フランス
2007年05月17日
パリのきれいな写真と (遅ればせながら)4月の私
旅行記では 紹介し切れなかった パリのきれいな写真です。
どれも この季節ならではのすがすがしい様子が 現れていると思います。
ホテルのアメニティは 憧れの 「 ロクシタン 」 でしたが 置いてあった
シリーズは ヴァーベナで 日本の店舗では まだ販売していないようです。
水が日本と違うからなのか このシリーズが 日本人の髪に合わないからなのか
いつものロクシタンとは違い コンディショナーは するするにはならなくて
ちょっと 残念でした。
ロクシタンの 250ml入りは 日本では2100円ですが パリでは 1900円代後半
だったので お値段は 余り変わらないようです。
もっと安かったら 買う気マンマンでしたが 重いので 沢山買うのは諦めました。
ベルサイユ宮殿の 入り口に 馬車が現れて ビックリ!
タイムスリップしたようで ステキな光景が見ることが出来ました。
滞在中 ずっと良いお天気だったので 空の色が とてもきれいで 良い写真が
たくさん 撮れました。
以下は パリ旅行の後 4月に出かけたところの 紹介です。
まずは 我家からは2〜30分くらいかかりますが 港北ニュータウンの先に出来た
「 ららぽーと横浜 」 です。
以前 やはり 港北ニュータウンのあたりに出来た 「 IKEA港北 」 は 大混雑
がかなり長い間続いていたので もしここも駐車場に入れないようなら その近く
に竹林に囲まれた 趣のある お蕎麦屋さんがあるので そこに行ってもいいし、
と思って 出かけましたが 意外とすんなり入れました。
( でも 現地についてからも 駐車場までが 遠い遠い...
ぐるぐる 回って ようやく到着です )
外国のモールのようで 真ん中が吹き抜けになっていて 建物が 輪状で
その半円ぶんくらいが 空いていて とても 斬新なつくりの 大きな
ショッピングセンターでした。
どうしてこの日に行ったかというと この日の (土曜日) 日経新聞の記事に
最近のショッピングセンターの中の レストラン街は 有名どころのお店が
支店を出している、と言う特集があって ららぽーと横浜には 元町で有名な
梅蘭も 出店していて 人気の焼きそばが食べられる と言うことだったのです。
そこで 私達も 早速 車でGO〜 ( 電車でGO〜ではなくて、 ふ、古い! )
ってことで 向かいました。
すごい人人人!!! レストラン街を ぐる〜と 並ぶ列が出来ています。
でも 店内も広いので 何とか 30分くらいで 入店。
席の周りに さまざまな お店が出ていて どこのお店のものを頼んでも
一緒に食べられると言う セルフ・カフェテリア方式でした。
お外の席もあって 結構 ステキです。
でも この地域は若い家族が多いので ちょっと 雰囲気は うるさい系でした。
私達は 無事 焼そばを ゲットしましたが この梅蘭は この日の一番人気
だったようで 途中から 焼そばは 注文してから30分待ちと 案内の看板が
出ていました。 やはり 新聞ってすごいんですね。
次は 4月の終わりに行った 「 モネ大回顧展 」 六本木の国立新美術館です。
「 モネ 」 は パリの オルセー美術館や オランジェリー美術館に 多く
展示してありますが 私が パリに行った前後に 日本の美術館で 相次いで
モネ展が 開かれていたので モネの有名どころの絵は 貸し出し中になって
いるだろうと思い 両美術館は 行かなかったのです。
と言うことで 行ってきました、 話題の 国立新美術館です。
斬新な 波打つガラスの外観の 日本で5番目の 国立新美術館です。
六本木ヒルズにある 森美術館、 ミッドタウンにある サントリー美術館、
と ここを合わせて 六本木アートトライアングル というそうです。
この期間は モネ展のほか 「 異邦人たちのパリ 」 も 同時に開催されて
いて 多くのお客様で にぎわっていました。
日本人って こんなに 芸術好きだったかしら? と 思うほどの人、人、人、
大混雑で ビックリしました。
モネの絵は 日本の美術館や企業にも 沢山所蔵されているので なじみもあり
日本人に 最も 愛された 画家の一人であることが 分かりますね。
「 睡蓮 」 も 8枚展示されていましたが このうち7枚は 日本の美術館に
あるものでした。
真ん中の写真の 受付に飾ってある ポスターの絵は オルセー美術館所蔵の
有名な 「 日傘の女性 」 です。
このモネ展は 7月2日 月曜日までやっています。
国立新美術館には レストランが 1ヶ所と カフェが 3ヶ所あります。
話題の 3ツ星シェフ ポールボキューズのレストラン 「 ブラッスリー
ポール・ボキューズ ミュゼ 」 は 美術館の真ん中の 3階吹き抜けの空中に
まあるく 浮かんでいるのですが なんと 100人くらいの行列!
お聞きしたら 1時間半 待ちだそうです。
土日は 200人は 並ぶそうな...
この レストランやカフェは 美術館に入らなくても 入れるので
( 入場料なしで ) レストランお目当ての方達は 11時開店ですが
10時すぎには 並び始めるのが 第一陣で入るための 鉄則だそうです。
2階の 空中吹き抜けにも カフェがありましたがが ここも 並んでいて
まったく 入れなかったので 私達は 1階の セルフのカフェで サンドイッチ
を頂きました。 地下にも 同じような セルフの 食堂があり ここでは
コンビニ風の お弁当なども売っていて メニューが 多くありましたが
お外の緑を 眺めながら 頂くのも この季節ならでは 楽しみなので
1階のカフェのほうが 人気があるようでした。
とにかく 噂にたがわず 六本木周辺は 大変な混みようで ゴールデンウイーク
は 一体どうなっちゃうんだろう と心配しながら 帰って来た うす曇の
初夏の一日でした。
お土産に 「 パリ万博の祝祭 」
という絵のジグゾーパズルを買ってきました。
見ていただければ分かるように 非常に
細かい 204ピースのパズルです。
ピンセット付きです。 苦戦中!
どれも この季節ならではのすがすがしい様子が 現れていると思います。
ホテルのアメニティは 憧れの 「 ロクシタン 」 でしたが 置いてあった
シリーズは ヴァーベナで 日本の店舗では まだ販売していないようです。
水が日本と違うからなのか このシリーズが 日本人の髪に合わないからなのか
いつものロクシタンとは違い コンディショナーは するするにはならなくて
ちょっと 残念でした。
ロクシタンの 250ml入りは 日本では2100円ですが パリでは 1900円代後半
だったので お値段は 余り変わらないようです。
もっと安かったら 買う気マンマンでしたが 重いので 沢山買うのは諦めました。
ベルサイユ宮殿の 入り口に 馬車が現れて ビックリ!
タイムスリップしたようで ステキな光景が見ることが出来ました。
滞在中 ずっと良いお天気だったので 空の色が とてもきれいで 良い写真が
たくさん 撮れました。
以下は パリ旅行の後 4月に出かけたところの 紹介です。
まずは 我家からは2〜30分くらいかかりますが 港北ニュータウンの先に出来た
「 ららぽーと横浜 」 です。
以前 やはり 港北ニュータウンのあたりに出来た 「 IKEA港北 」 は 大混雑
がかなり長い間続いていたので もしここも駐車場に入れないようなら その近く
に竹林に囲まれた 趣のある お蕎麦屋さんがあるので そこに行ってもいいし、
と思って 出かけましたが 意外とすんなり入れました。
( でも 現地についてからも 駐車場までが 遠い遠い...
ぐるぐる 回って ようやく到着です )
外国のモールのようで 真ん中が吹き抜けになっていて 建物が 輪状で
その半円ぶんくらいが 空いていて とても 斬新なつくりの 大きな
ショッピングセンターでした。
どうしてこの日に行ったかというと この日の (土曜日) 日経新聞の記事に
最近のショッピングセンターの中の レストラン街は 有名どころのお店が
支店を出している、と言う特集があって ららぽーと横浜には 元町で有名な
梅蘭も 出店していて 人気の焼きそばが食べられる と言うことだったのです。
そこで 私達も 早速 車でGO〜 ( 電車でGO〜ではなくて、 ふ、古い! )
ってことで 向かいました。
すごい人人人!!! レストラン街を ぐる〜と 並ぶ列が出来ています。
でも 店内も広いので 何とか 30分くらいで 入店。
席の周りに さまざまな お店が出ていて どこのお店のものを頼んでも
一緒に食べられると言う セルフ・カフェテリア方式でした。
お外の席もあって 結構 ステキです。
でも この地域は若い家族が多いので ちょっと 雰囲気は うるさい系でした。
私達は 無事 焼そばを ゲットしましたが この梅蘭は この日の一番人気
だったようで 途中から 焼そばは 注文してから30分待ちと 案内の看板が
出ていました。 やはり 新聞ってすごいんですね。
次は 4月の終わりに行った 「 モネ大回顧展 」 六本木の国立新美術館です。
「 モネ 」 は パリの オルセー美術館や オランジェリー美術館に 多く
展示してありますが 私が パリに行った前後に 日本の美術館で 相次いで
モネ展が 開かれていたので モネの有名どころの絵は 貸し出し中になって
いるだろうと思い 両美術館は 行かなかったのです。
と言うことで 行ってきました、 話題の 国立新美術館です。
斬新な 波打つガラスの外観の 日本で5番目の 国立新美術館です。
六本木ヒルズにある 森美術館、 ミッドタウンにある サントリー美術館、
と ここを合わせて 六本木アートトライアングル というそうです。
この期間は モネ展のほか 「 異邦人たちのパリ 」 も 同時に開催されて
いて 多くのお客様で にぎわっていました。
日本人って こんなに 芸術好きだったかしら? と 思うほどの人、人、人、
大混雑で ビックリしました。
モネの絵は 日本の美術館や企業にも 沢山所蔵されているので なじみもあり
日本人に 最も 愛された 画家の一人であることが 分かりますね。
「 睡蓮 」 も 8枚展示されていましたが このうち7枚は 日本の美術館に
あるものでした。
真ん中の写真の 受付に飾ってある ポスターの絵は オルセー美術館所蔵の
有名な 「 日傘の女性 」 です。
このモネ展は 7月2日 月曜日までやっています。
国立新美術館には レストランが 1ヶ所と カフェが 3ヶ所あります。
話題の 3ツ星シェフ ポールボキューズのレストラン 「 ブラッスリー
ポール・ボキューズ ミュゼ 」 は 美術館の真ん中の 3階吹き抜けの空中に
まあるく 浮かんでいるのですが なんと 100人くらいの行列!
お聞きしたら 1時間半 待ちだそうです。
土日は 200人は 並ぶそうな...
この レストランやカフェは 美術館に入らなくても 入れるので
( 入場料なしで ) レストランお目当ての方達は 11時開店ですが
10時すぎには 並び始めるのが 第一陣で入るための 鉄則だそうです。
2階の 空中吹き抜けにも カフェがありましたがが ここも 並んでいて
まったく 入れなかったので 私達は 1階の セルフのカフェで サンドイッチ
を頂きました。 地下にも 同じような セルフの 食堂があり ここでは
コンビニ風の お弁当なども売っていて メニューが 多くありましたが
お外の緑を 眺めながら 頂くのも この季節ならでは 楽しみなので
1階のカフェのほうが 人気があるようでした。
とにかく 噂にたがわず 六本木周辺は 大変な混みようで ゴールデンウイーク
は 一体どうなっちゃうんだろう と心配しながら 帰って来た うす曇の
初夏の一日でした。
お土産に 「 パリ万博の祝祭 」
という絵のジグゾーパズルを買ってきました。
見ていただければ分かるように 非常に
細かい 204ピースのパズルです。
ピンセット付きです。 苦戦中!
murakilf at 23:26|Permalink│Comments(2)│
2007年05月14日
パリ6日目 モンマルトル〜オペラ座〜帰国
あっという間に もう帰国の日が きてしまいました。
帰りも直行便で 出発は夜の7時ということなので 最終日も 午後までのんびり
と最後の散策を楽しみました。
わがまま言って 振り替えて頂いた ( 35ユーロの ) の最後の朝食を
のんびりと いただいて 出発です。
本日の予定は モンマルトル、サクレクール寺院 〜 オペラ座見学です。
モンマルトルには 地下鉄を 2つ乗り換えて 30分で到着です。
さすがに モンマルトルの丘って言うくらいなので 坂の上にあります。
途中の階段には 大道芸人や アコーデオン弾きのおじさんがいて 観光客相手に
賑やかに 芸を披露していました。
サクレクール寺院は 内部見学をしましたが とても厳しくて おしゃべりと
写真は 厳禁でした。
若い女の子が 写真を撮っていたら 係りの人が 文字通り その女の子を
つまみ出していました。 お〜こわ!
上の写真の メリーゴーランドは 映画 「アメリ 」 にも出てきていましたね。
画家たちが 自慢の絵を売っていたり似顔絵を描いている モンマルトルの丘は
意外と せまくて びっくり!
渋谷の ハチ公前広場くらいでした!
この後 オペラ座駅まで帰りましたが これが最後の 地下鉄乗車となりました。
今回は 地下鉄10枚回数券を買って 市内の地下鉄を 乗りまくりましたが
( ベルサイユの日は一日乗車券を使用したので 回数券は使いませんでした)
結局 回数券は 1枚残っただけです。 9回以上も 地下鉄に乗ったのですねぇ〜
オペラ座は 見学代 8ユーロで 入り口には7,8カ国語のパンフレットがあり
ましたが ノートルダム寺院と違って イタリア語は ありましたが 日本語の
パンフレットがありませんでした。 多分 品切れだったのでしょうか?
オペラ座内部は とても 荘厳な雰囲気で 各回廊に飾られている彫刻は
絢爛豪華で 堂々としていました。
でも 昼間は照明がないので 館内はかなり暗く 本当に オペラ座の怪人が
潜んでいるようでした。
きっと 夜になると さぞきれいなのでしょうね。
劇場の 天井の絵は シャガールで 「夢の花束 」 です。
劇場内を出て 2階のロビーの廊下を見学しましたが そこは うってかわって
目がくらむほどの キンキラな バロック様式の廊下が 広がっていました。
ベルサイユの鏡の間を はるかに しのいでいるのではと、思うほど
豪華な まばゆい空間でした。
これで パリの予定は全て 終了しました。
なんだか ちょっと気が抜けましたが お天気にも恵まれ 何の問題にもあわず
( この時までは ) 行程をこなせたことに感謝しながら ホテルに戻りました。
レイトチェックアウトも 無料で事前にお願いしていたので お昼過ぎにお部屋に
帰り ゆっくりと荷造りをして その後 チェックアウトをお願いしました。
前もって計算していたので その金額が請求されるとと思いきや!
きゃ〜 お、お、多い! それもすごく 多い!
落ち着いて、落ち着いて、
請求書をよく見ると 何だか こまごまと色々ついているのです。
まずは 変圧器 500ユーロ ( 8万円 、これって高いですよね〜 )
(すみません 今 娘に確認したら デポジットは 50ユーロ 8千円って
言ってました。 やっぱり そうですよね〜 誤情報すみませんでした!)
電気のプラグ2個 9.5ユーロ × 2 = 3千円
インターネット代 12ユーロ × 3 = 6千円弱
この3つが 宿泊代金に プラスして 請求されていたのです。
まず 変圧器は 借りるときに50ユーロデポジットだよって言われましたが
普通 デポジットって 帰るときに 精算してくれるんですよね〜
私が 変圧器は お部屋に置いたままだと言ったら スタッフは 現物を見ないと
請求書から削除できないって…
でも その変圧器 ものスゴーク重いんです。
普通のよりも かなり重くて 15キロくらいありそうなので 自分では
それをここに持って来れないって 言ったら コンシェルジュに取りにいって
もらうと… でも 今 コンシェルジュは 忙しくて誰もいないから しばし
待てということになりました。
そして2つ目の プラグは 冷蔵庫内に入っていて 2回ほど カメラの充電を
するのに 使ったのです。
普通は デスクの引き出しの中などにあるので 冷蔵庫とは へんだなぁ〜
と思っていたのですが なんと 飲み物などと同じで 冷蔵庫内から取り出す
と 買ったと理解され 課金されるシステムなのでした!
2個もプラグ買ってないって! すぐ戻しましたよ! って言って、これも
現物を見てからの 削除となりました。
3つ目のインタ-ネット代なんですが 最初お部屋に入った時に テレビの画面に
「 ようこそ 紀子さま 」 みたいのが出てて 日本語は NHKが見れる、と
画面に書いてありました。
毎日 夜 お部屋に帰ると ハウスキーパーさんが 気を利かせてくれて 日本語
放送の テレビを付けておいてくれるのです。
2日目の夜 帰ってきたら テレビがついていて NHKではなくて 昔の
「 あいのり 」 を 放映していたのです。
それも かなり私が入れ込んでみていた チャキと総理の回 だったのです!
娘は その回を 日本で 見忘れていたので 2人して かなり見入っていて
その放映が終わった後 娘は 続きが見たくなったといって ネットでフジテレビ
につないで その次の回のあらすじを 読んだりしていたのです。
その時の 1回は 確かにネットにつなぎました。
でも あとの2回は まったく 意識しての 利用は 無かったのです。
その時 テレビにも テレビ台のテーブルにも ネットにつなぐと 1日
12ユーロかかるなんて 書いてありませんでした。
テレビ台から かなり離れたデスクには 自分のパソコンを ネットにつなぐと
1日7ユーロかかると 書いてありましたが テレビ経由でも 使用料金が発生
するとは 思ってもみなかったのです。
それに あの時 「 あいのり 」 を見なかったら 課金されなかったし…
ハウスキーパーの人が テレビを付けてなかったら 課金されなかったし…
NHKだけしか 見れないんじゃなかったの? このテレビ…
日本語の ホテルのパンフレットにも そんなこと書いてなかったし…
なんて、色々 フロントスタッフにごちゃごちゃ言ってたら 日本人スタッフの
ゆきこさんが ちょうど いらして 事情を聞いて下さり 変圧器と プラグは
後で 見てきますので いいですよ、と インターネットは 「 あいのり 」
の日だけは 払ってください、ということで 決着がつきました!
ほっ! ゆきこさんがいなかったら 一体 どうなっていたのでしょうか?
本当に ありがたいことです。 ゆきこさん、 本当に 無知な私たちに
手を差し伸べてくださり 感謝しています。
大型ホテルは コンピューター管理が しっかりしているので スタッフでも
変更、削除が きかないんですよ、とおっしゃっていました。
そんなこんなで チェックアウトにかなり時間がかかってしまい
最後のランチは プランタンデパートの 屋上にある 眺めの良い セルフの
レストランで あわてて いただきました。
上の写真がそのときの ランチです。
市内が一望に出来る すがすがしいレストランで 最後のパリの街を 見ながらの
ランチは 本当は もっと くつろいで取りたかったのにぃ〜 でした。
帰りもロワールバスで空港に。
飛行機は夜7時出発なので 時間まで
空港内を散策しているとモンサンミッシェルで
一緒だった 日本人中年姉妹2人組の方に
お会いしました。妹さんがニースにお住まいで
お姉さまが 日本からいらしててパリを一緒に
見物した後、今から 妹さんのお住まいのニースに いらっしゃるとか。。。
お互いに 「 お元気でねぇ〜、 また 機会があったら どこかで お会い
できる といいですねぇ〜 」 といいながら お別れしました。
フランス旅行の最後の最後に 日本語でおしゃべりができたのは とてもステキな 良い思い出に なりました。
今回も とても長くなった このフランス旅行記 最後までお付き合いいただいて
本当に ありがとうございました。
飛行機代
1人 103890円×2=207780円 ( 燃料サーチャージ空港税など含 )
ホテル代
最後の1泊 315ユーロ 48815円
ウイークエンドプラン 4泊 365ユーロ × 4 =1460
インターネット代 12ユーロ 計 1472ユーロ 239540円
合計 496135円 一人 248067円でした!
旅行社のプランでも ル・グランだと 結構かかるので この値段で
エグゼクティブ・ルームに宿泊できたのなら けっこう妥当かと…
カード会社の請求が 相次いでいるこの頃、 かなり 憂鬱な毎日です。
「 こんなに たくさん使ったのは〜 どこの どいつだい〜? 」
「 にしおかぁ〜 すみこだよぉ〜♪ 」 でした!!!
帰りも直行便で 出発は夜の7時ということなので 最終日も 午後までのんびり
と最後の散策を楽しみました。
わがまま言って 振り替えて頂いた ( 35ユーロの ) の最後の朝食を
のんびりと いただいて 出発です。
本日の予定は モンマルトル、サクレクール寺院 〜 オペラ座見学です。
モンマルトルには 地下鉄を 2つ乗り換えて 30分で到着です。
さすがに モンマルトルの丘って言うくらいなので 坂の上にあります。
途中の階段には 大道芸人や アコーデオン弾きのおじさんがいて 観光客相手に
賑やかに 芸を披露していました。
サクレクール寺院は 内部見学をしましたが とても厳しくて おしゃべりと
写真は 厳禁でした。
若い女の子が 写真を撮っていたら 係りの人が 文字通り その女の子を
つまみ出していました。 お〜こわ!
上の写真の メリーゴーランドは 映画 「アメリ 」 にも出てきていましたね。
画家たちが 自慢の絵を売っていたり似顔絵を描いている モンマルトルの丘は
意外と せまくて びっくり!
渋谷の ハチ公前広場くらいでした!
この後 オペラ座駅まで帰りましたが これが最後の 地下鉄乗車となりました。
今回は 地下鉄10枚回数券を買って 市内の地下鉄を 乗りまくりましたが
( ベルサイユの日は一日乗車券を使用したので 回数券は使いませんでした)
結局 回数券は 1枚残っただけです。 9回以上も 地下鉄に乗ったのですねぇ〜
オペラ座は 見学代 8ユーロで 入り口には7,8カ国語のパンフレットがあり
ましたが ノートルダム寺院と違って イタリア語は ありましたが 日本語の
パンフレットがありませんでした。 多分 品切れだったのでしょうか?
オペラ座内部は とても 荘厳な雰囲気で 各回廊に飾られている彫刻は
絢爛豪華で 堂々としていました。
でも 昼間は照明がないので 館内はかなり暗く 本当に オペラ座の怪人が
潜んでいるようでした。
きっと 夜になると さぞきれいなのでしょうね。
劇場の 天井の絵は シャガールで 「夢の花束 」 です。
劇場内を出て 2階のロビーの廊下を見学しましたが そこは うってかわって
目がくらむほどの キンキラな バロック様式の廊下が 広がっていました。
ベルサイユの鏡の間を はるかに しのいでいるのではと、思うほど
豪華な まばゆい空間でした。
これで パリの予定は全て 終了しました。
なんだか ちょっと気が抜けましたが お天気にも恵まれ 何の問題にもあわず
( この時までは ) 行程をこなせたことに感謝しながら ホテルに戻りました。
レイトチェックアウトも 無料で事前にお願いしていたので お昼過ぎにお部屋に
帰り ゆっくりと荷造りをして その後 チェックアウトをお願いしました。
前もって計算していたので その金額が請求されるとと思いきや!
きゃ〜 お、お、多い! それもすごく 多い!
落ち着いて、落ち着いて、
請求書をよく見ると 何だか こまごまと色々ついているのです。
まずは 変圧器 500ユーロ ( 8万円 、これって高いですよね〜 )
(すみません 今 娘に確認したら デポジットは 50ユーロ 8千円って
言ってました。 やっぱり そうですよね〜 誤情報すみませんでした!)
電気のプラグ2個 9.5ユーロ × 2 = 3千円
インターネット代 12ユーロ × 3 = 6千円弱
この3つが 宿泊代金に プラスして 請求されていたのです。
まず 変圧器は 借りるときに50ユーロデポジットだよって言われましたが
普通 デポジットって 帰るときに 精算してくれるんですよね〜
私が 変圧器は お部屋に置いたままだと言ったら スタッフは 現物を見ないと
請求書から削除できないって…
でも その変圧器 ものスゴーク重いんです。
普通のよりも かなり重くて 15キロくらいありそうなので 自分では
それをここに持って来れないって 言ったら コンシェルジュに取りにいって
もらうと… でも 今 コンシェルジュは 忙しくて誰もいないから しばし
待てということになりました。
そして2つ目の プラグは 冷蔵庫内に入っていて 2回ほど カメラの充電を
するのに 使ったのです。
普通は デスクの引き出しの中などにあるので 冷蔵庫とは へんだなぁ〜
と思っていたのですが なんと 飲み物などと同じで 冷蔵庫内から取り出す
と 買ったと理解され 課金されるシステムなのでした!
2個もプラグ買ってないって! すぐ戻しましたよ! って言って、これも
現物を見てからの 削除となりました。
3つ目のインタ-ネット代なんですが 最初お部屋に入った時に テレビの画面に
「 ようこそ 紀子さま 」 みたいのが出てて 日本語は NHKが見れる、と
画面に書いてありました。
毎日 夜 お部屋に帰ると ハウスキーパーさんが 気を利かせてくれて 日本語
放送の テレビを付けておいてくれるのです。
2日目の夜 帰ってきたら テレビがついていて NHKではなくて 昔の
「 あいのり 」 を 放映していたのです。
それも かなり私が入れ込んでみていた チャキと総理の回 だったのです!
娘は その回を 日本で 見忘れていたので 2人して かなり見入っていて
その放映が終わった後 娘は 続きが見たくなったといって ネットでフジテレビ
につないで その次の回のあらすじを 読んだりしていたのです。
その時の 1回は 確かにネットにつなぎました。
でも あとの2回は まったく 意識しての 利用は 無かったのです。
その時 テレビにも テレビ台のテーブルにも ネットにつなぐと 1日
12ユーロかかるなんて 書いてありませんでした。
テレビ台から かなり離れたデスクには 自分のパソコンを ネットにつなぐと
1日7ユーロかかると 書いてありましたが テレビ経由でも 使用料金が発生
するとは 思ってもみなかったのです。
それに あの時 「 あいのり 」 を見なかったら 課金されなかったし…
ハウスキーパーの人が テレビを付けてなかったら 課金されなかったし…
NHKだけしか 見れないんじゃなかったの? このテレビ…
日本語の ホテルのパンフレットにも そんなこと書いてなかったし…
なんて、色々 フロントスタッフにごちゃごちゃ言ってたら 日本人スタッフの
ゆきこさんが ちょうど いらして 事情を聞いて下さり 変圧器と プラグは
後で 見てきますので いいですよ、と インターネットは 「 あいのり 」
の日だけは 払ってください、ということで 決着がつきました!
ほっ! ゆきこさんがいなかったら 一体 どうなっていたのでしょうか?
本当に ありがたいことです。 ゆきこさん、 本当に 無知な私たちに
手を差し伸べてくださり 感謝しています。
大型ホテルは コンピューター管理が しっかりしているので スタッフでも
変更、削除が きかないんですよ、とおっしゃっていました。
そんなこんなで チェックアウトにかなり時間がかかってしまい
最後のランチは プランタンデパートの 屋上にある 眺めの良い セルフの
レストランで あわてて いただきました。
上の写真がそのときの ランチです。
市内が一望に出来る すがすがしいレストランで 最後のパリの街を 見ながらの
ランチは 本当は もっと くつろいで取りたかったのにぃ〜 でした。
帰りもロワールバスで空港に。
飛行機は夜7時出発なので 時間まで
空港内を散策しているとモンサンミッシェルで
一緒だった 日本人中年姉妹2人組の方に
お会いしました。妹さんがニースにお住まいで
お姉さまが 日本からいらしててパリを一緒に
見物した後、今から 妹さんのお住まいのニースに いらっしゃるとか。。。
お互いに 「 お元気でねぇ〜、 また 機会があったら どこかで お会い
できる といいですねぇ〜 」 といいながら お別れしました。
フランス旅行の最後の最後に 日本語でおしゃべりができたのは とてもステキな 良い思い出に なりました。
今回も とても長くなった このフランス旅行記 最後までお付き合いいただいて
本当に ありがとうございました。
飛行機代
1人 103890円×2=207780円 ( 燃料サーチャージ空港税など含 )
ホテル代
最後の1泊 315ユーロ 48815円
ウイークエンドプラン 4泊 365ユーロ × 4 =1460
インターネット代 12ユーロ 計 1472ユーロ 239540円
合計 496135円 一人 248067円でした!
旅行社のプランでも ル・グランだと 結構かかるので この値段で
エグゼクティブ・ルームに宿泊できたのなら けっこう妥当かと…
カード会社の請求が 相次いでいるこの頃、 かなり 憂鬱な毎日です。
「 こんなに たくさん使ったのは〜 どこの どいつだい〜? 」
「 にしおかぁ〜 すみこだよぉ〜♪ 」 でした!!!
murakilf at 16:31|Permalink│Comments(6)│
2007年05月06日
パリ5日目 ノートルダム寺院、サンジェルマン・デ・プレ界隈
今日と明日の昼間は パリの街を 自由に過ごす日と 決めていたので 朝食は
ゆっくりと頂きました。
せっかくだったので 本日は 和食にしてみました。
ご飯に 味噌スープ ( 具は お豆腐と ねぎと わかめが 脇にありました )
玉子焼き 焼しゃけ 切干大根 肉じゃが お漬物さまざま 梅干など
十分に 和テイストを なしていたのには びっくり!
ゆっくりと 店内を眺めてみると さすがに 歴史を感じさせる 内装。
豪華な 朝のひと時から パリの一日は 始まりました。
本日の予定は ノートルダム寺院と サンジェルマン・デ・プレ散策です。
地下鉄で シテ島駅までは 乗換えを含めても 15分くらいです。
駅に出て 直ぐ前が セント・シャペル教会、 駅の反対側が お目当ての
ノートルダム寺院です。
まだ10時前だったので人出はさほど多くなく
入場料もなく さくっ! と入場です!
ここ ノートルダム寺院は フランスカトリックの総本山と言われ ゴシック建築
で有名ですが 内部の 3箇所にある ステンドグラスの 「 バラ窓 」 も
有名です。
「 ノートルダム 」 とは われらのマダム つまり 聖マリアを指す言葉で
各地に立てられた ゴシック様式の教会が 聖母マリアに ささげられた聖堂
であったため 各地に 「 ノートルダム聖堂 」 と呼ばれるものが
あるそうです。
「 光を集めて崇める 」 と言う考え方から作られた ステンドグラスの
「 バラ窓 」 は 直径13メートルで 南 北 西 に 配されています。
さて内部の見学を終えた私達は もう一つ どうしても見たいものがあったのです。
それは 映画 「 アルマゲドン 」 の中で 隕石が 世界の大都市に落ちて
来ると言うシーンがあって パリの街にも 隕石が次々と飛来して 一瞬にして
街が破壊されていく その様を パリの塔に飾ってある 石造りの怪獣が
眺めているという 映像があったのです。
その怪獣が どこにあるのか ずっと気になっていた 娘が ある時 それが
ノートルダム寺院の塔にある 石造だと知り 今回どうしても 見たいと
言うことだったのです。
念願かなって 塔に登れると思いきや、 なんと 寺院の脇に ずらーっと
並んでいる列が...
あわてて 私達も並びましたが どうやら 1度に 20人くらいづつしか
登れないようで 私達も 1時間以上 並ぶ羽目になってしまいました。
その列には ヨーロッパ各国の観光客が 並んでいましたが 私達の前には
イタリア人家族が 並んでいました。
そのイタリア人パパは 真っ黒なサングラスをかけて すごく恐い感じの
人でしたが 子ども達は ちょろちょろして とても 可愛い2人でした。
男の子が サッカーの ジャンパーを着ていたので サッカー好きなの?
って 英語で話しかけたら 子ども達は 言葉が分からないようで 恥ずかし
がっていましたが お父さんが 自分は 英語がしゃべれないけど、って
簡単な英語で言ってくれて 「 サッカーじゃないよ、フットボールだよ! 」
と 教えてくれました。
その後 私達に イタリア語で 話をふるので よく分からない私たちは
とっさに 「 ナカ〜タ? 」 って言ったら 大喜びで 「 ナカ〜タは
もういないよ〜」 みたいな事を言ったので 今度は 「 デルピエロ?
トッティ? 」 なんていったら お父さん 大喜びしてくれました。
私達も調子に乗って ロベルト・バッジョ? なんて 数少ない知ってる
イタリア人選手の名前を言ったら お父さん ご満悦!
すっかり仲良くなってしまいました。
お父さんは 私達に シノワか? って聞いてきて 日本人だと言うと
ブルース・リーは 日本人なのか? と 質問してきました。
外国人にとっては 日本も 中国も 香港も 一緒のくくりのようでした。
途中で 係りの人が 各国語で書いてあるパンフレットを 並んでいるグループ
毎に 何語がいいか聞いて 配っていましたが 日本語はあったのにイタリア語
がなくて お父さん、 スゴーク怒っていました。
係りの人に 日本語があって なんで イタリア語がないんだって ずいぶんと
食い下がっていました。
その列には ドイツ人が とても多くいました。
その家族とは 話しながら 一緒にあめを食べたり 娘のカメラを覗いたりして
長い待ち時間も 楽しく過ごすことが出来ました。
途中で 順番が 少し進んだら 大慌てをして 向かい側の カフェにいった
ママンを 大声で呼んだりと、 豪快だけど ちょっぴり可愛い パパでした。
さて いよいよ 階段を登って 塔に上がる順番がきました。
塔に登るには 狭い階段を登るのですが その階段は 人、一人が精一杯の幅で
螺旋階段になっているのです。
そして 2,3階分登った後 お土産売り場のようなところで 待機していて
係りの方の指示で また 螺旋階段を登るのです。
何度も言いますが 螺旋階段は 人、一人分の 幅なのです。
そして くるくる、くるくる 際限なく 登るのです。
もう はぁはぁ ドキドキ 足はもつれるし 心臓も 破裂しそうでした。
それに 私が 留まると 後の人が上がれないので どうしても 私は
途中で 留まることは出来ないのです。
私の 後から後から 15人くらいは いるのです。
後ろの人も あぁ〜!とか げお〜! とか うわお〜! なんて叫びながら
登っているのです。 く、く、苦しい! もう本当に 限界でした。
この塔が そんなに 苦しいとは 知らなかったので 知っていたら 絶対
登らなかったと思います。
( 帰ってきてから パリの情報サイトを見たら この塔は お年寄りや
心臓の弱い人 体格の良い人? 子供は 無理だと書いてありました。 )
そして 娘に励まされ ようやく 4百段ほどの階段を登り終え 外にでると
うわぁ〜 す、す、すばらしい〜 景色!
塔の周りは 幅のせまーいベランダになっていて そのベランダの端には
何体もの あの 怪獣が...
フランス語では シメール、国によっては キメイラとか キメラ カーゴイル
などとも言われている 架空の怪獣のような動物が 何匹も 高い塔から
パリの街を 見下ろしているのです。
それはそれは 素晴らしい光景でした。
ノートルダムの鐘楼の周りにも マリア様とシメール達が たくさんいました。
それが 娘が見たがっていた 映画 「 アルマゲドン 」 に登場していた
「 シメール 」 でした。
パンフレットには 「 シメールのギャラリー 」 と 書いてありました。
本当に 苦しかったけれど 素晴らしかったです。
遠く エッフェル塔まで よく見える お天気の良い日に こんな不思議な場所で
パリの街が見渡せ また ノートルダムの鐘も 聞くことが出来 幸せでした。
やはり 世界遺産は 元気なうちに行かないと 堪能できませんね。
素晴らしい 余韻を感じながら 地下鉄で サンジェルマン・デ・プレまで
移動です。
目的は 新婚旅行で 行くことの出来なかった
教会そばの カフェ 「 レ・ドゥー・マゴ 」 に行くことでした。
(渋谷の bunkamura にも 支店がありますね )
カフェは お昼時で とても混んでいましたが お外の席をゲットでき
良いお天気のなか ちょっと気取って クロックムシューを頂くことができました。
夕方 ホテルに帰る道々 デパートの 「 ギャラリーラファイエット 」
に寄り エクレアを買って ホテルのお部屋で ティータイムを 過ごしました。
夕方のデパートは とても混んでいましたが 食料品売り場は 楽しく
おいしそうな お菓子が沢山並んでいて 時間を忘れて 見入っていました。
そして パリ最後の夕食は ムール貝で有名な 「 レオン 」 です。
レオンは ベルギーのお店ですが パリにも 道々に 沢山お店があり
パリ市民には とてもなじみのある 気軽なレストランです。
ランチョンマットに 印刷してある 「 ムール貝と魚介の蒸煮 」 と
お店の方、お薦めの 魚介のフライを頂きました。
最初は とても多く感じましたが 意外と 食べられて たっぷりの ポテトや
プリッツェルと共に とても美味しく 完食いたしました!
昨日に続き 大変 美味しいお店で 気取ることなく 夕食をいただけて
最後の夜は 幸せに ふけてゆきました。。。
ゆっくりと頂きました。
せっかくだったので 本日は 和食にしてみました。
ご飯に 味噌スープ ( 具は お豆腐と ねぎと わかめが 脇にありました )
玉子焼き 焼しゃけ 切干大根 肉じゃが お漬物さまざま 梅干など
十分に 和テイストを なしていたのには びっくり!
ゆっくりと 店内を眺めてみると さすがに 歴史を感じさせる 内装。
豪華な 朝のひと時から パリの一日は 始まりました。
本日の予定は ノートルダム寺院と サンジェルマン・デ・プレ散策です。
地下鉄で シテ島駅までは 乗換えを含めても 15分くらいです。
駅に出て 直ぐ前が セント・シャペル教会、 駅の反対側が お目当ての
ノートルダム寺院です。
まだ10時前だったので人出はさほど多くなく
入場料もなく さくっ! と入場です!
ここ ノートルダム寺院は フランスカトリックの総本山と言われ ゴシック建築
で有名ですが 内部の 3箇所にある ステンドグラスの 「 バラ窓 」 も
有名です。
「 ノートルダム 」 とは われらのマダム つまり 聖マリアを指す言葉で
各地に立てられた ゴシック様式の教会が 聖母マリアに ささげられた聖堂
であったため 各地に 「 ノートルダム聖堂 」 と呼ばれるものが
あるそうです。
「 光を集めて崇める 」 と言う考え方から作られた ステンドグラスの
「 バラ窓 」 は 直径13メートルで 南 北 西 に 配されています。
さて内部の見学を終えた私達は もう一つ どうしても見たいものがあったのです。
それは 映画 「 アルマゲドン 」 の中で 隕石が 世界の大都市に落ちて
来ると言うシーンがあって パリの街にも 隕石が次々と飛来して 一瞬にして
街が破壊されていく その様を パリの塔に飾ってある 石造りの怪獣が
眺めているという 映像があったのです。
その怪獣が どこにあるのか ずっと気になっていた 娘が ある時 それが
ノートルダム寺院の塔にある 石造だと知り 今回どうしても 見たいと
言うことだったのです。
念願かなって 塔に登れると思いきや、 なんと 寺院の脇に ずらーっと
並んでいる列が...
あわてて 私達も並びましたが どうやら 1度に 20人くらいづつしか
登れないようで 私達も 1時間以上 並ぶ羽目になってしまいました。
その列には ヨーロッパ各国の観光客が 並んでいましたが 私達の前には
イタリア人家族が 並んでいました。
そのイタリア人パパは 真っ黒なサングラスをかけて すごく恐い感じの
人でしたが 子ども達は ちょろちょろして とても 可愛い2人でした。
男の子が サッカーの ジャンパーを着ていたので サッカー好きなの?
って 英語で話しかけたら 子ども達は 言葉が分からないようで 恥ずかし
がっていましたが お父さんが 自分は 英語がしゃべれないけど、って
簡単な英語で言ってくれて 「 サッカーじゃないよ、フットボールだよ! 」
と 教えてくれました。
その後 私達に イタリア語で 話をふるので よく分からない私たちは
とっさに 「 ナカ〜タ? 」 って言ったら 大喜びで 「 ナカ〜タは
もういないよ〜」 みたいな事を言ったので 今度は 「 デルピエロ?
トッティ? 」 なんていったら お父さん 大喜びしてくれました。
私達も調子に乗って ロベルト・バッジョ? なんて 数少ない知ってる
イタリア人選手の名前を言ったら お父さん ご満悦!
すっかり仲良くなってしまいました。
お父さんは 私達に シノワか? って聞いてきて 日本人だと言うと
ブルース・リーは 日本人なのか? と 質問してきました。
外国人にとっては 日本も 中国も 香港も 一緒のくくりのようでした。
途中で 係りの人が 各国語で書いてあるパンフレットを 並んでいるグループ
毎に 何語がいいか聞いて 配っていましたが 日本語はあったのにイタリア語
がなくて お父さん、 スゴーク怒っていました。
係りの人に 日本語があって なんで イタリア語がないんだって ずいぶんと
食い下がっていました。
その列には ドイツ人が とても多くいました。
その家族とは 話しながら 一緒にあめを食べたり 娘のカメラを覗いたりして
長い待ち時間も 楽しく過ごすことが出来ました。
途中で 順番が 少し進んだら 大慌てをして 向かい側の カフェにいった
ママンを 大声で呼んだりと、 豪快だけど ちょっぴり可愛い パパでした。
さて いよいよ 階段を登って 塔に上がる順番がきました。
塔に登るには 狭い階段を登るのですが その階段は 人、一人が精一杯の幅で
螺旋階段になっているのです。
そして 2,3階分登った後 お土産売り場のようなところで 待機していて
係りの方の指示で また 螺旋階段を登るのです。
何度も言いますが 螺旋階段は 人、一人分の 幅なのです。
そして くるくる、くるくる 際限なく 登るのです。
もう はぁはぁ ドキドキ 足はもつれるし 心臓も 破裂しそうでした。
それに 私が 留まると 後の人が上がれないので どうしても 私は
途中で 留まることは出来ないのです。
私の 後から後から 15人くらいは いるのです。
後ろの人も あぁ〜!とか げお〜! とか うわお〜! なんて叫びながら
登っているのです。 く、く、苦しい! もう本当に 限界でした。
この塔が そんなに 苦しいとは 知らなかったので 知っていたら 絶対
登らなかったと思います。
( 帰ってきてから パリの情報サイトを見たら この塔は お年寄りや
心臓の弱い人 体格の良い人? 子供は 無理だと書いてありました。 )
そして 娘に励まされ ようやく 4百段ほどの階段を登り終え 外にでると
うわぁ〜 す、す、すばらしい〜 景色!
塔の周りは 幅のせまーいベランダになっていて そのベランダの端には
何体もの あの 怪獣が...
フランス語では シメール、国によっては キメイラとか キメラ カーゴイル
などとも言われている 架空の怪獣のような動物が 何匹も 高い塔から
パリの街を 見下ろしているのです。
それはそれは 素晴らしい光景でした。
ノートルダムの鐘楼の周りにも マリア様とシメール達が たくさんいました。
それが 娘が見たがっていた 映画 「 アルマゲドン 」 に登場していた
「 シメール 」 でした。
パンフレットには 「 シメールのギャラリー 」 と 書いてありました。
本当に 苦しかったけれど 素晴らしかったです。
遠く エッフェル塔まで よく見える お天気の良い日に こんな不思議な場所で
パリの街が見渡せ また ノートルダムの鐘も 聞くことが出来 幸せでした。
やはり 世界遺産は 元気なうちに行かないと 堪能できませんね。
素晴らしい 余韻を感じながら 地下鉄で サンジェルマン・デ・プレまで
移動です。
目的は 新婚旅行で 行くことの出来なかった
教会そばの カフェ 「 レ・ドゥー・マゴ 」 に行くことでした。
(渋谷の bunkamura にも 支店がありますね )
カフェは お昼時で とても混んでいましたが お外の席をゲットでき
良いお天気のなか ちょっと気取って クロックムシューを頂くことができました。
夕方 ホテルに帰る道々 デパートの 「 ギャラリーラファイエット 」
に寄り エクレアを買って ホテルのお部屋で ティータイムを 過ごしました。
夕方のデパートは とても混んでいましたが 食料品売り場は 楽しく
おいしそうな お菓子が沢山並んでいて 時間を忘れて 見入っていました。
そして パリ最後の夕食は ムール貝で有名な 「 レオン 」 です。
レオンは ベルギーのお店ですが パリにも 道々に 沢山お店があり
パリ市民には とてもなじみのある 気軽なレストランです。
ランチョンマットに 印刷してある 「 ムール貝と魚介の蒸煮 」 と
お店の方、お薦めの 魚介のフライを頂きました。
最初は とても多く感じましたが 意外と 食べられて たっぷりの ポテトや
プリッツェルと共に とても美味しく 完食いたしました!
昨日に続き 大変 美味しいお店で 気取ることなく 夕食をいただけて
最後の夜は 幸せに ふけてゆきました。。。
murakilf at 22:39|Permalink│Comments(4)│
2007年05月02日
4日目 モンサンミッシェルへの旅
フランス4日目の今日は 憧れの 世界遺産 「 モン・サン・ミッシェル 」
への旅です。
私が この遺産を知ったのは 長女が 大学の卒業旅行で ヨーロッパ周遊をした
時 訪れた その写真を 見せてもらった時でしたので 今から6年前になります。
最近は 日本人観光客にも 大変な人気で モンサンミッシェルが 組み込まれて
いるツアーが 日本でも とても 多くなっています。
何せ ここは 距離的には 日本で言う 東京〜名古屋くらいあるそうで
通常は 列車 ( 日本で言う 新幹線のような列車 ) とバスを 乗り継いで
いくそうですが、 それは 予約をしたり 時間を調べたりで かなり労力がいる
行程なので ほとんどの旅行者は やはり利便性をとって 市内から バスで
直行で行ける オプショナルツアーを予約して 訪れる方が 多いようです。
最近のユーロ高で オプショナルの値段は 23000円前後に跳ね上がっています。
この日は 何度も言うようですが 復活祭のため 学校などがお休みになり
ヨーロッパからの 旅行者が多い時期だったので いつもは7時15分集合のところ
なんと 6時55分集合なんていう 真っ暗な時間帯の 出発になりました。
前に 私が ホテルの日本人のスタッフの方に どうしてもお願いしたかった事
があって でも 最初の2日間 お会いできなかったので 外国人スタッフに
英語で 説明して 了解して いただいた件があると 書きましたが
それは 何かと言うと、
当初 ( ホテルの 予約に関して ) 休日をはさんで予約したプランは
4日間でしたが これは 朝食込みの 予約でした。
でも この日の モンサンミッシェルの集合が 朝早く、 朝食を取る時間が
なかったので ( 朝食は 7時からなので ) この日、食べられない朝食を
追加で予約した最後の日に ( この日は 朝食ナシで 予約したので )
振り替えてもらえないかという ずうずうしいお願いをした、 という事なのです。
外国人は こんな細かいことを お願いする人は いないのかもしれませんね?
最初は 朝早いのなら ルームサービスで食べたらどうか、とか ランチボックス
みたいのを 作ってあげるので バスの中で食べたらいいわ! なんて 優しい
提案をして下さいましたが どのみち ゆっくり優雅には 食べることは
できそうになかったので あくまで 振り替え朝食を 希望しました。
何せ 朝食を 単独で頼むと 一人35ユーロ ( 5600円 ) もするんですよ!
やっぱり あわてないで ゆっくり 優雅に 味わって 食べたいですよね〜
フロントスタッフの方は 最初は 私の提案する 意味が よく理解できない
ようでしたが 何度も チェンジ! を繰り返したせいか なんとか 分かって
いただけ おかげさまで 気持ちよく 了解して下さいました。
その後 ようやく 日本人スタッフの ゆきこさんに お会いできた時
その事を説明したら ちゃんと そのとおりに 伝わっていますよ、 と言われ
一安心しました。
バスは 途中で トイレ休憩を 一度とり、 ノルマンディ地方ののどかな村を
眺めながら 12時ごろ 世界遺産に 到着しました。
写真は バスの中から 見え始めた モンサンミッシェル です!
聖なる島 モンサンミッシェル ( マウント 聖
ミカエル ) は 潮の 満ち引きで 陸にも孤島
にもなると言う 険しい岩山です。
8世紀初頭 ( またしても 日本で言う 奈良時代 ! って 本当に ガイド
さんは言ってました! カンボジアに続いて 2度目ですが 日本人には
こういう風に 説明するように 教育を受けているのでしょうか? ) に
聖堂が建ち その後の修道院は ベネディクト派の信者の聖地として栄え
( 戦争時には 要塞にもなり ) ユネスコ世界遺産に登録されました
ツアーバスの中は 日本人と 外人が半々くらいで ガイドさんは 日本語、
英語の 2人体制でした。
モンサンミッシェルに着くと 私達には オーディオガイドが 渡され ガイド
さんから少し 離れたところでも お話が聞こえるようになっていました。
散策は 日本人、 外人 チームは 別々でした。
島内に入ると 狭い道の 両側には お店がぎっしりと 建っていて
そこに 観光客が 溢れ それはそれは 初詣の 江ノ島のようでした。
まず 島内の レストランで ランチをしました。
私達は ツアーのランチを 選ばなかったので 娘と二人 島内のレストランを
見て周り 雰囲気のよさそうな 2階建てのレストランで 食事をしました。
この島の名物は ふんわりオムレツだったので ( 上の写真の プーラール
おばさんのお店が 有名なのですが 最近では 団体客が多くなり 商業主義に
走り 素朴さがなくなったと言う風潮だったので そこはパスして )
2階建ての 海の見えるお店に 入りました。
でも そこも 私達の後から後から すごい人が 入ってきて 大混雑になり
メニューを見ているうちに 後から来た 他の外人の方達の 注文が次々と入り
最初からいた私達は ずっと、 ほったらかしに なってしまいました。
( なにせ メニューは フランス語なもんで 理解するのに しばし時間が... )
私が すいませ〜ん って言ったら 私のほう見て 「 ワン ミニッツ!! 」
( つまり 1分待って! っていうことなんです )
って 気の強そうな マダムが 言うんです。 それも かなり厳しく。。。
それから 5、6分くらい 待っていたんですが 全然来てくれないので
マダムが 他のテーブルに お料理を運び終わったのを見届けて すいませ〜ん
と 声をかけたら またしても 厳しく マダムは 「 ワン ミニッツ!! 」 なのです。
「 さっきも 言っただろう! 」 くらいの強気な態度なのです!
んもぉ〜 ワン どころか テン ミニッツなのに〜 です!
私たちのこと 英語も分からないと思っているのかしら? ぷんぷん!
それとも マダムは ワンミニッツの意味を 知らないのかしら???
このお店の人は サービスって言う言葉を 知らないね! って 娘。
私は すいません!すいません! すいません! って ずっと そのマダムを
しつこく 目で追ってました。
だって 私達の ずっと後から来た人にも 接客してるんですよ〜 そのマダム!
超 むかつく! そのマダム! どんだけぇ〜♪
そんなこんなで 集合時間も迫ってしまい あわてて食べたので オムレツは
美味しかったけれど とっても 印象の悪い ランチでした!
さて 島内の見学です。
岩がそそり立った所を利用して 立てた 修道院と 教会は 満ち潮になると
陸からは孤立して 海の中にぽっかりと浮かんで それはそれは 幻想的な
雰囲気になります。
今では 陸からの道路ができたのですが 以前は 巡礼者たちが 命がけで
渡ってきた聖地でもありますし、 そのようなその立地から フランス革命後は
監獄として 使用された歴史もあるのです。
教会や修道院のテラスから 下を望むと その特異な地形が 良く分かります。
今は 対岸から道路が出来て こんなにもたくさんの観光客が 押し寄せて
いますが 今後は この道路をなくして 橋をかけるそうです。
そのほうが 大潮のときの景観が 良いのでしょうね。
5年後くらいに また いらっしゃいと ガイドさんは 言っていました。
そのガイドさんは かなりお年でしたが 以前 横浜に住んでいらしたとかで
大変 日本語が お上手でした。
4時には 憧れのモンサンミッシェルとも お別れです。
いまは 世界遺産ブームなので 世界中から 観光客が訪づれて いるのでしょう。
帰りは 高速道路が大混雑で 8時に戻る予定が 10時ごろになってしまいました。
と言うことで 夕食は ツアーの帰着点である チュイルリー公園前の ブラッスリー
で頂きました。
このあたりは たくさんの オプショナルツアーの会社が ある地域なので
レストランも かなり遅くまでやっているようでした。
私たちが入ったのは イタリアンのお店でしたが 私達が またしても
フランス語メニューに 苦労していると 何と 何と 日本語メニューを
出してくださったのです。
う、うれしい〜
なんて 気の利くギャルソン! よ〜
おかげで フランスに来て 初めて 内容が分かって注文した ディナーでした。
チョー美味しかった! この スパゲテイボロネーゼ と 具たくさんの
シーザースサラダ これにハイネケンを頂いて 〆て 30.5ユーロ (5千円)
お昼の あの意地悪マダムの オムレツやさんなんて 36.7ユーロ (6千円)
もしたんですよ〜
本当に 美味しく頂いて その上 ギャルソンに 店先で写真も撮ってあげるよ、
といわれ 今日1日も 幸せに締めくくることが出来ました。
だいぶ街にもなれたので のんびり歩いて ホテルまでは 15分くらいでした。
夜のオペラ座はキラキラ輝いて 私が この地にいるのが 本当に夢のようでした。
早速お部屋の窓からの オペラ座を 激写です。
フラッシュがないほうが 雰囲気が出ていますね。
でも 大きくしてみてみると どちらも ステキに 撮れています、 自画自賛!
あぁ〜長い一日 お疲れ様でした。
PS 遅くなりましたが 皆様にご報告です。
以前 お話しました S生命保険の 放射線治療の手術代
無事 振り込まれました。
金額は 私の予想通り 入院日額の 10倍で
3千円 × 10 で 三万円でした!
本当にありがたいことです。 お騒がせ致しました。
murakilf at 22:47|Permalink│Comments(2)│
2007年04月28日
パリ3日目 ヴェルサイユ宮殿
パリ3日目は 自力で行く 「 ベルサイユへのショートトリップ 」です。
ベルサイユへは 往復の交通とベルサイユ宮殿の入場券がセットになっている
「 フォルフェ・シャトー・ド・ベルサイユ 」 という チケットがあると ネットに
のっていたので 前日の 市内を回っているときに いくつかの ところで
聞いてみたのですが どこにも取り扱いがないか 係りの方が そのチケットの
存在を 知らなかったりで 当日まで そのチケットは 入手でませんでした。
朝 コンシェルジュの方に聞いてみたのですがやはりご存じなく 仕方ないので
地下鉄か PER(高速鉄道)の 窓口で 買うことにしました。
PERに乗り換える アンヴァリット駅の窓口に そのチケットの案内ポスターが
はってあったので これで 無事 行けると思ったのもつかの間 その窓口には
観光客の長蛇の列が出来て 皆さん 係りの人に 何か紙を貰って 怪訝そうに
その場を 去っているのです。
皆さん 口々に 「 モンパルナス 」 って言いながら...
いや〜な予感。
チケットは 無事買うことが出来たのですが 私達にも 窓口の方が かなりの
早口で 何か まくし立てていて 1枚のチラシを渡してくれました。
何度も 詳しく聞こうとする娘の言葉をさえぎって その紙に 丸印をつけて
追い払われてしまいました。
よく理解できないまま とにかく モンパルナス駅へ行って 国鉄で行け
と言うことらしいのは分かりましたが 私達が かなり粘って窓口のおじさんと
交渉していたのを見ていたのか 数人の観光客の人達が 私達に 集まってきて
どうする? ってかんじで 質問してくるのです。
多分 工事かなんかで 列車が動かないのでしょう。
パリの電車では 春先はこういう事は良くあるので 別ルートも 事前に調べて
いくように 日本で調べた情報サイトには 載っていたので もう一つのルート
モンパルナスから 国鉄で 行けばいいのでしょう、などど周りの方に教えて
私達は ガイドブックを見ながら 一目散に メトロに乗って モンパルナス駅
まで行き 無事 国鉄に 乗ることが出来ました。
その時に 韓国の方達にも聞かれて モンパルナス駅に行く事は教えたのですが
その方達は 無事 ベルサイユに いけたのかしら? と 途中で 心配に
なりました。
もっと 親切に 一緒に行きましょうと 言っていればよかったかしらと...
とにかく モンパルナス駅は とても広いので 迷わなかったかしらと...
ようやく到着した ベルサイユ・シャンティエ駅です。
ベルサイユ宮殿に行くには3つの駅から行ける方法があるのですが このベルサイユ
・シャンティエ駅からは 宮殿入り口まで たっぷり徒歩20分は かかりました。
途中には ベルサイユ宮殿はこちら みたいな 案内板を持った方達が 要所要所
にいたので やはり 最も近い ベルサイユ・リブ・ゴーシュ駅が 使えないため
こちら経由で来る方が 多いのでしょうか。
とにかく のんびりとした 郊外の町を抜けて ようやく かなたに 宮殿が...
え〜!!!
もの凄い人!
あんなに 並んで
いるよ〜 この
列は切符を持って
いる人の列です。
入場券を持っていない人の列は 噂では 3時間待ちって 言ってました!
やっぱり 途中で 入場券を買ってきてよかった!
持っている人々の列も かなり並んでいましたが 30分ほどで無事入場できました。
このチケットには 日本語のオーディオガイド代や 噴水ショーのあるお庭への
入場料 お庭の先にあるグランドトリアノンなどの 別料金の施設にも入れるので
チケットを それぞれ買う手間が省けて ちょっと 楽でした。
宮殿内部は 礼拝堂、 王の居室、 鏡の間、 王妃の居室と 続きます。
復活祭で休日のせいか どこもすごい人で 写真は 上部しか写せない状態でした。
以前 映画 「 マリー・アントワネット 」 を見ていたので なんだか
とても 親近感があって 一つ一つの説明に うなずいてしまいました。
鏡の間は 後方が修復工事をしていましたが 日中の光を浴びて 反対側の鏡に
光が 反射して とても 荘厳な気分になりました。
映画では あの鏡の廊下を マリーアントワネットは 何度も涙をこらえながら
足早に 歩いていましたね。
お部屋に飾ってある絵も 映画に出ていましたので その状況なども わかって
かなり 楽しめました。 ここを見てから また映画を見ると よけい 細部が
わかって 興味が膨らみますね。
宮殿の 見学の後は トラムに載って 広大なお庭の ずっと先にある
マリーアントワネットが自由に過ごした プチトリアノンまで足を伸ばしました。
このお庭の先にある 愛の神殿と言う 白い建物が マリーアントワネットと
フェルゼン公爵が 愛を 確かめたところだそうです。
このあたりを散歩しているときに またしても とてもステキな 背の高い
2人連れの男性の方達が...
その方達、かなりきわどいご様子で 私達は 見ないようにして 先を急いだ
のですが その先の茂みで じっと その2人を 見ている女性がいるのです。
なになに? あの人! 不審者? と興味津々の私達。
そしたら その女性、 しばらく 2人組を見ていたかと思うと その後
その人達のそばに スーと近寄って なにやら話し始めたのです。
そうなんです! その女性の方、 ガイドさんなのです。
その2人に 何事もなかったように このあたりの説明をしているのです。
へぇ〜 ガイドさんって 大変だね!
この2人の関係を察知して あうんの呼吸で 着かず離れずでガイドしてるんだぁ〜
さすがに 「 愛の神殿 」 だわね、 なんて 感心した私達でした。
かれこれ夕方になったので 心残りですが ベルサイユを後にしました。
ツアーでは 時間が決まってしまいますが 自分達で回ったので ( 道中は
色々ハプニングもありましたが ) ゆっくり 好きな処を見て 好きな処で
休み 大変のんびりと 回ることが出来ました。
さて 帰りは またまた歩いて 行きとは別の駅から 国鉄に乗り 今度は
オペラ座に近い サンラザール駅まで 戻りました。
そのまま 今日の夕食に予定している 地元の人に人気の 「 シャルティエ 」
と言う エスカルゴで 有名な ブラッスリーに 行きました。
娘の職場の方達、推薦のレストランで 活気溢れる店内が 人気のお店です。
6時ちょうどに着いたので 第一陣で 座ることが出来ましたが 2人組は
基本的に相席だそうです。
で、 お隣の方達です!
どうみても 親子ですよね〜
私が 「 ファミーユ? 家族 」 と聞いたら 向こうは 「 アミ! 友人 」
だって、 えっ〜! 友人? うっそ〜
どうみても 親子ですよね〜
何でも 男性の お父さんが レストランをやっていて この女性が そこの
お客さんだとか...
結局 この2人の関係が 以上のような関係だと分かったのは 1時間以上も
話してからでした。
だって 向こうは 英語はわからないって言うし、 こちらも フランス語は
単語程度だし、 本当に 四苦八苦しましたが レストランのメニューや
食べ方なんかも 大変親切に 詳しく 教えてくださいました。
が、 ほとんど 理解できない私でした。
「 旅の指差し会話帳 」 のようなものを もって行きましたが 向こうの
言っている事が分からないので 普通の辞書のほうが 良かったようです。
その男性は リヨンの レストランにお勤めだとかで もう少し近ければ
行ったのにねぇ〜と お互いに 残念がりました。
注文や会計を 紙のテーブルクロスの上に 書くという ( 会計は 直接
テーブルクロスに書いて計算して レジはないんです )
面白いパフォーマンスの このレストランは 「 るるぶ 」 の表紙にも
なっていて 大人気でした。
楽しかったアミたちと 別れを告げて 外にでましたが 7時半で まだ外は
明るくて たくさんの人々で 大賑わいです。
なんだか このまま ホテルに帰るのが もったいないので
「 エッフェル塔 行っちゃう? 」 と私、
「 お母さん、元気だねぇ〜 」 と娘。
...ということで急いで メトロに乗って 八時にエッフェル塔の下に着いた私達!
大勢の観光客が ライトアップする エッフェル塔を 見ています。
そして 少し歩いて セーヌ川クルーズにも 挑戦です。
徐々に 明るくなり始めた エッフェル塔を 眺めながら セーヌ川クルーズ
の列に 並べるほど クルーズ乗り場は エッフェル塔の すぐ下なのです。
こうして 無事 エッフェル塔を見て 1時間のセーヌ川クルーズも 楽しめて
最初に予定していた オプショナルツアー と同じ 行程を 何とか 自力で
回ることが出来ました。
オプショナルツアーでは 一人 16000円くらいでしたが ( 二人で32000円 )
私達の行程は
ベルサイユ( 往復 + 入場料 ) 25.75 ユーロ×2=51.5ユーロ
夕食 シャルティエ 40ユーロくらい
セーヌ川 10ユーロ×2=20ユーロ
帰りのタクシー 11ユーロ
合計 122.5ユーロ 約2万円でした!
本当に 疲れましたが 全て やり終えた自己満足感で なんだか ちょっぴり
快感! でした。
夜は またまた 休足時間の お世話になりました。
ベルサイユへは 往復の交通とベルサイユ宮殿の入場券がセットになっている
「 フォルフェ・シャトー・ド・ベルサイユ 」 という チケットがあると ネットに
のっていたので 前日の 市内を回っているときに いくつかの ところで
聞いてみたのですが どこにも取り扱いがないか 係りの方が そのチケットの
存在を 知らなかったりで 当日まで そのチケットは 入手でませんでした。
朝 コンシェルジュの方に聞いてみたのですがやはりご存じなく 仕方ないので
地下鉄か PER(高速鉄道)の 窓口で 買うことにしました。
PERに乗り換える アンヴァリット駅の窓口に そのチケットの案内ポスターが
はってあったので これで 無事 行けると思ったのもつかの間 その窓口には
観光客の長蛇の列が出来て 皆さん 係りの人に 何か紙を貰って 怪訝そうに
その場を 去っているのです。
皆さん 口々に 「 モンパルナス 」 って言いながら...
いや〜な予感。
チケットは 無事買うことが出来たのですが 私達にも 窓口の方が かなりの
早口で 何か まくし立てていて 1枚のチラシを渡してくれました。
何度も 詳しく聞こうとする娘の言葉をさえぎって その紙に 丸印をつけて
追い払われてしまいました。
よく理解できないまま とにかく モンパルナス駅へ行って 国鉄で行け
と言うことらしいのは分かりましたが 私達が かなり粘って窓口のおじさんと
交渉していたのを見ていたのか 数人の観光客の人達が 私達に 集まってきて
どうする? ってかんじで 質問してくるのです。
多分 工事かなんかで 列車が動かないのでしょう。
パリの電車では 春先はこういう事は良くあるので 別ルートも 事前に調べて
いくように 日本で調べた情報サイトには 載っていたので もう一つのルート
モンパルナスから 国鉄で 行けばいいのでしょう、などど周りの方に教えて
私達は ガイドブックを見ながら 一目散に メトロに乗って モンパルナス駅
まで行き 無事 国鉄に 乗ることが出来ました。
その時に 韓国の方達にも聞かれて モンパルナス駅に行く事は教えたのですが
その方達は 無事 ベルサイユに いけたのかしら? と 途中で 心配に
なりました。
もっと 親切に 一緒に行きましょうと 言っていればよかったかしらと...
とにかく モンパルナス駅は とても広いので 迷わなかったかしらと...
ようやく到着した ベルサイユ・シャンティエ駅です。
ベルサイユ宮殿に行くには3つの駅から行ける方法があるのですが このベルサイユ
・シャンティエ駅からは 宮殿入り口まで たっぷり徒歩20分は かかりました。
途中には ベルサイユ宮殿はこちら みたいな 案内板を持った方達が 要所要所
にいたので やはり 最も近い ベルサイユ・リブ・ゴーシュ駅が 使えないため
こちら経由で来る方が 多いのでしょうか。
とにかく のんびりとした 郊外の町を抜けて ようやく かなたに 宮殿が...
え〜!!!
もの凄い人!
あんなに 並んで
いるよ〜 この
列は切符を持って
いる人の列です。
入場券を持っていない人の列は 噂では 3時間待ちって 言ってました!
やっぱり 途中で 入場券を買ってきてよかった!
持っている人々の列も かなり並んでいましたが 30分ほどで無事入場できました。
このチケットには 日本語のオーディオガイド代や 噴水ショーのあるお庭への
入場料 お庭の先にあるグランドトリアノンなどの 別料金の施設にも入れるので
チケットを それぞれ買う手間が省けて ちょっと 楽でした。
宮殿内部は 礼拝堂、 王の居室、 鏡の間、 王妃の居室と 続きます。
復活祭で休日のせいか どこもすごい人で 写真は 上部しか写せない状態でした。
以前 映画 「 マリー・アントワネット 」 を見ていたので なんだか
とても 親近感があって 一つ一つの説明に うなずいてしまいました。
鏡の間は 後方が修復工事をしていましたが 日中の光を浴びて 反対側の鏡に
光が 反射して とても 荘厳な気分になりました。
映画では あの鏡の廊下を マリーアントワネットは 何度も涙をこらえながら
足早に 歩いていましたね。
お部屋に飾ってある絵も 映画に出ていましたので その状況なども わかって
かなり 楽しめました。 ここを見てから また映画を見ると よけい 細部が
わかって 興味が膨らみますね。
宮殿の 見学の後は トラムに載って 広大なお庭の ずっと先にある
マリーアントワネットが自由に過ごした プチトリアノンまで足を伸ばしました。
このお庭の先にある 愛の神殿と言う 白い建物が マリーアントワネットと
フェルゼン公爵が 愛を 確かめたところだそうです。
このあたりを散歩しているときに またしても とてもステキな 背の高い
2人連れの男性の方達が...
その方達、かなりきわどいご様子で 私達は 見ないようにして 先を急いだ
のですが その先の茂みで じっと その2人を 見ている女性がいるのです。
なになに? あの人! 不審者? と興味津々の私達。
そしたら その女性、 しばらく 2人組を見ていたかと思うと その後
その人達のそばに スーと近寄って なにやら話し始めたのです。
そうなんです! その女性の方、 ガイドさんなのです。
その2人に 何事もなかったように このあたりの説明をしているのです。
へぇ〜 ガイドさんって 大変だね!
この2人の関係を察知して あうんの呼吸で 着かず離れずでガイドしてるんだぁ〜
さすがに 「 愛の神殿 」 だわね、 なんて 感心した私達でした。
かれこれ夕方になったので 心残りですが ベルサイユを後にしました。
ツアーでは 時間が決まってしまいますが 自分達で回ったので ( 道中は
色々ハプニングもありましたが ) ゆっくり 好きな処を見て 好きな処で
休み 大変のんびりと 回ることが出来ました。
さて 帰りは またまた歩いて 行きとは別の駅から 国鉄に乗り 今度は
オペラ座に近い サンラザール駅まで 戻りました。
そのまま 今日の夕食に予定している 地元の人に人気の 「 シャルティエ 」
と言う エスカルゴで 有名な ブラッスリーに 行きました。
娘の職場の方達、推薦のレストランで 活気溢れる店内が 人気のお店です。
6時ちょうどに着いたので 第一陣で 座ることが出来ましたが 2人組は
基本的に相席だそうです。
で、 お隣の方達です!
どうみても 親子ですよね〜
私が 「 ファミーユ? 家族 」 と聞いたら 向こうは 「 アミ! 友人 」
だって、 えっ〜! 友人? うっそ〜
どうみても 親子ですよね〜
何でも 男性の お父さんが レストランをやっていて この女性が そこの
お客さんだとか...
結局 この2人の関係が 以上のような関係だと分かったのは 1時間以上も
話してからでした。
だって 向こうは 英語はわからないって言うし、 こちらも フランス語は
単語程度だし、 本当に 四苦八苦しましたが レストランのメニューや
食べ方なんかも 大変親切に 詳しく 教えてくださいました。
が、 ほとんど 理解できない私でした。
「 旅の指差し会話帳 」 のようなものを もって行きましたが 向こうの
言っている事が分からないので 普通の辞書のほうが 良かったようです。
その男性は リヨンの レストランにお勤めだとかで もう少し近ければ
行ったのにねぇ〜と お互いに 残念がりました。
注文や会計を 紙のテーブルクロスの上に 書くという ( 会計は 直接
テーブルクロスに書いて計算して レジはないんです )
面白いパフォーマンスの このレストランは 「 るるぶ 」 の表紙にも
なっていて 大人気でした。
楽しかったアミたちと 別れを告げて 外にでましたが 7時半で まだ外は
明るくて たくさんの人々で 大賑わいです。
なんだか このまま ホテルに帰るのが もったいないので
「 エッフェル塔 行っちゃう? 」 と私、
「 お母さん、元気だねぇ〜 」 と娘。
...ということで急いで メトロに乗って 八時にエッフェル塔の下に着いた私達!
大勢の観光客が ライトアップする エッフェル塔を 見ています。
そして 少し歩いて セーヌ川クルーズにも 挑戦です。
徐々に 明るくなり始めた エッフェル塔を 眺めながら セーヌ川クルーズ
の列に 並べるほど クルーズ乗り場は エッフェル塔の すぐ下なのです。
こうして 無事 エッフェル塔を見て 1時間のセーヌ川クルーズも 楽しめて
最初に予定していた オプショナルツアー と同じ 行程を 何とか 自力で
回ることが出来ました。
オプショナルツアーでは 一人 16000円くらいでしたが ( 二人で32000円 )
私達の行程は
ベルサイユ( 往復 + 入場料 ) 25.75 ユーロ×2=51.5ユーロ
夕食 シャルティエ 40ユーロくらい
セーヌ川 10ユーロ×2=20ユーロ
帰りのタクシー 11ユーロ
合計 122.5ユーロ 約2万円でした!
本当に 疲れましたが 全て やり終えた自己満足感で なんだか ちょっぴり
快感! でした。
夜は またまた 休足時間の お世話になりました。
murakilf at 23:08|Permalink│Comments(0)│
2007年04月24日
パリ 2日目 ルーブル美術館〜シャンゼリセ〜マドレーヌ
朝食後 外に出ると パリの朝は肌寒い感じで まだコートが必要でした。
この日から 移動には 地下鉄を使うつもりでしたので 駅で 10枚つづりの
回数券を 購入、 初めての 地下鉄体験となりました。
( 実は 後で分かったのですが 初めてではなかったのです )
地下鉄は どこまで行っても 均一料金で 乗るのには切符は いりますが
出るときは 改札はありません。 それに どの電車も 全く待つこともなく
直ぐ来るし 急行などもありませんし とても 早く 目的地に 着くことが
でき 私達の移動には 大変便利でした。
オペラ駅から ほんの 5分で ルーブル美術館の駅に 到着しました。
私が ルーブルで 一番見たかったのは 「 サモトラケのニケ 」 でした。
これは エーゲ海のサモトラケ島で発見された 勝利の女神 ニケの大理石像です。
この像を 見るのを楽しみに ルーブルを訪れたのですが 帰ってきて 主人に
その事を話したら 何と 新婚旅行のときに 既に 私も 見た!って言うんです。
お〜 なんて お間抜けな私!
「 なんで 言ってくれなかったのよ〜 」 と 主人に詰め寄る わたし。
主人は 「 だって 行く前に 一言も そんなこと言ってなかったじゃない! 」
まったく とほほ...な お話で 主人は 屋根裏部屋から 大昔のアルバムを
出してきてくれ そのときに撮った 写真まで 探し出してきてくれました。
そしたら 地下鉄の ホームで にっこり微笑む 私の写真も...ありました!
新婚旅行では パリは 大雪に見舞われ 飛行機も飛ばない事態に陥り 何と
当初 予定していた 5都市目の アムステルダムには いけず フランスから
船で ドーバー海峡を渡って 出発点の イギリスまで戻ると言う 予定外の
旅程になったほど お天気は 大荒れだったのです。
そんなことで 私も パリについたとたん 体調を崩し ルーブルでは 一目散に
トイレに駆け込み その後は ただ ぼんやりと 回ったので 作品に至っては
あまり 印象にないのです。
そんなやり取りを見て 娘は お父さんがかわいそうだよ〜
新婚旅行の思い出を 全く覚えていない妻 なんて…
本当に お父さん がっかりだねぇ〜 と 主人のかたを持っていました。
( もちろん 美術館に行ったのと ミロのビーナスは さすがに 覚えて
いたんですけどねぇ〜 )
と言うことで 上の写真の真ん中は 主人の撮った 昔の 「 サモトラケの
ニケ 」 です。 飾ってある場所も 変わっていませんね。
私達が入った 開館直後は ほとんど並ばずには入れましたが その後 続々と
混み始め モナリザ以外は 写真が取れるので 人気の絵画や 名像の前では
大勢の方が 写真撮影していました。
私は 1993年に 横浜美術館で 行われた 「 ルーブル絵画展 」 にも行き
それ以前の 1964年の 国立西洋美術館での 「 ミロのビーナス 」 も見に
行きましたが そのどちらの時にも いつかは ルーブル美術館で ゆっくりと
見たいなぁ〜 と思っていたので ミロのビーナスが 現れたときは 感無量
でした。
館内は とにかく広いので 行く前に 館内図を予習して 当日は 娘と二人
ガイドブックを手に 何とか 有名どころの 名画や 名像は 見ることが出来
大満足でした。
モナリザは 意外と小さく やはり 一番人気で 見るのは 流れ作業でした。
ルーブル駅から また 地下鉄で 凱旋門を望める シャンゼリゼまで行きました。
シャンゼリゼ通りから伸びる道の 向こうにある凱旋門を撮ろうと思ったのですが
通りは すごい車の量で 道の真ん中で 写真を撮るなんてことも出来ず 凱旋門
は 真正面からは 見ることは出来ませんでした。
私達は 当初 市内観光を オプショナルで 計画していましたが どこも
車窓から見るだけらしかったので 自力で回ることにしたのです。
通りに立って 凱旋門を眺められただけでも 臨場感があって素晴らしかったです。
三枚目の 写真に写っている 黄色いバスが 乗らなかった 市内観光のバスです。
お昼過ぎのシャンゼリゼ通りは 観光客で溢れ 通り沿いのオープンカフェは
大人気で 沢山の人々が 楽しそうに ティータイムを 過ごしていました。
その後 シャンゼリゼ通りでは ルイヴィトンの本店を 見学したり
チョコレートやさんの メゾンドショコラで 買い物したりして
ジョルジュサンクの ラ・デュレで マリーアントワネットの 大好物の
マカロンを 頂きました。
その後は マドレーヌ寺院駅まで 移動して コンコルド広場をちょっと見て
( ここは 凱旋門から ルーブル宮まで 続く道の間にあり 以前はギロチン台
もあり かつて マリーアントワネットや ルイ16世が 処刑されたところです。
その向こうに 小さく エッフェル塔も 見えます。 )
ブランド通り フォーブルサントノレ通りを 散策しました。
たくさん歩いて 疲れた私達は 一旦 ホテルに帰り 3時に出社しているはずの
ゆきこさんに会おうと思い フロントに向かいましたが 何と ゆきこさんは
体調を崩していて 今日はお休みとの事でした。
私達は この日 8時から レストランを 日本からメールで予約していたの
ですが 予約が取れているのかどうか 連絡がなかったので その事を 日本人
スタッフに 確認していただこうと思っていたのですが いらっしゃらないと
いうことで とても立派な風貌のコンシェルジュの方に お願いしました。
後ほど お部屋で休んでいると コンシェルジュの方から 電話があり 無事
取れていますよ、 とのお返事 早速 着替えて デイナーへ 向かいました。
日本で 色々と レストランを探していたところ とても評判がよく かつお安く
場所も 比較的ホテルから近く そして 何と ドリンク1杯無料の クーポン
がついている レストランを発見したのです。
パリにきてまでも クーポン生活です!
「 16(セーズ)オスマン 」 という カジュアルフレンチのレストランです。
レストランで 名前を告げると ギャルソンに案内されると思いきや なんと
示されたのは 入り口の直ぐ隣の席だったのです。
えぇ〜 まじっすか? 何と その隣も 日本人!
他の席は まだまだ 全然 空いているんですよ〜
だって 本当に 入り口の 直ぐ横なんです。 せっかく予約したのに〜
私は 何も言わずに ここではちょっと、って ゼスチャーをして 奥のほうの
席を指差しました。 向こう側は 喫煙ですが いいの? って スタッフ。
落ち着かないよりいいので 奥まった 席に変えていただきました。
3コースディナーで それぞれ何種類から選べました。
メニューは ネットにも でていたので 困ることはありませんでしたが
やはり 私の考えているのと ちょっと違う お料理もあり う〜ん、
と言うのもありましたが おおむね 美味しく頂きました。
そこでの お隣のテーブルの方達が 中年の 男性同士の カップルでした!
ピンクのセーターに 鮮やかな グリーンのポロシャツという まさしく
お約束どおりの 配色の 洋服を お召しでした。
でも とても 優しそうで ステキな 方達でしたよ!
一日中 歩きつかれた私達は のんびり お風呂に入り 日本から持参した
「 休足時間 」 を貼ってこの疲れを明日に残さないように 眠りにつきました。
この 「 休息( 足 )時間 」 とても 効きました!
あんなに歩き回って 疲れていたのに 翌日の足は スッキリ 快適でした。
毎晩 貼って休みました。
この日から 移動には 地下鉄を使うつもりでしたので 駅で 10枚つづりの
回数券を 購入、 初めての 地下鉄体験となりました。
( 実は 後で分かったのですが 初めてではなかったのです )
地下鉄は どこまで行っても 均一料金で 乗るのには切符は いりますが
出るときは 改札はありません。 それに どの電車も 全く待つこともなく
直ぐ来るし 急行などもありませんし とても 早く 目的地に 着くことが
でき 私達の移動には 大変便利でした。
オペラ駅から ほんの 5分で ルーブル美術館の駅に 到着しました。
私が ルーブルで 一番見たかったのは 「 サモトラケのニケ 」 でした。
これは エーゲ海のサモトラケ島で発見された 勝利の女神 ニケの大理石像です。
この像を 見るのを楽しみに ルーブルを訪れたのですが 帰ってきて 主人に
その事を話したら 何と 新婚旅行のときに 既に 私も 見た!って言うんです。
お〜 なんて お間抜けな私!
「 なんで 言ってくれなかったのよ〜 」 と 主人に詰め寄る わたし。
主人は 「 だって 行く前に 一言も そんなこと言ってなかったじゃない! 」
まったく とほほ...な お話で 主人は 屋根裏部屋から 大昔のアルバムを
出してきてくれ そのときに撮った 写真まで 探し出してきてくれました。
そしたら 地下鉄の ホームで にっこり微笑む 私の写真も...ありました!
新婚旅行では パリは 大雪に見舞われ 飛行機も飛ばない事態に陥り 何と
当初 予定していた 5都市目の アムステルダムには いけず フランスから
船で ドーバー海峡を渡って 出発点の イギリスまで戻ると言う 予定外の
旅程になったほど お天気は 大荒れだったのです。
そんなことで 私も パリについたとたん 体調を崩し ルーブルでは 一目散に
トイレに駆け込み その後は ただ ぼんやりと 回ったので 作品に至っては
あまり 印象にないのです。
そんなやり取りを見て 娘は お父さんがかわいそうだよ〜
新婚旅行の思い出を 全く覚えていない妻 なんて…
本当に お父さん がっかりだねぇ〜 と 主人のかたを持っていました。
( もちろん 美術館に行ったのと ミロのビーナスは さすがに 覚えて
いたんですけどねぇ〜 )
と言うことで 上の写真の真ん中は 主人の撮った 昔の 「 サモトラケの
ニケ 」 です。 飾ってある場所も 変わっていませんね。
私達が入った 開館直後は ほとんど並ばずには入れましたが その後 続々と
混み始め モナリザ以外は 写真が取れるので 人気の絵画や 名像の前では
大勢の方が 写真撮影していました。
私は 1993年に 横浜美術館で 行われた 「 ルーブル絵画展 」 にも行き
それ以前の 1964年の 国立西洋美術館での 「 ミロのビーナス 」 も見に
行きましたが そのどちらの時にも いつかは ルーブル美術館で ゆっくりと
見たいなぁ〜 と思っていたので ミロのビーナスが 現れたときは 感無量
でした。
館内は とにかく広いので 行く前に 館内図を予習して 当日は 娘と二人
ガイドブックを手に 何とか 有名どころの 名画や 名像は 見ることが出来
大満足でした。
モナリザは 意外と小さく やはり 一番人気で 見るのは 流れ作業でした。
ルーブル駅から また 地下鉄で 凱旋門を望める シャンゼリゼまで行きました。
シャンゼリゼ通りから伸びる道の 向こうにある凱旋門を撮ろうと思ったのですが
通りは すごい車の量で 道の真ん中で 写真を撮るなんてことも出来ず 凱旋門
は 真正面からは 見ることは出来ませんでした。
私達は 当初 市内観光を オプショナルで 計画していましたが どこも
車窓から見るだけらしかったので 自力で回ることにしたのです。
通りに立って 凱旋門を眺められただけでも 臨場感があって素晴らしかったです。
三枚目の 写真に写っている 黄色いバスが 乗らなかった 市内観光のバスです。
お昼過ぎのシャンゼリゼ通りは 観光客で溢れ 通り沿いのオープンカフェは
大人気で 沢山の人々が 楽しそうに ティータイムを 過ごしていました。
その後 シャンゼリゼ通りでは ルイヴィトンの本店を 見学したり
チョコレートやさんの メゾンドショコラで 買い物したりして
ジョルジュサンクの ラ・デュレで マリーアントワネットの 大好物の
マカロンを 頂きました。
その後は マドレーヌ寺院駅まで 移動して コンコルド広場をちょっと見て
( ここは 凱旋門から ルーブル宮まで 続く道の間にあり 以前はギロチン台
もあり かつて マリーアントワネットや ルイ16世が 処刑されたところです。
その向こうに 小さく エッフェル塔も 見えます。 )
ブランド通り フォーブルサントノレ通りを 散策しました。
たくさん歩いて 疲れた私達は 一旦 ホテルに帰り 3時に出社しているはずの
ゆきこさんに会おうと思い フロントに向かいましたが 何と ゆきこさんは
体調を崩していて 今日はお休みとの事でした。
私達は この日 8時から レストランを 日本からメールで予約していたの
ですが 予約が取れているのかどうか 連絡がなかったので その事を 日本人
スタッフに 確認していただこうと思っていたのですが いらっしゃらないと
いうことで とても立派な風貌のコンシェルジュの方に お願いしました。
後ほど お部屋で休んでいると コンシェルジュの方から 電話があり 無事
取れていますよ、 とのお返事 早速 着替えて デイナーへ 向かいました。
日本で 色々と レストランを探していたところ とても評判がよく かつお安く
場所も 比較的ホテルから近く そして 何と ドリンク1杯無料の クーポン
がついている レストランを発見したのです。
パリにきてまでも クーポン生活です!
「 16(セーズ)オスマン 」 という カジュアルフレンチのレストランです。
レストランで 名前を告げると ギャルソンに案内されると思いきや なんと
示されたのは 入り口の直ぐ隣の席だったのです。
えぇ〜 まじっすか? 何と その隣も 日本人!
他の席は まだまだ 全然 空いているんですよ〜
だって 本当に 入り口の 直ぐ横なんです。 せっかく予約したのに〜
私は 何も言わずに ここではちょっと、って ゼスチャーをして 奥のほうの
席を指差しました。 向こう側は 喫煙ですが いいの? って スタッフ。
落ち着かないよりいいので 奥まった 席に変えていただきました。
3コースディナーで それぞれ何種類から選べました。
メニューは ネットにも でていたので 困ることはありませんでしたが
やはり 私の考えているのと ちょっと違う お料理もあり う〜ん、
と言うのもありましたが おおむね 美味しく頂きました。
そこでの お隣のテーブルの方達が 中年の 男性同士の カップルでした!
ピンクのセーターに 鮮やかな グリーンのポロシャツという まさしく
お約束どおりの 配色の 洋服を お召しでした。
でも とても 優しそうで ステキな 方達でしたよ!
一日中 歩きつかれた私達は のんびり お風呂に入り 日本から持参した
「 休足時間 」 を貼ってこの疲れを明日に残さないように 眠りにつきました。
この 「 休息( 足 )時間 」 とても 効きました!
あんなに歩き回って 疲れていたのに 翌日の足は スッキリ 快適でした。
毎晩 貼って休みました。
murakilf at 00:01|Permalink│Comments(2)│
2007年04月19日
パリ旅行 「 出発とホテル 」
我が家の庭の桜が きれいに咲いた 4月6日 私と娘は パリに旅立ちました。
以前もお話したように 飛行機は 「 JAL悟空 」 を ネットで予約しました。
4月の 復活祭前までは 冬の運賃らしく なんと往復7万円、 燃料サーチャージ
を入れて 一人10万円強で 行けました。 ( 飛行機代だけで ホテルは別です )
4月の中旬以降は 燃料を除く 運賃だけでも10万円するので この頃は 一番
お得な運賃設定に なっているようです。
パリ行き便は 個人の乗客の方たちばかりで なんとなく 落ち着いた雰囲気でした。
リゾート行きと違って 服装もきちんとしている方が多く なんと帽子を
( 日よけではなくて おしゃれの ) かぶっている方も多数いて
お年寄りも小粋な感じ? のする方が多くいらっしゃいました。
12時間半もの旅程でしたが テレビもあり私が見たかった 「 ホリディ 」
( ジュード・ロウ と キャメロン・ディアスが主演で 日本語吹き替え版
「 これって 予想外! よね 」 なんてセリフが沢山出てきて ソフトバンク
が かなり 肩入れしているようでした! )
も見ることが出来たし お食事2回 途中で 軽いおやつが1回 出てきたので
さほど 苦しくも無く 到着しました。
同じ 12時間でも ドバイの エミレーツの機種より JAL便の 機種のほうが
席の前後が 少し 広かったような気がして なんとなく 楽チンでした。
空港に着くと 全くの2人旅、 事前に空港の見取り図など 知らべて行ったので
さほど 迷うことも無く パン屋さんの脇の 長い通路を 通り 5番の出口へ…
出たところが ロワシーバスの乗り場です。
一人8.5ユーロで(1400円弱)空港から ノンストップで オペラ座まで 行きます。
このバスは 15分に1本づつ 出ているので オペラ座辺りに行くには お安くて
とても便利ですね。
他に エールフランスバスもあり 市内何ヶ所か行きが 出ているようです。
私達の泊まった 「 インターコンチネンタル・ル・グランド・ホテル 」 は
オペラ座のまん前にあります。 なので バスを降りて徒歩2,3分で 到着です。
オペラ座に着いたのは もう 夜の7時を回っていたのですが この明るさ…
ホテルは 日本の インターコンチネンタルの予約センターから 申し込みました。
重厚な室内の様子に 少し気後れしましたが 何とかチェックインを済ませました。
頼りにしていた 日本人スタッフは 2人いるのですが そのうちの一人
「 のりこさん 」 は 私が 到着するのと入れ替わりに 日本に 帰省中、
もう一人の ゆきこさんは 今日はお休みで 明日の 3時に出社とのこと
色々聞きたいことがありましたが 何とか 英語で 交渉成立しました。
受付の 優しい男性スタッフの 「 お部屋は アップグレードしてありますよ!」
との 嬉しいお言葉に ワクワク!
建物は 大変古いものですが 室内は3年程前に 改装してあるので とても
ステキです。 何回も 廊下を ぐるぐる回って ようやくお部屋に到着。
なんと 最上階の オペラ座が 目の前の ナイスビューイング・ルーム。
パリのホテルは どこも お部屋がとても狭いと聞いていたので 私は 下から
3番目の カテゴリーの 「 エグゼクティブルーム 」 を 予約していました。
これに 1泊数十ユーロ足すと オペラ座ビューになるのですが なかなか それは
金銭的に厳しいので 当日の アップを期待していましたが 本当に アップして
くださり 窓から 真近に見える オペラ座に 私も娘も大感激しました。
ホテルの 見取り図の 黄色いところが 私達のお部屋です。
私の 予約したプランは 「土日を挟んで予約できるプラン」で 2名の朝食付き
ですが、( なぜか 土日をはさむと お安いのです、
平日は ビジネスマンの 需要が 多いのでしょうか? )
このプランでのお値段では 4日間までしか 予約できないものでしたので
あと1泊は 予約と同時に 代金が引き落とされるという ( 朝食なしの )
キャンセルの出来ないプランを 付け足しました。
ひとしきり お部屋で休んで まだ明るいので 街を ぐるっと散策してきました。
私は 29年まえ 新婚旅行で ヨーロッパ5都市10日間 という 強行軍の旅を
して パリでは2泊していましたが 体調を崩していて パリでのことは
あまり覚えていないんです。
その時のホテルは 日航パリでしたが 今は もう 名前が変わっていました。
そして この グランドホテルの 「 カフェ・ド・ラペ 」 で お茶をした
ことは 覚えていましたので 今回は 何としても その 思い出のホテルに
泊まりたかったのです。
街は にぎわっていましたが 私達は お腹が空いていなかったので 夕食は
お部屋で 機内で配っていた桜アンパンに 成田で買った カップお味噌汁、
コーヒーで 済ませました。
娘は ステキなロビーで ゆっくり 軽く食べたい、 なんていっていましたが
メニューを見たら 軽くでも 軽く8千円〜 いってしまうので 諦めさせました。
翌朝は 思い出の 「 カフェ・ド・ラペ 」
での 朝食からスタートです。
とてもキレイな ディスプレーで
飾ってありますが 7時半でも
まだ暗いので お客様はあまりいません。
どのお料理も 私達が 最初に箸をつける
お先に失礼致します、状態で 申し訳なかったくらいです。
右端の写真の 日本食コーナーには お漬物 卵焼き 切り干し大根 肉じゃが
焼きしゃけ お味噌汁 など 大変充実していました。
日本人の宿泊客も 多いのでしょうね。
朝食を たっぷりとった私たちは 今日は 一日 市内を回る予定です。
ロビーのガラス天井を見ると 良いお天気になりそうな一日の はじまりです。
以前もお話したように 飛行機は 「 JAL悟空 」 を ネットで予約しました。
4月の 復活祭前までは 冬の運賃らしく なんと往復7万円、 燃料サーチャージ
を入れて 一人10万円強で 行けました。 ( 飛行機代だけで ホテルは別です )
4月の中旬以降は 燃料を除く 運賃だけでも10万円するので この頃は 一番
お得な運賃設定に なっているようです。
パリ行き便は 個人の乗客の方たちばかりで なんとなく 落ち着いた雰囲気でした。
リゾート行きと違って 服装もきちんとしている方が多く なんと帽子を
( 日よけではなくて おしゃれの ) かぶっている方も多数いて
お年寄りも小粋な感じ? のする方が多くいらっしゃいました。
12時間半もの旅程でしたが テレビもあり私が見たかった 「 ホリディ 」
( ジュード・ロウ と キャメロン・ディアスが主演で 日本語吹き替え版
「 これって 予想外! よね 」 なんてセリフが沢山出てきて ソフトバンク
が かなり 肩入れしているようでした! )
も見ることが出来たし お食事2回 途中で 軽いおやつが1回 出てきたので
さほど 苦しくも無く 到着しました。
同じ 12時間でも ドバイの エミレーツの機種より JAL便の 機種のほうが
席の前後が 少し 広かったような気がして なんとなく 楽チンでした。
空港に着くと 全くの2人旅、 事前に空港の見取り図など 知らべて行ったので
さほど 迷うことも無く パン屋さんの脇の 長い通路を 通り 5番の出口へ…
出たところが ロワシーバスの乗り場です。
一人8.5ユーロで(1400円弱)空港から ノンストップで オペラ座まで 行きます。
このバスは 15分に1本づつ 出ているので オペラ座辺りに行くには お安くて
とても便利ですね。
他に エールフランスバスもあり 市内何ヶ所か行きが 出ているようです。
私達の泊まった 「 インターコンチネンタル・ル・グランド・ホテル 」 は
オペラ座のまん前にあります。 なので バスを降りて徒歩2,3分で 到着です。
オペラ座に着いたのは もう 夜の7時を回っていたのですが この明るさ…
ホテルは 日本の インターコンチネンタルの予約センターから 申し込みました。
重厚な室内の様子に 少し気後れしましたが 何とかチェックインを済ませました。
頼りにしていた 日本人スタッフは 2人いるのですが そのうちの一人
「 のりこさん 」 は 私が 到着するのと入れ替わりに 日本に 帰省中、
もう一人の ゆきこさんは 今日はお休みで 明日の 3時に出社とのこと
色々聞きたいことがありましたが 何とか 英語で 交渉成立しました。
受付の 優しい男性スタッフの 「 お部屋は アップグレードしてありますよ!」
との 嬉しいお言葉に ワクワク!
建物は 大変古いものですが 室内は3年程前に 改装してあるので とても
ステキです。 何回も 廊下を ぐるぐる回って ようやくお部屋に到着。
なんと 最上階の オペラ座が 目の前の ナイスビューイング・ルーム。
パリのホテルは どこも お部屋がとても狭いと聞いていたので 私は 下から
3番目の カテゴリーの 「 エグゼクティブルーム 」 を 予約していました。
これに 1泊数十ユーロ足すと オペラ座ビューになるのですが なかなか それは
金銭的に厳しいので 当日の アップを期待していましたが 本当に アップして
くださり 窓から 真近に見える オペラ座に 私も娘も大感激しました。
ホテルの 見取り図の 黄色いところが 私達のお部屋です。
私の 予約したプランは 「土日を挟んで予約できるプラン」で 2名の朝食付き
ですが、( なぜか 土日をはさむと お安いのです、
平日は ビジネスマンの 需要が 多いのでしょうか? )
このプランでのお値段では 4日間までしか 予約できないものでしたので
あと1泊は 予約と同時に 代金が引き落とされるという ( 朝食なしの )
キャンセルの出来ないプランを 付け足しました。
ひとしきり お部屋で休んで まだ明るいので 街を ぐるっと散策してきました。
私は 29年まえ 新婚旅行で ヨーロッパ5都市10日間 という 強行軍の旅を
して パリでは2泊していましたが 体調を崩していて パリでのことは
あまり覚えていないんです。
その時のホテルは 日航パリでしたが 今は もう 名前が変わっていました。
そして この グランドホテルの 「 カフェ・ド・ラペ 」 で お茶をした
ことは 覚えていましたので 今回は 何としても その 思い出のホテルに
泊まりたかったのです。
街は にぎわっていましたが 私達は お腹が空いていなかったので 夕食は
お部屋で 機内で配っていた桜アンパンに 成田で買った カップお味噌汁、
コーヒーで 済ませました。
娘は ステキなロビーで ゆっくり 軽く食べたい、 なんていっていましたが
メニューを見たら 軽くでも 軽く8千円〜 いってしまうので 諦めさせました。
翌朝は 思い出の 「 カフェ・ド・ラペ 」
での 朝食からスタートです。
とてもキレイな ディスプレーで
飾ってありますが 7時半でも
まだ暗いので お客様はあまりいません。
どのお料理も 私達が 最初に箸をつける
お先に失礼致します、状態で 申し訳なかったくらいです。
右端の写真の 日本食コーナーには お漬物 卵焼き 切り干し大根 肉じゃが
焼きしゃけ お味噌汁 など 大変充実していました。
日本人の宿泊客も 多いのでしょうね。
朝食を たっぷりとった私たちは 今日は 一日 市内を回る予定です。
ロビーのガラス天井を見ると 良いお天気になりそうな一日の はじまりです。
murakilf at 14:38|Permalink│Comments(0)│
2007年04月15日
パリ帰国報告 と 保険金不払い問題
ただいま〜
無事、7日間の パリの旅から 帰って来ました。
日本でも 暖かい毎日ですが パリも 日中は20度近くにもなるほど暖かく
本当に 気持ちの良い季節のパリを 過ごすことが出来ました。
私のパリの印象を交えての きれいな写真を ご覧下さい。
パリは もちろん良い景色 素晴らしい歴史に彩られた文化遺産が ここかしこに
沢山あるところですが 私の印象としては まず 物価が高い! の一言です。
私が 出発の数日前に 両替したときは 1ユーロ 161円でしたが
出発の時には 162円になっていましたし 滞在中には 「 日本で ユーロが
始まってから 初めて 一番高い 160円台に なった 」 と ニュースで流れ
( 両替のときは これに 片道 +4,5〜6円くらい 上乗せするので
1ユーロ 165〜円くらいに なりますね ) 本当に ビックリしました。
デパートの屋上で お昼に セルフで 二人で チョコッと食べても すぐ
5千円くらいに なってしまうのです。
買い物は 殆どしなかったのですが お茶や お食事代が かなりかかりました。
化粧品だって ブランド物だって 全て 成田の免税店のほうが 断トツに
安かったです。
また JAL機内の免税品を JALカードで買うと 1割引になるので それもお得だと
思いましたし、 成田のJAL免税店では JALカード提示で 現金でのお買い物も
1割引になるので そちらも利用して 行きに お化粧品など 購入してきました。
帰りの 機内免税品販売では 人気の商品は 売り切れ続出だったので
やはり お目当ての物があるときは 行きに買うべきのようでした。
第二の 印象は 何と 男性同士の カップルが とても多くいて これまた
びっくり! でした。
レストランの 隣の席の方達も、 ベルサイユ宮殿の お庭を お散歩中の方々も
モンサンミッシェルへの オプショナルツアーの バスの前の席の方も 全て
男性同士の あちらの? ご趣味の方達でした!
私は その手の趣味?にかけては かなり見る目があると 自負しているので
直ぐ わかりました! 娘に言うと う〜ん、 という感じでしたが
あとで やっぱり そうだよ! あの人たち、 だって 肩に頭を もたれかけて
寝てたよ、 と バスの中での 私の寝ている間の状況を 説明してくれて
やっぱり そうだね!と 合点してくれました。
服装の色使いや 靴の形 ヘアスタイルなど やはり なんとなく 独特ですよね。
なんと オプショナルツアーのガイドさんも どうも怪しいと思っていたら
左耳に ピアスをしていたので やはりそうらしいよ、と 娘が教えてくれました。
でも 皆さんとてもステキな 方達なんですよ〜
すごーく かっこよくて どの方も 直ぐ俳優になれそうで なんだか
二人の世界にいるだけでは もったいないような 気がしました。
私たちが行った日程は 4月の 復活祭の日と重なっていて 学校などもお休みで
どこも 大混雑でした。
おまけに 日曜、祝日は お店は殆どお休みで だから余計 美術館など 混んでいて 自由旅行の私達には 本当に お目当てのところに行くだけでも かなり
大変でしたが そのおかげで 当初行くつもりのなかった 地域も通ることが出き
乗るはずではなかった 国鉄にも乗れ かえって さまざまな 経験をすることが
でき 思い出深い旅になりました。
そんな中 やはり 何をするにも コミュニケーションが必要でしたが
パリの人々は 必要に迫られる商売の方しか 英語を話してくれませんでした。
もちろん ホテルの方や ブランド店の方達は 全て 英語でお話されましたが
地元の方が行くレストランや、 タクシーの 運転手さんなど 全く英語は
通じませんでしたし 英語のメニューなども ありませんでした。
フランス人は 毅然とした態度で 客におもねることもなく 正直 私達には
ちょっと 恐い人種 に感じられました。
レストランでの お食事も 隣の方が食べているものを その方達に聞きながら
メニューを 指さしてもらい 選びました。
地元の方は 全く英語が 分かりませんと言っていましたが 何とか 娘の
フランス語の単語と 身振り手振りで 意思が通じた時には 私達も お隣の席の
方達も 手を打って 喜び合うほど とても 嬉しかったものです。
何とも 奇妙な お隣の方達の関係は 叉 あとで お写真を交えて 説明します。
ノートルダム寺院に 登るために 並んで待っている時も お隣は 英語の
分からないイタリア人家族でしたが 並んでいる1時間余りの間に なんとか
半分訳の分からないながらも 会話がはずみ 楽しい時間を 持つ事が出来ました。
ヨーロッパの方達の 旅行者が多い季節だったので さまざまな国の方達と
触れ合うことができ なんだか この調子で 旅をつづけていたら 世界中の人と
話をすることが出来るような気が してきました、 なんてねっ!
これから おいおい きれいな写真を乗せながら パリでの行動を 書いて
いこうと思います。
さて 表題の 「 保険金不払い問題 」 ですが 我家にも 新聞をにぎわして
いるような問題が 一通の封書で やってきました。
S生命保険会社から 主人宛に 来たものは 「 かつての私の入院保険金支払いの
際に 提出した診断書を 再度検証した結果 追加で支払える可能性のある保険金があるかも知れません 」 という ちょっと 嬉しい内容のものでした。
診断書に 記入してある 放射線治療に関してで 「 あなたは 放射線治療を
受けましたか? 」 という 簡単なものでした。
それ以外は これといって 詳しいことは書いてなかったので 保険の約款を
調べてみたところ なんと 放射線治療は 手術の一つとして 明記されて
いました。
私の入っていた保険は 入院保険金と 手術保険金が出るようになっている
保険商品で もちろん 私は 入院保険金と 移植の手術の保険金を 請求しましたが放射線も 手術ということならば それに関しても 保険金が出るようなのです。
私は 他にも G保険と Z共済保険に 入っていますが よく調べてみたら
手術の特約がついているのは この S生命保険だけでした。
私の このブログを見ている方の中にも 私と同じような 病気の方が 4人ほど
いらっしゃいます。
( 病院で 知り合った方には ブログの件は お話してありますが あまり
この手のものに 詳しくないようなので ブログアドレスは 教えていません )
この4人の方は 昔からの仲良しさん、 この数年で仲良くなった方など 様々ですが 皆さん こんな私を ご自分のことのように 支えてくださる 大切な方達です。
偶然にも 私と同じ病院に 通っている方も 二人いらっしゃいます。
もちろん みなさん 私より だいぶ軽い症状なので 今は もう 完解している
方が 大部分ですが 多分 みなさん 放射線治療を していると思いますが、
手術した後で 保険の請求をするので その後で行う放射線治療をする時には
気がつかなければ 保険請求はしていないと思います。
保険会社は こちらが請求しなければ 払わない、 請求のあったものしか
支払わないということなので 診断書から 類推される可能性のある保険金に
関しては 一切案内はしないということです。
ですので もし 手術の特約がある保険に お入りの方は いちど 保険会社に 問い合わせてみると 良いかもしれません。
このS生命保険は 主人が 結婚したときに入った生命保険で それに付帯して
入院保険がついていたもので 主人が入院一日、5千円 妻の私は その6割で 入院1日3千円という 今時 口に出すのもはばかれる トホホの金額なのですが
枯れ木も山の賑わいで? ないよりはましですよね。
ちなみに 放射線治療は 入院日額の十倍と ありましたので 3万円だと思いますが ( 私が勝手に 約款で 推察しただけですが )
来たお手紙には この案内は 支払いをお約束するものではありません! と
きっぱり書いてありました。
また 正式に どうなったか、結果をお知らせしますが これで 出なかったら
なんだか がっかりですよね。
... ということで 帰って来てそうそう 色々と 調べ物が多く 忙しくして
います。
昨日は 余りのお天気のよさに 主人と二人 ドライブがてら 横浜、鳥浜の
「 ベイサイドマリーナ 」 に行ってきました。
主人が せっかく来たのだから 何でも買いなさい! なんて気前のいい事を
行ってくれました。
... って ここは アウトレットなのが ちょっと 切ないですね。
とても気持ちの良い マリーナを眺めながら 美味しいコーヒーを 頂いてきました。
無事、7日間の パリの旅から 帰って来ました。
日本でも 暖かい毎日ですが パリも 日中は20度近くにもなるほど暖かく
本当に 気持ちの良い季節のパリを 過ごすことが出来ました。
私のパリの印象を交えての きれいな写真を ご覧下さい。
パリは もちろん良い景色 素晴らしい歴史に彩られた文化遺産が ここかしこに
沢山あるところですが 私の印象としては まず 物価が高い! の一言です。
私が 出発の数日前に 両替したときは 1ユーロ 161円でしたが
出発の時には 162円になっていましたし 滞在中には 「 日本で ユーロが
始まってから 初めて 一番高い 160円台に なった 」 と ニュースで流れ
( 両替のときは これに 片道 +4,5〜6円くらい 上乗せするので
1ユーロ 165〜円くらいに なりますね ) 本当に ビックリしました。
デパートの屋上で お昼に セルフで 二人で チョコッと食べても すぐ
5千円くらいに なってしまうのです。
買い物は 殆どしなかったのですが お茶や お食事代が かなりかかりました。
化粧品だって ブランド物だって 全て 成田の免税店のほうが 断トツに
安かったです。
また JAL機内の免税品を JALカードで買うと 1割引になるので それもお得だと
思いましたし、 成田のJAL免税店では JALカード提示で 現金でのお買い物も
1割引になるので そちらも利用して 行きに お化粧品など 購入してきました。
帰りの 機内免税品販売では 人気の商品は 売り切れ続出だったので
やはり お目当ての物があるときは 行きに買うべきのようでした。
第二の 印象は 何と 男性同士の カップルが とても多くいて これまた
びっくり! でした。
レストランの 隣の席の方達も、 ベルサイユ宮殿の お庭を お散歩中の方々も
モンサンミッシェルへの オプショナルツアーの バスの前の席の方も 全て
男性同士の あちらの? ご趣味の方達でした!
私は その手の趣味?にかけては かなり見る目があると 自負しているので
直ぐ わかりました! 娘に言うと う〜ん、 という感じでしたが
あとで やっぱり そうだよ! あの人たち、 だって 肩に頭を もたれかけて
寝てたよ、 と バスの中での 私の寝ている間の状況を 説明してくれて
やっぱり そうだね!と 合点してくれました。
服装の色使いや 靴の形 ヘアスタイルなど やはり なんとなく 独特ですよね。
なんと オプショナルツアーのガイドさんも どうも怪しいと思っていたら
左耳に ピアスをしていたので やはりそうらしいよ、と 娘が教えてくれました。
でも 皆さんとてもステキな 方達なんですよ〜
すごーく かっこよくて どの方も 直ぐ俳優になれそうで なんだか
二人の世界にいるだけでは もったいないような 気がしました。
私たちが行った日程は 4月の 復活祭の日と重なっていて 学校などもお休みで
どこも 大混雑でした。
おまけに 日曜、祝日は お店は殆どお休みで だから余計 美術館など 混んでいて 自由旅行の私達には 本当に お目当てのところに行くだけでも かなり
大変でしたが そのおかげで 当初行くつもりのなかった 地域も通ることが出き
乗るはずではなかった 国鉄にも乗れ かえって さまざまな 経験をすることが
でき 思い出深い旅になりました。
そんな中 やはり 何をするにも コミュニケーションが必要でしたが
パリの人々は 必要に迫られる商売の方しか 英語を話してくれませんでした。
もちろん ホテルの方や ブランド店の方達は 全て 英語でお話されましたが
地元の方が行くレストランや、 タクシーの 運転手さんなど 全く英語は
通じませんでしたし 英語のメニューなども ありませんでした。
フランス人は 毅然とした態度で 客におもねることもなく 正直 私達には
ちょっと 恐い人種 に感じられました。
レストランでの お食事も 隣の方が食べているものを その方達に聞きながら
メニューを 指さしてもらい 選びました。
地元の方は 全く英語が 分かりませんと言っていましたが 何とか 娘の
フランス語の単語と 身振り手振りで 意思が通じた時には 私達も お隣の席の
方達も 手を打って 喜び合うほど とても 嬉しかったものです。
何とも 奇妙な お隣の方達の関係は 叉 あとで お写真を交えて 説明します。
ノートルダム寺院に 登るために 並んで待っている時も お隣は 英語の
分からないイタリア人家族でしたが 並んでいる1時間余りの間に なんとか
半分訳の分からないながらも 会話がはずみ 楽しい時間を 持つ事が出来ました。
ヨーロッパの方達の 旅行者が多い季節だったので さまざまな国の方達と
触れ合うことができ なんだか この調子で 旅をつづけていたら 世界中の人と
話をすることが出来るような気が してきました、 なんてねっ!
これから おいおい きれいな写真を乗せながら パリでの行動を 書いて
いこうと思います。
さて 表題の 「 保険金不払い問題 」 ですが 我家にも 新聞をにぎわして
いるような問題が 一通の封書で やってきました。
S生命保険会社から 主人宛に 来たものは 「 かつての私の入院保険金支払いの
際に 提出した診断書を 再度検証した結果 追加で支払える可能性のある保険金があるかも知れません 」 という ちょっと 嬉しい内容のものでした。
診断書に 記入してある 放射線治療に関してで 「 あなたは 放射線治療を
受けましたか? 」 という 簡単なものでした。
それ以外は これといって 詳しいことは書いてなかったので 保険の約款を
調べてみたところ なんと 放射線治療は 手術の一つとして 明記されて
いました。
私の入っていた保険は 入院保険金と 手術保険金が出るようになっている
保険商品で もちろん 私は 入院保険金と 移植の手術の保険金を 請求しましたが放射線も 手術ということならば それに関しても 保険金が出るようなのです。
私は 他にも G保険と Z共済保険に 入っていますが よく調べてみたら
手術の特約がついているのは この S生命保険だけでした。
私の このブログを見ている方の中にも 私と同じような 病気の方が 4人ほど
いらっしゃいます。
( 病院で 知り合った方には ブログの件は お話してありますが あまり
この手のものに 詳しくないようなので ブログアドレスは 教えていません )
この4人の方は 昔からの仲良しさん、 この数年で仲良くなった方など 様々ですが 皆さん こんな私を ご自分のことのように 支えてくださる 大切な方達です。
偶然にも 私と同じ病院に 通っている方も 二人いらっしゃいます。
もちろん みなさん 私より だいぶ軽い症状なので 今は もう 完解している
方が 大部分ですが 多分 みなさん 放射線治療を していると思いますが、
手術した後で 保険の請求をするので その後で行う放射線治療をする時には
気がつかなければ 保険請求はしていないと思います。
保険会社は こちらが請求しなければ 払わない、 請求のあったものしか
支払わないということなので 診断書から 類推される可能性のある保険金に
関しては 一切案内はしないということです。
ですので もし 手術の特約がある保険に お入りの方は いちど 保険会社に 問い合わせてみると 良いかもしれません。
このS生命保険は 主人が 結婚したときに入った生命保険で それに付帯して
入院保険がついていたもので 主人が入院一日、5千円 妻の私は その6割で 入院1日3千円という 今時 口に出すのもはばかれる トホホの金額なのですが
枯れ木も山の賑わいで? ないよりはましですよね。
ちなみに 放射線治療は 入院日額の十倍と ありましたので 3万円だと思いますが ( 私が勝手に 約款で 推察しただけですが )
来たお手紙には この案内は 支払いをお約束するものではありません! と
きっぱり書いてありました。
また 正式に どうなったか、結果をお知らせしますが これで 出なかったら
なんだか がっかりですよね。
... ということで 帰って来てそうそう 色々と 調べ物が多く 忙しくして
います。
昨日は 余りのお天気のよさに 主人と二人 ドライブがてら 横浜、鳥浜の
「 ベイサイドマリーナ 」 に行ってきました。
主人が せっかく来たのだから 何でも買いなさい! なんて気前のいい事を
行ってくれました。
... って ここは アウトレットなのが ちょっと 切ないですね。
とても気持ちの良い マリーナを眺めながら 美味しいコーヒーを 頂いてきました。
murakilf at 22:48|Permalink│Comments(2)│
2007年04月05日
フランスへの旅
夜は まだ肌寒いこの頃ですが 家の近所の 夜桜を楽しみました。
道の途中には 桜のほかに 桃などもあり 街灯に照らされて ほのかに光って
とてもキレイに 咲き誇っていました。
このピンクの濃い色の花が 桃ならば 今まで梅だと思っていて 最近 桃だと
気づいたという 我が家の木は 色がもっと薄いので 杏かもしれませんね。
さて 表題の フランスですが 明日から 「 母娘で行く パリ7日間の 旅 」
を 次女と 楽しんできます。
次女の職場では 暮からお正月にかけて お仕事があるので その代休と
いうことで 2月から 4月の間に 遅い冬休みが あるのです。
皆さん 職場の方が 交代で 休暇を取るのですが なかなか この時期は
お友達との旅行が 日程的に 難しいらしく 娘の前に 休暇をとった4人の方は
なんと 皆さん、すべて お母様と ご一緒の海外旅行を 楽しまれたそうです。
ということで 我が家の娘からも 「 母親と行く憧れのパリ 」 を
一月前くらいに 打診されたのです。
私は 今夏こそ バリ島の アマンキラ〜レギャン の旅を 実現させようと
ひそかに思っていたのですが 私が断ると 娘は いけなくなってしまうので
( 男子なら 一人旅もありですが… ) 主人からも 「 行ってあげたら? 」
なんて お墨付きをもらったので 晴れて 明日、機上の人となることになりました。
次女とは 次女が 大学入試が終わって 最後に受けた大学の 合格発表を
待つ間 2人で ラスベガスに 行ったことが あります。
その時も 出発2週間前に HISに駆け込んで 急遽予約したのです。
今回もそれと同じようで 娘の仕事の 兼ね合いと 私の診察の日程、 家族の
スケジュールを考え合わせて 急遽 6日 金曜日からになりました。
フランスは 4月の8日が復活祭で その後、 春の到来という事だそうです。
飛行機は JAL悟空、 ホテルは インターコンチネンタル・ル・グランドを
インターコンチネンタルのサイトから 値段や 空室状況を調べて 日本の
予約センターで 取ってもらいました。
ですから ベトナムに続いて これまた 全くの 個人旅行です。
今は ユーロが ものすごく高いので ( 1ユーロ 162円くらい )
オプショナルツアーは 余り入れられず なんとか自力で 観光するつもりです。
地下鉄や バス 国鉄 新幹線など 交通網は 発達しているので ガイド本や
ネットで色々検索して 安く 安全に 行ってくる術を 会得してきます。
ただ世界遺産のモンサンミッシェルだけは 遠いので ツアーに申し込みました。
でも これも ネットで 申し込めたので 飛行機 ホテル ツアー レストラン
全ていながらにして 予定を立てることが出来 大変便利な 世の中になったと
改めて 感心しました。
今回の日程中 オペラ座で ルドルフ ヌレエフ 振り付け 演出の
「 シンデレラ 」 を 見られる日が 1日あったのですが オペラ座の
サイト予約では もう満席で、 いろいろ カード会社の デスクや ホテルの
コンシェルジュにも 頼んだのですが 人気の演目なので どこでも 取れず
それだけが 残念です。
ということで ここ 数日は パソコンに 座りっぱなしの日々でした。
。。。そんな 日々の間をぬって 友人の お花の華展が 横浜でありました。
「横浜 名流華道展 」 です。
この華道展は 各流派の 先生クラスの方たちが 出品する 華道展ですが
私の友人は お母様が お家元でしたので ずいぶんと昔から この展に
出品していました。
今回は 春ということで 花材も 枝物が 多く、 桜 もくれん やまぶき
ぼけ などが 多く使われていました。
私の大好きな ( 確か ビビアン様も お好きでしたね。 ) てっせんも
多く使われていました。
そんな中 友人の作品は 毎回 他を 圧倒させるような 斬新な スタイルで
今回も すばらしく現代的に ダイナミックに 仕上がっていました。
花材は ストレチア アンスリウム ドラセナ ヘリコニア ゴッドセフィニア
だそうです。
我が家の 枝物は 紅白の ぼけです。
カランコエは 母が 指し木をして 冬の間 日光に当てていたので
今は 真っ白な可愛い花が 満開です。
この首から下の へんてこりんな写真は 息子の 大学の 入学式の 写真です。
初めてのスーツ姿で 薄いピンクのシャツに やはり薄いピンクとラベンダー色の
ネクタイです。 息子は 高校が 学生服だったので ネクタイ結びは 初めてで
主人が 息子の後から まるで 二人羽織のようにして 結んであげていたのが
おかしかったです。
顔はイヤだよ! というので 首から下なのです。
でも 入学式のときに この写真を 友人に 見せていたら その友人も
やはり 私と同じ 首から下の 息子さんの 写真を撮っていたのです。
見せて頂いたら 本当に 私のと 同じ構図の 写真でした。
その方も ブログ用かしら? と思ったら ミクシー用 との事でした。
2人して 大笑いしていましたが きっと 周りの人は 「 そうまでして
(息子を) 見せたいのかぃ! 」 って 思っているでしょうね。
…って 今も 皆さん そう思っているでしょうねぇ〜 ふ・ふ・ふ
入学式の後は お決まりの 友人とのランチ、 田園調布の 「 バルダルノ 」
に 行ってきました。 生憎 雨の入学式でしたが お食事会は 花が咲いた
ような賑やかさで 本当に 楽しいひと時を 過ごすことが出来ました。
これからは 保護者会などが ないので 皆さんとも 頻繁に会えず 寂しい
ですが 息子達の成長を 皆さんで 同時に感じられる ステキな友人達との
関係を すっと続けていきたいものです。
この2枚の写真は クリスマスローズさんの お庭です。
チューリップは 「 アバ 」 という品種だそうで とても鮮やかですね!
水仙も 大きなお花で よく 咲きそろって 見事です。
お庭がきれいだと 周りの人も 喜んでくれますよね。
ステキな写真を どうもありがとうございました。
では 明日から しばらく 留守をします。 いってきま〜す。
murakilf at 23:29|Permalink│Comments(2)│