長引き この3月まで 勤務なさるそうです。

嬉しいことに 私の ことも 良く覚えていてくださり 
顔も とてもきれいになりましたね、 とか ( 抗がん剤の 副作用で 
色素沈着がおき ホホのあたりが 真っ黒になってしまったのです )
腰の具合はいかがですか? とか 
腕に出来た 湿疹は その後 どうでしたか? 
なんて 私が すっかり忘れていることまで 覚えていてくださり 感激しました。

また 先生の担当の もう一人の 同室だった患者さんのことを 私が
「 お元気で 今度 銀座で 絵の個展を するのですよ 」 と報告したら 
とても 喜んでくださいました。

私が 「 以前 お聞きした、 地元でお付き合いしていた 女医さんとは 
その後 どうなりましたか? 」 とお聞きしたら 
「 ふられました... 」 とおっしゃっていました。 ( 気まず〜... )

最後に 皆さん 全員で 会場の真ん中に集まり 集合写真を撮って お開きに
なりました。 あまり お知り合いには 会えませんでしたが 皆さんの 
お元気な パワーを頂き 心温まる ひと時でした。

次回の開催は 移植を 受けた人が 2000人になった時だそうです。
これからは 医学も進歩しているので 10年も かからず 実現するでしょう。

ますます 移植の 技術が 発展するよう 願いながら ホテルの前で 夫婦で
結婚29年の記念写真を撮り 家路に向かいました。

murakilf at 17:28|PermalinkComments(2)

2007年01月22日

入院の話 移植の同窓会

今 私は カンボジアにいますが このブログが 22日に 更新されるように
設定して 出かけました。 うまく 更新されているといいのですが。。。

移植1000人の同窓会 12






3







先日 私が入院していた病院から 「 移植1000人の同窓会 」 と題して
写真のような お手紙がきました。
最初は 一体何なんだろう? と 不審に思いましたが ( 右の 小さい写真の上で
クリックしてください。 大きな画面で見えますので なんとか文面も 読んで
いただけるかと思います。 
( 骨髄 )移植自体は 1980年代前半から 開始されていましたが この病院の
新棟が 開設されて (1998年)から 幹細胞移植が 本格的に 行なわれるようになり 
昨年の 11月で 移植を受けた方が 1000人に達したそうです。
それを一つの区切りとして 患者 家族 医師 看護師さんたちが 一堂に会して
再会を喜び また 次の人々への 情報を発信するという 意味合いのようす。
 
私が移植したときに 聞いた話では この病院では 1年に100人くらい行うと 言って
いましたので 1000人にも なるのですね。

この お手紙を 読んでみると 宿泊プランまで あるんですねぇ〜
診察には 皆さん 全国から 飛行機や新幹線で いらっしゃっていましたから
今回も 宿泊の必要な方々が 多いのでしょうね。


冬の花 ユリオプスディジーランタナこえび草







さて 私が 最初に 同室で仲良しだった4人のうち お二人は もう既に お亡くなり
になりました。
 
大阪からいらしていた 酸素ボンベを引きながらタバコをすっていた方は 
お子さんもいらっしゃらなくて ご主人も 少し前に お亡くなりになったので 
移植の選択はせず 抗がん剤だけの 治療でした。 
入院してきたときは まだまだお元気で 大阪から お母様と 東京のいとこの方達と
賑やかに 入ってこられ お母様は 近くのホテルに お泊まりしていました。 
ご本人も いとこさんも 皆さん 洋服とおそろいの帽子をかぶっていらして 
それはそれは 迫力があり 細木数子かサッチーかと 見まごうばかりの集団でした。 
いつも 面会のたびに 皆さんで タクシーで銀座に出て 美味しいランチを楽しんで
いらして タバコの匂いを プンプンさせて 賑やかに病室に戻られていました。
最初は ちょっと怖かったのですが お話してみると とても 情のある方で
私の 移植の決断のときも 親身になって 相談に乗ってくださいましたし 美味しい
ものを いつもご馳走してくださいました。
 
でも 日ごとに お辛そうになり どのようないきさつがあったのかは計り知れません
が ある日 突然 大阪に帰ることになり 私たちは ビックリしたのです。
新幹線で 酸素ボンベを持っての帰宅で 最後のご挨拶の時には こんな格好で
帰るのは 情けないと、 いつもは 気丈な方なのに その時は 泣いていました。
私たちも その後姿を見て しばらく 声も出ず とても 寂しい夕暮れでした。

プリムラポリアンサ並んだ花々1






反対から撮った並んだ花々







もう一人の 外出時に 伊勢丹の エルメスショップで お買い物を楽しんでいた
エルメスさんは プランタンに行ってカードを作ったり 千趣会でパジャマを頼んだり 
入院生活をエンジョイしていましたが 時々 病室で倒れることもあったりして
個室に移られました。
その後 私に少し遅れて 移植をなさって いったんは退院なさいましたが 
直ぐ また入院されて 何度か お顔を見に行ったりしましたが 最後に私が お約束
した日には 妹さんから お電話で 熱があるので 今日は お会いするのが 
無理のようですといわれ その後 まもなく お亡くなりになりました。
亡くなられたのは 雪が降った寒い日で 妹さんからは 「 とてもきれいな
姉だったので こんなきれいな日に なくなりました。 」 と連絡をもらいました。

乙女椿さざんか葉牡丹







もう一人の方は まだ 初期だったので ( でも 初期にもかかわらず 腫瘍が
かなり大きくなって 入院されてきたのですが。。。 ) 今もお元気です。
画を描いている方で 3月には 銀座で 個展を 開くと 嬉しい連絡がありました。

その後の 移植病棟での 同室者は かなり皆さん 具合が悪かったので 
連絡先は 交換しませんでした。 時々 その後の 外来で お会いしましたが 
でも皆さん 入退院を 繰り返されているような方が 多かったので 今回の同窓会で 
お会いできるかは わかりません。

私は 担当の先生にも お会いしたいので ( 移植の先生方とは 退院後半年を
過ぎた頃からは 私が 本籍である 血液内科に また戻ったので その後 
お会いしていないのです。 看護師さんとは 時々 お会いするのですが… ) 
主人と二人で行って 美味しい ホテルのお料理を 食べてこようかと思っています。

2800円で買ったシンビジューム満開!シンビジューム






暖かい窓辺







さて ずいぶん昔の 入院の話の 続きですが ニコニコと 先生と看護師さんが
入ってきた話でしたよね。
そのときのお話とは まず 早目に この血液内科の 病棟を 出てほしいこと、
そして たまたま 幹細胞移植病棟に 空きベットが出来たので 速やかに 
そこに移ってくれないだろうか、とのお話でした。

血液内科には 入院待ちの方が たくさんいるとの事で 先生いわく いろいろ 
スタッフで 話し合ったんだけど 今、動かせるのは 紀子さんしか いないんだよ〜 
って。 それに 今 幹細胞移植病棟に入っておかないと この先 いつベットが空く
かはわからないんだよ〜 とのお言葉。
看護師長さんも ふんふん、 そうなのよぉ〜 みたいな…

3回目の 抗がん剤を終えて 副作用が落ち着いたら ひとまず退院して 少し家に
帰してくれるという 約束だったのにぃ〜

あれほど 入院時に 「 移植の前に ひとまず退院させてください 」 って 
頼んでおいたのにぃ〜

結局 そのまま 早々と 移植病棟に お引越しが決まりました。
何せ 移植病棟は 他の病棟と違って やたらと規制が厳しくて( 当たり前ですが)
今までのように 気楽には できないんです。 
それに 私が 移植をするのは まだ 最低でも 3週間くらい先なんですよぉ。

これからが 一番 楽になるクールだったので 友人達にも これからの2週間は
元気になるので たびたび来てねっ! なんて お願いしてたのに。

( 結局 先生は 苦肉の策で 一旦 移植病棟に 移った私を 3日間 外出
させてくれましたが なんと 事務的には 退院扱いになっていました!
あんまり 私が退院!退院! って うるさく言うので 形式的にも 退院に
したのでしょうか? ) 

じんちょうげゼラニュームひめつるそば







今頃 私は カンボジアに入っている頃です。
いつもながら長い 文章になって しまいました。

では叉帰ってきたらご報告しますね!

murakilf at 10:00|PermalinkComments(4)

2006年12月31日

今年一年 ありがとうございました

フィッシュバンク東京 入り口店内








クリスマスも終わって ( 世間では ) せわしない 師走の一日 汐留シティ
センター41階の 「 フィシュバンク東京 」 で 旅行好きの友人 3人と ランチ
を楽しみました。

吹き抜けの センス溢れる 白と茶色を 基調とした店内は お席もゆったり として
シャンデリアも キラキラと輝いて、 窓から見える 雨に煙る景色も とても
素晴らしく 落ち着いた 大人のレストランでした。

ランチは パスタランチ 1600円、 グリルランチ 1900円と とても
リーズナブルですが コーヒーのお変わりは 新しく 持ってきてくださるなど
気持ちの良い 接客をしてくださいました。 

グリルランチ お魚シャンデリア












店内 3前菜デザート






私の旅行好きに 勝るとも劣らない 友人が 
バンクーバーに ご主人と行っていらしたので 
写真を見ながら お話を 伺ってきました。

その方は 今年は チェジュ島に続いて 2度目の 海外で 11月には お化粧品を
買うために 日帰りで 沖縄の DFSに お嬢さんと行ったくらい 旅好きな方です。

いつでも 3人で 旅行のお話をしているので 3倍も 旅行している 得した気分で
今回も ステキな写真を たくさん見せていただいたので 私も バンクーバーの冬を
体験したような気分になりました。


ポインセチアクリスマスカクタス






昨日 家の中を お掃除していて 
日ごろは 開けない 籐の小さな 
引き出しの中を 整理しました。

白い封筒が出てきたので 何気なく開けてみると それは 最初に悪性リンパ腫
がわかったときに 私と主人が 先生から 説明を受けた時の 面談書でした。
まだ 細胞診をする前の 画像診断だけの判定のときのものでしたが 今の状況
と これからの 治療の 予定などの 説明書でした。
それには 中悪性度のリンパ腫で 「 月単位で 死亡 」 と書いてありました。
。。。。 これって どうなんでしょう??? 
月単位って… ( もちろん このまま何の治療もしないと、ってことですが )
そのときの私は 絶対そんなはずはない、 治療すれば よくなるんだって
思っていましたので あまり ショックはなかったように 思いましたが 
こんなの見せられたら やっぱり これから治療を 始める人には 酷ですよね〜


どうだんつつじ姫つるそばやつで







それから 細胞診を するために 手術をしましたところ 思ったよりも 進行
していて 顔が変わっている ( 先生が良く使う言葉で 顔が変わると 危ない 、
との事です ) ところが 何箇所かあって 今まで クラス兇僚わりといっていた
のが これで クラス靴法,覆辰討い泙靴拭

その後 治療中に 足が痛くなって 放射線治療もしましたが その時も 先生は
「 治療中にもかかわらず こうなるって事は もう 終わりだね 」 っ言いました
が ( 4年前のことです ) 私は 今でも こうして 元気にしています。

以前 私は 「 先生は 何度か 私に もう終わりだねって言いましたが 私は
今も 元気に 暮らしています。 あれって どうなんですか? 」
と聞いたことがあります。 
先生は 「 あの時は 誰でも そう思うよ〜 」 って 言ってました。

とにかく 私は 今も 元気でいます。
本当に 家族や 皆さんの おかげです。
まだまだ 私が 生きている 役目が あるのだと思い 来年も 今までどおり
元気で 遊びに 精を出す? つもりです。
 
初雪かずらなんてんさざんか







我家の 初冬に 撮った 庭の 木々です。 紅葉しているものを集めてみました。

大晦日の今晩は 家族と 近くの お寺で 除夜の鐘を ついてきました。
大好きな お笑い番組や カウントダウンTVも 夜通しやっています。
もう少し テレビを見てから 寝ようかしら?と 思っています。

本当に 一年間 私を 支えてくださって ありがとうございます。
来年も このブログで 皆様に 私の近況や 気持ちを お伝えしますので 
お時間の あるときに 覗いてくださいね。 
では 皆様 良いお年をお迎えくださいませ。 

murakilf at 23:59|PermalinkComments(1)

2006年11月20日

入院の話 5  ( 秋からの花々 )

またまた 入院話 パート5を 秋からの 我が家の 庭の 花々たちで
お楽しみ ? ください。

サルビアむくげやぶらん






2回目の 治療中のお話です。
私は 入院中 他の皆さんに比べて 比較的 元気で 明るく過ごしていたので
病院側から よく頼まれごとを しました。

先生と 婦長さんが ニコニコしてやってくるときは 要注意なのです。
Mさ〜ん 元気そうですね〜 ところで お願いがあるのですが… なのです。

この病院には 附属の看護大学校が あるのですが 卒業を前に
生徒の皆さんは 各病院で 実習を 受けるのです。 ( 教育実習のようなもの )
そこで 生徒さんが 患者さんに つくんですが そのお役目が 私だったのです。

毎日 朝の検温 血圧から始まって さまざまな お話をしたり 
私の治療を見たりするのです。 これが 結構 大変で…
色々と 自分の気持ちを話したり 家族の対応やら 先生との関係とか 治療の 
悩みとか ベッドの横で さまざまな話を いつも しなくてはならないのです。
それに 大学校の先生達も 時々 訪れては 生徒は どうですか? 
なんて 言いにきてくれるし。 同室の皆さんも そんな私を見て 生徒さんが
いない時に Mさん、 大変ね〜 なんて 気遣ってくれました。
2週間ほど 毎日 ずーっと 付き添ってくださいました。 ふぅ〜

その学校の卒業生は 7つの病院の どこかに 就職?するという事でしたが
私のいた病院は 人気ナンバー1 だそうで かなり優秀な人でないと 入れないと
言っていました。 ( なんか そういわれると 嬉しいですよね )
やはり さすがに その学校出身の 病室担当の 看護師さんたちは とても 
気が利いて優秀で すばらしい方ばかりでしたし 何より 私が感心したのは 
かなり 患者さんよりの 対応を してくださった ということです。
先生に不信感を 持っていると 折角の治療も 成果が上がりませんよね。
皆さん 結構 不満を 看護師さんに 訴えていて よく事情を聴いた上で
出来る限り 私たちにより良い環境 ( 病室担当の 先生の 変更なども )
を 作ってくれていました。
( 私の場合は 結構 大悪口を 看護師さんに ぶちまけていたもので 
それほど 真剣には 受け取って下さっていないようでしたが… 

私の 担当だった 生徒さんは 今 どこの病院で 働いているのでしょうか。


菊1マリーゴールド千両1






先日 私の大好き?な 経済誌に ブログに 人の 悪口を書くと どうなるか、
なんて記事が 載っていました。
もちろん 匿名でも 読む人によって 人物が 特定できる場合 裁判になると 
大変 不利だと 書いてありました。 お〜 こわ!
私の 先生の 悪口 特定できませんよねぇ〜
( といいながら 書く 私でした )


菊3菊2オシロイバナ






次は 私が 2回目の治療が終わって 幹細胞を 採った時の事です。
以前は 移植というと 幹細胞を 骨髄から とるので 骨髄移植と呼ばれて
いたのですが 最近では 幹細胞は 骨髄以外の 血液中などからも採れること
が わかったので 私は まず 白血球を とても多く増やし その中から 
自分の 幹細胞を 採りました。

そのやり方なんですが ベットに 寝たまま 点滴みたいに 全身の血液を 
チューブで 体外に出し 外の機械に通し そこで 幹細胞だけ 採って 
後の血液を また 全身に戻すという 方法でした。

先生と 技師さんが 付き添うのですが またまた 最近入った 技師さんという方が
2名いて ( 見学ということで ) 計4名で 針が抜けてないか 血液は 
順調に流れているか、詰まっていないかなど 私を見守るのです。 
隣で 同じようにやっている 患者さんは気楽そうですが 何せ 私には4名も…
それに 管が 抜けるといけないので 私は 全く 動けないのです。
これは 痛くもなんともないのですが ( 点滴の針が抜けたり 入らなかったりして
何度か やり直しはしましたが )
2〜3時間くらいかかるのです。 その間 各ベッドに 1台ずつテレビがあって
自分の好きな番組を 見ていいのですが ( 私は 手が使えないので チャンネル とかは 技師さんが やってくれます ) その頃 毎朝 10時半から 
4チャンネルで 「 ドラマチック 韓流 」 というのをやっていて 私をはじめ 患者さんの皆さん とても 楽しみにしていた番組があって 私も それを 
見たいので 技師さんに お願いして テレビを つけてもらいました。


ランタナ 1ランタナ 2パンジー






声が小さいので 大きくしてくださいなんて 注文を出して 見始めたのは 
いいんですが その4人も 私を 見守るのが 仕事なので その間も ずっと
私を見ているんです。
それも 立ったままなんです。 私も落ち着かないので どうぞ 座ってくださいって
言ったのに 仕事ですから、 なんて言って ずっと 立ったまま 私を 4人が
見下しているような形なんです。
それで 結局 5人で ずーっと 見るともなく 韓流ドラマを 見ていたんです。

先生は ちょっと ばつが悪そうで 途中何度か 席をはずしましたが 技師さん
たちは ずーっと最後まで ドラマを見ていました。
なんだか 私も身が入らず トホホな 1時間でした。

病室に 戻って 同室の方に 言ったら Mさん また 大変だったわねぇ〜
って 言われてしまいました。 
ゆったりした環境で 幹細胞が採れると 聞いていたのに 緊張して 散々だったと 一応 病室の 看護師さんにも しっかり 報告しておきました!


千両2ピラカンサ木立ベコニア






こうして 3回の 治療も終わり これで とりあえず 少しは家に帰れると 
喜んだのも つかの間 また 嬉しそうに 先生と 婦長さんが やってきました。

すみません 長くなったので また 続くです。。。

murakilf at 15:33|PermalinkComments(0)

2006年10月25日

入院の話 ( 那須で出会ったお花たち)

二期倶楽部周辺で 出会った お花たちと 小物の写真を お見せしながら
またまた 私の 入院の話 パート3 ( くらいかしら? ) です。
( すみません 4 でした! )

落ち葉ベッド飾りの アイビー座り心地の良いいす







今回は 抗がん剤 3クール、 その後 大量の抗がん剤投与 1クール、
それから 自分の 幹細胞移植 という 流れでした。

以前 ( 2002年 ) の時は 抗がん剤は 7クール (1クールにつき 
抗がん剤 1回、分子標的薬? 1回 ) 通院治療室で 点滴しました。  
月曜日と 水曜日に お薬を点滴し その週は 普通に 元気で過ごせます。 
その次の週が スゴーク きつくて ぐったり 
そして その次の週は また なんとも無いように 元気になっていくという 
パターンでしたが 通院で出来たので 前回の 治療は とても 気が楽でした。
 
今回は 1クールにつき 抗がん剤5日間 連続 点滴、 だったので
やはり 入院は 必至で、 抗がん剤直後から 次の週 いっぱいまで 
熱、嘔吐、頭痛 と 3重苦に あえぎ
そして 3週目は  元気になるという パターンでした。

ルームキー日向に咲く お花たち菊イモ







その間に もう一つ 頭に 病気が回ると いけないというので 
頭にも 3回ほど 抗がん剤を 入れました。 
これは 薬を 脊髄から 入れるのですが ( 直接 頭に 入れるのかと
思いました!? ) 主治医の先生のお話では 上手に入れないと  
液が漏れて 脊椎の 内部の 圧が 変わって 起きている時に 
頭痛がするということが  まれにある とのことでした。

1回目は 注射直後 何時間かは 起き上がれないほど 腰から
足の先まで ズーと しびれ、 また 神経が 気持ちとは 関係なく 
ぴり!ぴり! となり とてもつらい思いをしました。

その上 先生の お話通り 起きていると 耐えられないほどの 頭痛に 
見舞われ 担当の先生 ( 注射をした若い病室の先生 ) に訴えたのですが 
頭痛薬などで ごまかされました。 ( でも 全然 効かず )
私は 絶対 液が漏れた結果の 頭痛だと 思ったので  主治医の先生に
言ったのですが 起こってしまったものは 仕方がない、 我慢しなさいって 
言われてしまいました。 トホホでした!

ほととぎす秋明菊?
 






そして 若い先生には 今度は もうちょっと 上手にやって下さいと 
お話して プレッシャーを あたえました。( 怖い患者だねぇ〜 ) 
2回目は 先生も やり方を 色々考えたようで 前回よりは 少しは改善し、 
痺れや ぴりぴりはありましたが 頭痛は なくなっていました。

そして 3回目は 今度こそ 絶対 痛くしないで下さいねって 頼んだら
先生も 「 今回は 自分なりに 色々考えて 3つの方法をあみ出しました。
これが 僕が 考えることの出来る 最良の方法で これでダメなら
仕方がない 」 とまでの 自信ップリで 望みました。

1、それは 細い針を使う ( 小児病棟から取り寄せてくれました )
2、ゆっくり 注射する  3、 注射のあと よく押さえる。 でした。
( えっ? こんなんでいいの? だったら もっと早くやってよ? )

そして 3回目 見事 成功して 終わった後も 何とか 耐えられるほどの 
状況になっていました。 先生ありがとう!
でも これって 体が 慣れてきたってことも ありますよねぇ。

私は 先生に 「 私を つかって 立派な先生になってくださいね! 」
って ちょっと 誉めておきました。( 誉めてないって? )

コスモスすすきりんどう







だって その後だって 点滴のために 鎖骨から カテーテルを入れる時も、
腰から 骨髄を 採る時だって かなり やり直しをしたり 
幹細胞を採る時だって 随分と やり直しをしたんです。
こうやって 先生は 経験をつんでいくんだね、 ( 何度も言いますが
私の体を使って ) と思いました。

でも ありがたいことに この若い先生は とても性格の良い先生で 
この研修中が終わったら それから アメリカに行く なんてことまで 
話して下さいました。
好きな人はいるけど お相手も お医者様なので 結婚はしないと 
話し合って 地元の県を出て ここに研修に来た と言っていました。
今頃は アメリカにいるんでしょうかね?

今、思えば よくこんなことまで 話してくれたものです。
私に 適齢期の娘が 二人もいるのを知って 私が 変な気 
( 先生と家の娘を … なんて ) を 起こさないよう 
予防線を 張ったのかも しれませんね。 
う〜ん 私も そこまで 読まれたか!

体重計ホットワインつくばね空木 (アベリア)







こうして 書いていると あんなに 毎日気にしていた 血液検査の 数値とか
毎日使っていた 医学用語 なんかは すっかり忘れてしまい
覚えているのは こうしたエピソードだけに なっています。

その時は 決して楽ではなかったけれど 今は全く辛さは 思い出しません。
いつだって 病室の方たちと 仲良く 昔からの知り合いのように
延々と その時間が 続くかのように おしゃべりしていたし
たびたび 訪れて下さる 皆さんから 楽しい 外界の お話も聞けたし
気心の知れた 友人達とは 外が 真っ暗になるまで
ロビーで 話したこともありました。
辛いことより ありがたい、楽しかった 思い出ばかりです。

一番暑い 夏でしたが 私は 無菌室にいたので いつでも快適でした。
また 思い出したら 続きを書きますけれど 
私が 決して 毎日 苦しんでいたなんて ことは無いので 
( 書くと 大げさに 感じられるので 話半分くらいに 思っていてください )
皆さんにも 読み物として 気楽に 楽しんで いただけたら 幸いです。

コーヒーとハーブティ木彫りのリス秋の麒麟草







日増しに 私のブログに 訪れてくださる方の 人数が 増えてきて 
申し訳ない気持ちで いっぱいです。
文章が 長すぎると 家族からは 毎回 ブーイングです。
じゃ 読まなきゃいいじゃない と思うのですが また 変なことを 
書いてやしないかと 心配なのでしょう。

これで 二期倶楽部編は おしまいですが 冬には また ホテルの 
お得な客室料金の  案内なども 来るようです。
また 良いプランの案内が来ましたら 皆様に お知らせします。 

murakilf at 16:53|PermalinkComments(7)